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歴史とアジア太平洋戦争に関するquatrosheのブックマーク (26)

  • 東京新聞:731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査:社会(TOKYO Web)

    一九八九年に大量の人骨が見つかった東京都新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地で、財務省が年明けにも発掘調査を始める。軍医学校の元看護師の女性が「人体標が埋められた」と証言した三カ所の一つで、市民団体が調査を求めていた。中国で人体実験をしたとされる「七三一部隊」との関連が指摘されてきたが、真相究明につながる可能性もある。 現場は、財務省が管理していた国家公務員宿舎跡で、八九年に国立感染症研究所を建設中、大量の人骨が発見された場所の近く。当時は新宿区の鑑定で「人骨は百体分以上」「日人とは異質とみられる人種が含まれ、ドリルや銃の跡がある」-などの見解が示された。軍医学校には七三一部隊の日での研究拠点もあったが、人骨との関連は分かっていない。 研究所用地とともに三カ所の一つだった厚生労働省宿舎跡は、今年二~六月に同省が調査し、人骨は見つからなかった。三カ所目となる今回の現場は、元看護師が「人体標

  • 語る:加藤陽子さん 『昭和天皇と戦争の世紀』を刊行 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇不意だった開戦…心情探る 昭和天皇をテーマにした書籍が、相次いで刊行されている。戦後生まれ、気鋭の研究者による力作ぞろいだ。『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社)を著し、謎の多いその人物像に迫った加藤陽子・東京大教授に聞いた。【栗原俊雄】 日史を歴代の天皇から読み解くシリーズの第8巻。主に大正期の皇太子時代から第二次世界大戦の敗戦までを振り返っている。 序章「焦土に立つ人」の項目でまず、昭和天皇の前半生を俯瞰(ふかん)する。皇太子時代に視察した、第一次世界大戦で荒野になったヨーロッパ。関東大震災後の焼け野原。そして国破れた第二次世界大戦。天皇が激動の時代を生きたことが、改めて分かる。 大正期、発達したメディアなどによって皇太子は広く国民に親しまれた。加藤さんはその露出を、牧野伸顕宮内大臣ら宮中グループの意図とみる。「普通選挙などデモクラシーの機運は高まっていましたが、小作農民や労働者に対

    quatroshe
    quatroshe 2011/11/10
    「火事場泥棒みたい」とか言いつつ仏印進駐許可。開戦においては「独白録」で自ら白状してるように、君主大権を行使しようとすれば出来た、でもケツをまくれなかった。それがこの人の限界。凡帝は素直に凡帝と評そう
  • asahi.com(朝日新聞社):旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公文書に記述 - 社会

    印刷 細菌戦を行ったとして記されていた場所と「効果」掲載されていた細菌作戦の一覧表=陸軍軍医学校防疫研究報告第1部第60号「PXノ効果略算法」から  旧日陸軍が1940〜42年、中国で細菌兵器を使用していたことを示す陸軍軍医学校防疫研究室の極秘報告書が見つかった。細菌兵器の使用は93年に見つかった陸軍参謀の業務日誌にも記述があるが、細菌戦に直接携わった研究室の公的文書でも裏付けられた。  旧日軍の細菌戦については中国人遺族らによる損害賠償訴訟で東京地裁、高裁とも事実と認定したが、日政府は「証拠がない」との見解を示している。  この文書は「陸軍軍医学校防疫研究報告」のうち第1部の「PXノ効果略算法」。市民団体「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会」(事務局・東京)のメンバーが、国立国会図書館関西館(京都)で見つけた。 関連リンク中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日人の募金で設置(7

  • asahi.com(朝日新聞社):旧日本兵以外の遺骨、厚労省確認 フィリピンで収集不備 - 社会

    印刷 遺骨収集の流れ  フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した旧日兵などの遺骨収集で対象外の骨が混入した可能性が指摘された問題で、事業を所管する厚生労働省は5日、現地で収集された鑑定前の遺骨に、フィリピン人や女性・子どもとみられるものが多数含まれていた、との検証結果を発表した。同省は収集作業を現地の関係者に任せ、チェックしなかった。今後は収集や鑑定方法を厳格にする方針だ。  すでに日に持ち帰られた遺骨については、フィリピン政府側の証明書があることを理由に「すべて日兵のものと考えている」との見方を示す一方、違う骨の混入の可能性は「完全に否定できない。遺族に疑念を持たれている」とも説明。いったん東京・千鳥ケ淵の戦没者墓苑に納骨した約4500柱を同省の霊安室に移す異例の措置をとったことを明らかにした。  厚労省はフィリピンでの遺骨事業を2009年から東京のNPO法人「空援隊」に委託。10年

    quatroshe
    quatroshe 2011/10/05
    このNPO法人の顧問にズラズラ名を連ねている国会議員の皆様におかれましては、是非ともきちんとした釈明をお願いしたいですね。
  • asahi.com(朝日新聞社):フィリピンでの遺骨収集、戦没者以外も多数 厚労省事業 - 社会

    印刷  フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した日人の遺骨を収集する厚生労働省の委託事業で、日人戦没者でないとみられる遺骨が多数確認されたことが両国関係筋への取材でわかった。フィリピン人の遺骨が収集された疑いが持ち上がり、同省が調査していた。同省はフィリピン政府に収集がずさんだったと認めており、来月にも調査結果を公表するとみられる。  「先祖の遺骨が日人の骨として収集された」と両国政府に調査を求めていたフィリピンの住民らは日政府への補償要求を検討しており、新たな賠償問題に発展する可能性が高い。  厚労省はフィリピンでの遺骨収集を2009年から東京のNPO法人に委託。NPOの現地スタッフを通じ住民らに協力を呼びかけ、日当を払って遺骨を収集した。それまで年間数十柱だったフィリピンからの収集数は09年度と10年度で計約1万7千柱に増えた。このうちすでに3300柱余りが東京の千鳥ケ淵戦没者墓

  • 東条英機・関東 日本軍・アヘン _元関東軍証言1/7

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 47NEWS(よんななニュース)

    タクシー業者「我慢の限界」 高知県内の運賃4年ぶり値上げ 燃油高騰、コロナ後も客足戻らず 利用者はあきらめも

    47NEWS(よんななニュース)
    quatroshe
    quatroshe 2011/02/21
    「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」http://www.geocities.jp/technopolis_9073//「モンゴロイド系の複数の人種が混在」「複数の頭骨にドリルによる穿孔、鋸断、破切などの人為的加工の痕跡」などの特徴
  • Amazon.co.jp: ワシントンハイツ: GHQが東京に刻んだ戦後: 秋尾沙戸子: 本

    Amazon.co.jp: ワシントンハイツ: GHQが東京に刻んだ戦後: 秋尾沙戸子: 本
  • 池田香代子ブログ : ワタシは何者であったか 大道森(だいどぅーむい)のしゃれこうべ - ライブドアブログ

    2010年10月22日00:00 カテゴリ社会・世界情勢お知らせ ワタシは何者であったか 大道森(だいどぅーむい)のしゃれこうべ ワタシは何者であろうか。 かつて何者かでありはした。生まれた場所も、住んでいた場所も、親きょうだいや友だちの名もあったはずである。通った学校もあったはずである。 死んだ時に何者であったか、これははっきりしている。 大日帝国の兵士であった。 そして今、ワタシは何者であるか。それ以前に何であるか。これはワタシの遺骨だ、と言っていいのであろうか。こうして65年ぶりに、沖縄のていねいな手によって掘り出され、沖縄のねんごろな手によって洗われ、沖縄のふるえを抑えた手によって切られたシャッターのおかげで、万人のまなざしに晒されているワタシのしゃれこうべ、その中で、65年かけてその内部が沖縄の土へと置き換わりつつもなお残った奇跡のかけら、ミイラと化したワタシの脳みそは、怨の涙

  • asahi.com(朝日新聞社):日本人遺骨収集事業に反発 フィリピン、盗難続発背景に - 社会

    親や孫の遺骨が盗まれた洞窟墓地の前で嘆く先住民族の親子=ミンドロ島、四倉写す  フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した日人の遺骨を収集する厚生労働省の委託事業に対し、遺骨の収集や確認方法に問題があるとして地元住民や戦没者遺族、事業に協力してきたフィリピン国立博物館などから中止や改善を求める声が上がっている。同国各地で人骨盗難事件が起きていることが背景にある。  比中部のミンドロ島東部で今年6月27日、大量の人骨を運んでいた先住民族の男3人が住民に捕まった。100カ所以上の洞窟(どうくつ)墓地から1千人分以上の住民の遺骨が持ち出された形跡があった。先住民族組織代表のアニウ・ルバグさん(40)らによると、うち2人が「骨を集めている者に売るために洞窟から盗んだ」と認めた。  同島では厚労省の遺骨収集が行われている。ルバグさんらは「男たちが祖先の骨を日人の遺骨と偽って提供しようとした疑いがある

    quatroshe
    quatroshe 2010/10/02
     このNPOって、国会議員が顧問にズラズラと名を連ねているとこ?/現地の人間に金払って集めさせるなんてことしてりゃ、そりゃそうなるだろ。数より手間を重視すべきなんじゃないのか。
  • 時事ドットコム:ソ連情報を米に提供=終戦直後、旧陸軍関係者ら−復権狙い?資料発見

  • 東京新聞:終戦の日に考える 歴史は沖縄から変わる:社説・コラム(TOKYO Web)

    鳩山由紀夫前首相を退陣させた普天間基地問題は、沖縄の戦後がなお終わっていないことを告げる事件でした。歴史は沖縄から変えねばなりません。 「米国に依存しつづける安全保障、これから五十年、百年続けていいとは思わない」。前首相の辞任演説。同感なのですが、いったいこの米国依存の体質はどこからきたのでしょうか。

  • 戦後50年 戦争と障害者

    戦後50年 戦争と障害者 はらみちを 戦後50年、今年ほどさまざまなカタチで戦後の記録・隠されていた実態が噴出した年はなかった。 この巨大な集団殺戮のパニックが暴かれへドのように吐き出される惨状に唖然と息をのんだ。これは人間のすることとは思えぬ。だが戦争という巨大な悪魔は人間を狂わせ、暴走したのだ。砲丸を叩きこみ牙をむき襲いかかる兵士に逃げまどう住民、尚も執拗に追う手榴弾、火焔放射器、非戦闘員であろうがなかろうが犬1匹も容赦しない、この集団殺戮の景色の中、障害者が1人もいないことに気がついた。これはおかしい、あの非戦闘員の中に障害者は1人もいなかったのか、いないことはあるまい。いつの時代も障害者は存在したのだ。その歴史は鮮やかに残っている。 障害者の視点からみた記録はないのか…これでは50年前の戦争という歴史の中で、障害者は1人もいなかったことになる。この歴史の中のポカッとあいた空白をその

  • 【元気のでる歴史人物講座】(83)仁科関夫 「君が為…」21歳の辞世 - MSN産経ニュース

    回天特攻を創案し訓練中に殉職した黒木博司少佐の遺志を受け継いだのが盟友、仁科関夫(にしな・せきお)海軍中尉(死後少佐)である。黒木と肝胆相照らした仁科は指導教官として後進の訓練に全力を尽くした。 昭和19年11月8日、回天特別攻撃隊菊水隊が出撃した。第1回出撃者12人は仁科が選んだ。先頭に立つのは仁科である。全員「七生報国」と墨痕鮮やかな白鉢巻きを締め、仁科は黒木の遺骨を納めた白布で包んだ小箱を首につるした。部隊の全員、基地である大津島(山口県徳山湾)の人々、女子挺身隊(地元の10代の女子生徒)らがこみあげる嗚咽(おえつ)を懸命にこらえて見送った。 11月20日、菊水隊は西太平洋ウルシーに碇泊(ていはく)する米艦隊群に突入した。12艇中5艇が突撃に成功、数隻を瞬時に撃沈した。仁科は先陣を切り見事命中した。21歳であった。 「君が為只一筋(ただひとすぢ)の誠心(まごころ)に当りて砕けぬ敵やあ

    quatroshe
    quatroshe 2010/08/12
    ああなるほど。メインレースに負けて最終レース取り戻しを夢見る優柔不断な大元帥閣下と、大西やこいつらのとった外道の戦法が、アメリカをして外道爆弾の使用に導き、広島・長崎の30万人を死に追いやったわけか。
  • 東海村臨界ヒバク事故4周年東京圏集会・肥田舜太郎さん「58年間ヒバクシャを診てきた」

    2003年9月30日 東海村臨界被曝事故4周年・東京圏集会 (東海村JCO臨界被曝事故4周年東京圏行動実行委員会主催) 58年間ヒバクシャを診てきた アメリカと日が隠していること 肥田 舜太郎さん (医師、広島で原爆にヒバク、映画「ヒバクシャ」(リンク)に登場) どうも皆さま、初めてお目にかかります。肥田舜太郎という内科の医者です。医者といっても、1917年生まれで今86歳ですからもう古ぼけた医者なんですけれども、偶然ですけれども、私、広島の陸軍病院で軍医として働いていてヒバクをします。それからヒバクシャと縁が切れずに、ずっとヒバクシャにかかわった仕事をしてまいりました。そして自分でこの58年間、広島でヒバクをした人間がどういうふうにして死んでいくかということをずっと見届けてきました。まだ今でも死んでいます。 で、世界、あるいは皆さんもそうですが、広島・長崎の原爆が人間に何を

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    諏訪之瀬島(鹿児島県鹿児島郡十島村)2024.8 はじめに 1日目 中心部・ナベダオエリア 元浦エリア 2日目 元浦エリア・中心部 切石エリア 3日目 はじめに 前回の「フェリーとしま2乗船記」にも書きましたが、諏訪之瀬島に行ってきました。今回は、その諏訪之瀬島の記事です。 kakoyuu.hatenablog.com 諏訪之瀬島は…

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    quatroshe
    quatroshe 2010/07/20
    自分たちの政治的敵対者を罵るキーワードの一つが「偽善者」でありながら、かの戦争を「植民地解放が目的だった」とか、非常におもしろい観察思考脳力を抱えた連中ってのがいるんだよな。
  • 東村有銘で住民2人虐殺 日本兵、米兵を銃殺後 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 東村有銘で住民2人虐殺 日兵、米兵を銃殺後2010年6月13日  東村有銘であった住民虐殺とみられる事件について語る大城晃さん=12日、名護市の羽地支所 沖縄戦さなかの1945年4月、東村有銘で日兵が住民2人を殺害したとみられる虐殺事件があったことが12日、明らかになった。当時、県立第三中学校から独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊)に動員され、撤退の途中で事件を目撃した大城晃さん(81)=西原町=が12日、名護市教育委員会が主催し、島北部で行われた平和体験学習で証言した。大城さんが事件を公の場で発言するのは初めて。  大城さんによると、45年4月26日ごろ、米軍の斥候兵3人が有銘集落に入り、日兵と銃撃戦になった。米兵2人が銃で撃たれて死亡。米兵1人は逃げる途中、海岸沿いの避難小屋で生活していた10代半ばの中南部出身とみられる避難民の男性2人を人質に取った。 日兵は、2

  • 乳幼児8人強制死 新証言 日本兵が銃殺、親も毒薬や素手で - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 乳幼児8人強制死 新証言 日兵が銃殺、親も毒薬や素手で2010年6月1日  乳幼児が次々と死に追い込まれた状況を証言する石川静子さん=2010年4月、うるま市の自宅 1944年7月のサイパン陥落前後、激しい地上戦で島の北部に追いつめられた県出身で親類同士の0〜4歳までの乳幼児8人が日兵や親の手で次々に死に追い込まれたことが、複数の親族の証言で分かった。そのうち1人は避難していた壕内で日兵が銃殺。それがきっかけとなり、親類の親らが毒薬や素手で2人の子を手に掛けたという。この壕では親類以外の子も「大勢死んだ」と証言者は話しており、混乱状態に陥った壕内で乳幼児を巻き込んだ「集団自決」(強制集団死)が起きたことも明らかになった。琉球新報の取材で証言者は一様に「体験を話すのは初めて」と語っている。 証言したのは当時、サイパン島の北部に住み、親族らで戦場を逃げ回った久高樽さん=故人、うる

  • 狂気の「ぶち殺せ!」標語

    『主婦之友』昭和19年12月号 昭和17年から20年までの、いわゆる「決戦下」の婦人誌は、「必勝の耐乏生活」 「勝利の頑張り生活」「戦う育児生活」などなど、特集タイトルを見るだけで、泣けてくるほどのトンデモぶりだ。 中でも『主婦之友』のこの号は群を抜いてい る。特集は「これが敵だ! 野獣民族アメリカ」。興味深い記事内容は次回に紹介するとして、それ以上にスゴイのが、総52頁のうち21頁にわたって という4パターンのスローガンが刷り込まれていることだ。1頁めくれば「……ぶち殺せ!」次の頁には「……生かしておくな!」……。 これには驚いた。誌面全体が異様な憎悪と興奮に満ちている。『主婦之友』編集部の〈呪い〉にも似た「ぶち殺せ」スローガンは、敗戦直前の昭和20年6月号まで続き、 と、さまざまなバリエーションで繰り返された。戦時史研究家・高崎隆治氏によれば、この『主婦之友』昭和19年12月号は古書店

    狂気の「ぶち殺せ!」標語