映画監督の大島渚さん=2000年6月、神奈川県藤沢市 「愛のコリーダ」「日本の夜と霧」をはじめ、日本映画史に残る問題作、話題作の数々を撮り、国際的にも高い評価を得た映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが、15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。80歳だった。葬儀は未定。喪主は妻で女優の小山明子さん。 1932年、京都市生まれ。54年に京都大法学部を卒業し、松竹大船撮影所に入社。59年、脚本も書いた「愛と希望の街」で監督デビューした。60年の「青春残酷物語」などで見せた、性や暴力の荒々しい表現、色濃い社会性から、吉田喜重、篠田正浩両監督とともに「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と呼ばれた。 同年、自身の経験を下敷きに、学生運動と、その挫折を描いた「日本の夜と霧」が公開されたが、浅沼稲次郎・社会党委員長刺殺事件が起きたため、公開わずか4日で上映中止になった。それをき