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ブックマーク / aketekure.hatenablog.com (38)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    カネゴンは好きでないものをめったに表明しないのだけど、Excelというソフトウェアに対してだけは近年になるほど憎しみが募ってしまう【可愛さ余らぬおれカネゴン】。なおWordに関しては諦めの心境です。 これまで、いったいどれほどの生産性・創造性がExcelによって無駄に地面に吸い込まれてしまっているだろうか。 Excelの恐ろしさの1つは、それをいじっているだけで何か仕事をした気になってしまうところだったりする。実際にはExcel操作の9割5分は単なる画面レイアウトの微調整であり、ほんの僅かな操作で印刷レイアウトはガタガタに崩れてしまうために、皆大変な苦労をして何かするたびに毎度毎度レイアウトを維持するはめになる。 Excelブックは、百歩譲ってもせいぜい中間生成物として最小限に使うだけにとどめるべきであり、Excelフォーマットのまま顧客に渡したり、地震データのような重要なデータをExce

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    rikuo
    rikuo 2014/01/21
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    復活のついでに、カネゴンのとっておきの文章術を今頃になってここに晒します。 実はカネゴンの文章の書き方にはたった一つのこつしかなく、それは「結城浩さんが読んで悲しみそうなことは書かない」というものだったりする。別に結城さんでなくても誰でもいいのだけど【誰でもよかったおれカネゴン】、一人そういう人を心に定めておくことで、カネゴンが不要な毒をここで放出して爆発炎上決壊沈没することを防ぐことができたと今にしてみて思う。 ネットで炎上しないためのプラクティカルな方法は、実はそれ以外になかったりする。特に、自分の中にいて自分を外から観察している神みたいなものを心の中に持たないことの多い日人には、一番向いている方法だと思う。 それに、このルールに抵触しなければ何を書いてもいいということなので、カネゴン的には文章を書くうえで何の不自由もなかったりする【カエルの面におれカネゴン】。

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  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    オープンソースの要であるGPLは、コードという知的財産を独占させないためのものであるとカネゴンひとまず理解しているが、憎まれっ子世に憚る、あの手この手で基的には数式と変わらない(数式には基的に特許は認められない)ソフトウェアを独占(というより「隠す」という方が正しい)しようとする動きは止みそうにない。純粋に「誰のものでもない」ものにしようとすると(GPLがそれを目指しているわけではないが)、そういう誰かのものにされてしまう可能性があるがために、仮にでも「誰かのもの」にしておく必要があるということだろう。 江戸時代には、面白い数学の問題を考えたりそれを解いたりしたら、絵馬に描いて神社に納めるという美しい習慣があった。果してGPLはオープンソース神社に絵馬を奉納する行為に相当するや否や。「誰のものでもなけりゃ、とりあえず神様のもんということにしとくべ」という考え方は、どうもキリスト教圏内で

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    rikuo
    rikuo 2011/10/21
    『GPLに「奉納」という概念を持ち込み、オープンソース神社を建立しようではないか。』
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。 http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-21136220110517 音楽的にどの辺がいいのか昔からカネゴンにはさっぱりわからなかったジョンレノンの「イマジン」で、「天国なんかないと想像してごらん」という一連の歌詞の一体どのあたりが9.11のときに放送禁止になるほど衝撃的なのかが今ひとつピンと来ていなかったのだけど、実はどうやらキリスト教的にものすごく不敬な感じを意図的に出しているらしいと今頃になって見当がついた。日で言うなら「天皇陛下が最初からいなかったと想像してごらん」ぐらいしないとたぶんこの感じは全国津々浦々に伝わらないと思う【伝えて逃げるお

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    rikuo 2011/05/19
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉である。 NIMBYによる反対運動は、施設が建設されると地域に対して環境被害などの不利益をもたらすと主張する場合が多い。不利益の内容としては、「施設から直接的に健康上や安全上の被害を受ける」「施設があることによって地域に対するイメージが低下する」といった点が多い。 NIMBYの対象となる施設としては、主観も含まれ判断が分かれるが、一般的には次の物が挙げられる。 下水処理場 火葬場 霊園・墓地 ペット霊園 軍事基地及び軍事施設 刑務所 原子力発電所、放射性廃棄物の保管施設や最終処分場などの原子力関連施設 交通機関(車両基地、新幹線などの鉄道施設や空港) 道路 最終処分場 肉処理施設 精神科

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    rikuo 2011/04/14
  • ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法 - あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記

    ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法: たった今から明日までに、何かのテーマに沿った名前を200以上考えてくる。それぞれの名前には必ずその由来も示すこと (月形龍之介=月形半平太と机龍之介からのいただき、など)。 200作れない場合はもの作りについて即座にあきらめ、別の道を選ぶこと。 テーマの例: 戦隊物のメンバーの名前 敵となる悪の組織の首領幹部のすべての名前 絵画/美術品/曲のタイトル 書籍のタイトル 論文のタイトル TV番組名 新しく立ち上げる劇団の名前 お笑いコンビの名前 新党の名前 何の根拠もなく書いているのだけど【それがいつものおれカネゴン】、もの作りの能力が最も必要となるのが、この「それっぽい架空の名前を何のためらいも恥じらいもなく次から次に作り出す」ことだとカネゴン思ってしまう。極端な話、創作のできない人はまず間違いなくこの関門をクリア

    ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法 - あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
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    rikuo 2010/07/25
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「インフルエンザ21世紀 (文春新書)」という、Tumblrに流せばたちまち100人単位でリブログされること請け合いの記述がどのページにも満載されている傑作ドキュメンタリーで、「クロスロード」という防災シミュレーションゲーム(テーブルゲーム)があることを初めて知った。以下同書より多少かいつまむ。シチュエーションは地震発生後。 「あなたは、料担当の職員。被災から数時間。避難所には3000人が避難しているとの確かな情報が得られた。現時点で確保できた料は2000。以降の見通しは、いまのところなし。まず2000を配る? Yes or No?」 あなたはYesかNoのいずれかのカードを出さねばならない。それ以外の回答は認められない。プレイヤー全員がいっせいにカードを開くと、回答が予想以上にばらつくことに誰もが驚く。 「クロスロード」とは決断を迫られる分岐点を表す。このゲームは予想以上の反響を

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    rikuo 2010/06/21
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    全国のお年寄りが全員死に絶えるまでに、彼らを総動員して少なくとも明治時代ぐらいからのあらゆる公文書、私文書、論文、書籍、雑誌を片っ端から電子化しておいてもらわないとかなりまずいのではないかという気が普段からしている【朝から晩までおれカネゴン】。その時代の文章を普通に読み書きできる人が絶えてしまったら、入力に必要な手間暇は格段に増えてしまう。 必要なのは入力する人、スキャンする人だけではない。それを読み直して間違いを修正できる校正者こそ必要だし、それならPCを扱えなくても脳と目さえ効けばどんなお年寄りでも参加できる。 英語文化圏のようにタイプライターが早くから普及していた世界ではないので、OCRだけでは何ともなりそうにない。 高齢者の雇用問題を一気に解決し、彼らにとってもおそらく楽しくてしょうがない仕事で、老人ホームで所在なく日々を送る彼らが物の生き甲斐を得られ、さらにボケ防止にもつな

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    rikuo 2010/03/07
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    レイトショーでアバターを見てきた【終電すれすれおれカネゴン】。 何だか全体的に10年ぐらい前の宮崎アニメに対する敵意に満ち満ちていて、監督の「ナウシカが何ぼのもんじゃぁ」「絶対に屈服させてやる」という叫び声が聞こえてきそう【仮想敵国おれカネゴン】。 ありとあらゆる3D技術をかき集めまくって観客を足下にひれ伏せさせようという物量作戦がいかにも米国流で、期せずして編の悪役である出張地球軍と同じようなことをしているのはおそらく狙ってやったのではないと思われる。 ネイティブアメリカンなどのアジア人をミックスしたような出で立ちの現地人たちなのだけど、その現地人たちの演技や表情は一人残らず頭から尻までアメリカンで、宮崎アニメの登場人物が何人であっても結局日人でしかないのと同じように互いにいい勝負をしていた。民族が征服されると後年そのエキゾチックな要素が娯楽のために使い回され消費されて、征服した側の

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    rikuo 2010/02/11
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    脳のせいなのか何なのか、だまし絵などではない単なる絵であるもかかわらず、不思議に生き生きと動いて見えるような絵がある。カネゴンは昔の漫画しか知らないのでその範囲で書く。 手塚治虫は「僕は、動かないものを見るといらいらするんです」という言葉に表されているとおり、止まっているはずの絵を動かすこと、つまり生き生きとさせることに常に腐心し続けていた。そしてその代償でもあるかのように、色のセンスだけはまったく凡庸だったりした。 ついでながらカネゴンアイには、上田トシコの「フイチンさん」や、オリジナルの「ひとまねこざる」も手塚治虫に負けず劣らず、もしかすると手塚治虫よりももっと絵が動いて生き生きして見える。 その逆に、絵を動かす気など毛頭ないのが水木しげるあたりで、昔の漫画はほとんどが両者の中間のどこかに位置していたという感じ。 今から思えば、大友克洋の絵が驚きだったのは、動いているものを徹底的に静止

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  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    川内康範師の教えをピンポイントで完全に理解した人物をもう一人発見。全文引用したいところを必死で堪えましたので、リンク先で一滴残らず読み干していただけると幸いです【猛烈反省おれカネゴン】。 川内康範は生涯「他人の傘になる」ことをめざしました。 最愛の母の「大人になったら他人の傘になれるような人間になりなさい」との教えによるものです。 その熱い思いは森進一の歌う「おふくろさん」の詞の「世の中の傘になれよと教えてくれた」に結実して表現されています。 「傘になれ」とは「やさしくあれ」ということでございます。 6年前、作曲家曽根幸明が脳梗塞で倒れたとき、康範が激励して半身不随の曽根に「渾身の一曲」を書かせました。 その曲に詞をつけて曽根とはともに30年来の付き合いのある森進一のところに「傘になってやってくれないか」頼みに行きました。 ところが森は曲を見ることも無く冷たくあしらい、曲が世に出ることはあ

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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    rikuo 2009/06/21
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    カネゴンはかれこれ30年ほど前から、学習用に式の変形を支援するようなシステムを空想していたのだけど、今のところこの作りかけの論文以外に見当たらない【決して作らぬおれカネゴン】。英語圏にも見つからない。 カネゴンが考えているのはこんなシンプルなもの: たぶんTabletPCとか巨大なiPhoneみたいなところで動作する。普通のPCでもいい。 まず最初の式を入力する。キーボードからでもいいが、手書きでできるとなおいい。 その式を選択して下に引きずると、式が複製される。 複製された式に操作を加える(両辺に同じ数を足すとか両辺を微分するとか)。 等式なら、右式と左式のどちらかに何か操作をする(何かを足すとか引くとか)と、自動的に反対側の辺にも同じものが現れる。 不等式なら、負の数を右式と左式のどちらかにかけると不等号の向きを自動的に変えてくれる。 式変形がひととおり終わったら、式変形全体をアニメー

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    実際のところ、皇室の皆様は右翼のことをどう思っているのだろう【とても気になるおれカネゴン】。愛い奴らだと思っているのか、それとも実は一刻も早く消えて欲しいほど目障りで仕方がないのか、間を取ってありがた迷惑だったりするのだろうか。

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    rikuo 2009/06/08
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    この日記のおさらい: 賢さとは、「いかに無駄なことをしないか」と定義づけられる。 賢さの度合いは数値化できない。賢いと馬鹿には、順位のみがある(加法性を持たない)。 当人の賢さの度合いにかかわらず、どんな人でも他人を賢さにおいて順位づけることが可能。 賢い人が馬鹿になることは可能。 馬鹿が賢くなることは不可能。 賢い人は、もっと賢くなりたい人とそうでない人がいる。 馬鹿な人は、賢くなりたいと思う人とそうでない人がいる。 世の賢い人は例外なく、馬鹿がこの世からいなくなればよいのにという非合理的な願望を抱く。 それでいて、世の中の馬鹿が当に一人残らず賢くなったら、賢い人たちはものすごく嫌な顔をする。 このことを実験心理学で裏付けるのはとてつもなく困難に思えるのは気のせいだろうか【実験不要のおれカネゴン】。

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    rikuo 2009/05/22
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    この間の続き。 カネゴンもご多分に漏れず、人は常に最適解を求めて右往左往しているのだと思っていたのだけど、昔誰かが「人は基的に前回と同じことを今回もするのです。前回の方法が最適であろうとなかろうと。」と指摘していたのをみてなるほどと思ったりした【毎度変わらぬおれカネゴン】。それを違う言葉で言い表すと「性格」というのかもしれない。ことほどさように、いい人はいい人の範囲で、悪い人は悪い人の範囲で、怠け者は怠け者の範囲で、好き者は好き者の範囲で行動し、めったなことで行動パターンを変えてはくれないことを痛感。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    rikuo
    rikuo 2009/03/18
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    不景気が始まる兆候: 梶原 「名古屋は、最近どうなんですか?」 運転手 「ひどく悪いです。地元では、半年前までは名古屋の一人勝ち。さすがトヨタの城下町と浮わついてたのがうそのようです。実は、私は、1年も前に今の状況を予測していたんですよ」 梶原 「超能力者みたいですね」 運転手 「30年以上この仕事やってると、不況に突入する予兆が見えるんです。その頃すでに、はっきりとした兆候が3つあったんです」 梶原 「ほお。1つ目は?」 運転手 「確かに水揚げは好況時と変わりませんでした。でもね、私は、おや? と思った。お客さんのお金の払い方が違ってきていたんです」 梶原 「どういうふうに?」 運転手 「会社のタクシー券が極端に減り始め、現金で払い、領収書を持ち帰る人が増えた。会社が交通費抑制のため、あえて社員の事務手続きを煩雑にしてきたからでしょう。リーマンショック以降は、それもなくなりましたが」 梶

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    総理大臣を、各都道府県知事を昇格させる形で選んだらだめだろうか【黒い企みおれカネゴン】。その財政および行政で、数字でわかる具体的な成果を最も挙げた都道府県の知事を総理大臣とする、というルールにすれば、常に歴然とした実績が伴った総理大臣を永遠に選び続けることができるのではないかと。成果はもちろん絶対値ではなく、前任者のときからの相対的な改善値を基準とする。 さらに、総理大臣を輩出した県の県庁所在地を、総理の在任期間中日の首都とするルールにすれば、日全国の県民が是非自分の県を首都にとばかり一人残らず目を血走らせ、事も抜いて節約に励んで知事に協力しまくり、地方財政が永遠に改善され続けるうえに、地方の産業も文化もそこらのお祭りなど目ではないぐらいどえらく盛り上がり続けたりしないだろうか【日を壊すおれカネゴン】。 どうせやるなら、町内会から始まって村/町/市区/県と同じようにどんどん昇格ルー

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    rikuo
    rikuo 2009/02/19
    このルールで学級委員長から総理の椅子を掴むまでのマンガが読みたいなぁ。
  • 2009-01-24

    今日の実音:「Music for 18 Musicians」Steve Reich(Key=Gm) 株式や投資などから利益を得るということが、未来から金を引っ張ってくる行為なのだとしたら、金を引っ張られた未来が不景気になるのは避けがたいことだったりするのだろうか【タイムマシンとおれカネゴン】。ちょうど、ゲームやおもちゃを販売するということは実は子供が将来生み出すはずの利益を今お金に換えてそれをかき集めることに等しいように。 人前で子供に言われて焦った無邪気な一言【もしや今でもおれカネゴン】。 漫画喫茶で久しぶりにうしろの百太郎を読み返す【何度も読むのがおれカネゴン】。 連載途中から大人気になったらしく、読者からおびただしい霊体験レポートと助けを求める声(主に精神病院から)が怒濤のように寄せられ、ほったらかすわけにもいかなくなった作者が完璧に頭を抱えている様子が手に取るようにわかる。なお、論

    2009-01-24
    rikuo
    rikuo 2009/01/24
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    芸術とは、我らが隣人の営為である。作品鑑賞の際に、この前提を失念してはならない。 若い頃は、常人には及びもつかない天賦の才に恵まれた者だけが、芸術作品を制作できると信じていた。それ故、欠点が目に付くと、どうしても批判的にならざるを得なかった。天才なら完璧なものを作れと。しかし、今でははっきりとわかる。芸術作品の大半は、知性も感性も、一般市民とそう大して変わらぬ者たちが苦労して作り上げているのだと。どうしても意に満たぬ所、技巧の及ばぬ点が現れてしまう。これは、人間の営為である以上、必然的な結果であり、責めるわけにはいかない。むしろ、作品を鑑賞する側が、不足する部分を補完するように努力すべきである。すなわち、芸術作品とは、現実には存在しない完璧なものを目指して、芸術家と鑑賞者が共同作業によって作り上げていくものである。くれぐれも、あら探しばかりする愚かしい批評家くずれに成り下がってはならない。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    rikuo
    rikuo 2009/01/23
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    カネゴンも勝手に追加【規則がいっぱいおれカネゴン】。 イヤミを書かない。そのイヤミは、実は誰にもウケていない。 妬みを書かない。その妬みは、実は誰にもウケていない。 怒りは、イヤミや妬みと根的に違うにもかかわらず、どういうわけか混同されがち。ほとんどの場合、自分にとっては怒りでも、他人から見ればイヤミと妬みでしかない。 イヤミと妬みは、せめてぼやきに昇格するまで書かない。 技術がないなら、怒りは悲しみにくるんで表現しろ。怒りをストレートに表現してなおかつウケるには、実は並々ならぬ高度な技術が必要。 後は「改善する方法」に。

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