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ブックマーク / izumino.hatenablog.com (2)

  • VTuberの「ギャップ」と演劇集団としてのにじさんじSEEDs - izumino’s note

    スピンオフとしてのVTuberのかたち ギャップ型のVTuberと脚型のVTuber ギャップは当に存在するのか 演劇集団としてのにじさんじSEEDs SEEDsと一二期生 VTuberと呼ばれる存在も、実際はさまざまなタイプに分かれていることについては多くの人に実感があると思う。 そもそもVTuberという枠組みが「VTuberっぽさ」という、なんとなくのイメージを中心にして拡張されてきたものだという話は、以前のエントリでも触れた。 izumino.hatenablog.com 元祖「キズナアイ」という金字塔を中心として、少しずつ意味をズラしながら曖昧になっていくVTuberの概念(例えば後発の人気VTuberの多くは彼女のように「AI」を自称しない)は、様々な新規参入を受け入れる器になっているとも言える。 スピンオフとしてのVTuberのかたち 全体から見て主流ではないため目立たな

    VTuberの「ギャップ」と演劇集団としてのにじさんじSEEDs - izumino’s note
    rikuo
    rikuo 2018/11/08
  • 「バーチャルYouTuberっぽさ」の中心と辺縁について - izumino’s note

    自分がバーチャルYoutuber(Vtuber)をフォローするようになったのは2017年の年末に輝夜月を見てからで、翌年の1月頃にときのそらを知り、3月に入る頃には月ノ美兎をファンアートで知ってやや遅れ気味ににじさんじ中心に追いかけるようになったという流れだったと思う。 今では時間が許すかぎり、外出時を除けばほぼ毎日色々な動画を再生している。そこそこヘビーなユーザーと化していると思うが、漫画やアニメ、趣味ゲームやTV番組録画なども以前と変わらず楽しめているので幸いに(?)Vtuber一色の生活になったという感覚は薄い。 それでも、「未来の文化」になりつつあるVtuberの世界に大きな魅力を感じているのは確かで、大小を問わずVtuberについてのことを考えない日はない。 これまた幸いなことに、物書きとしてこの世界に関わることもできるようだ。媒体はまだ伏せておくものの、当にありがたい話だと

    「バーチャルYouTuberっぽさ」の中心と辺縁について - izumino’s note
    rikuo
    rikuo 2018/05/31
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