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thoughtとpositionに関するrikuoのブックマーク (2)

  • ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない

    とりとめのないことを書きます。 ブログやら、ちょっと前だったら日記? テキストサイト? みたいなものをずーっと読んでると、それを書いてる人自身に興味がわいてくるってことがありますね。自分の好みの文章を書いてたり、度を超して面白いことを書き続けてたりする人だと、だんだん「いったいこの人はどんな人なのだろう」と思い始める。そしてそれが高じて、「なんかちょっと、一回会ってみたい。飲んでみたい」みたいなね。 ないんです。ない。基的に会いたいとかビタイチ思ったことない。ずーっと書き続けてほしい、ずーっと面白いものを読ませてほしい、とは思うけど、会いたいと思わない。会っても「あ、ども……」くらいしか言うことないし……。いやそんなことないわ。「○○さんの文章、超好きなんですよ!」くらいは言うけど、別に会ってまで言うこと違うし。ネット上で言えるし。 文章が好きであればあるほど、なんか逆に会いたくないみた

    ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない
  • レズビアンは百合やレズビアンにたいして妄想を持たずつねにリアルの側に立つのか。(んなこたーねーよ) - みやきち日記

    女は女や少女にたいして妄想を持たずつねにリアルの側に立つのか。 以下は千野帽子氏の「文藝ガーリッシュ・お嬢さんの第二の箱」(中日新聞夕刊で連載中)からの引用です。「男はキタナイ・少女はキレイ」みたいな思い入れのもとに百合物を漁っている女性には、かなり耳が痛い内容なんじゃないかと思います。 男が女や少女にたいして幻想・妄想を持っているとはよく言われるところですし、厳然たる事実でもありますが、じゃあ女は女や少女にたいして妄想を持たずつねにリアルの側に立つのか。男がハードボイルド小説や池波正太郎やライトノベルで幻想の「男・少年」像を持つように、少女漫画的なもの(といってもいろいろあるけれど)を媒介とした女読者の「少女」像だって、「内なる自己像」という自己愛的な妄想です。(引用者中略)女性読者が自分の実体験を根拠に、川端康成ら男性作家の女人像を「所詮男のファンタジー」と一蹴するのは簡単です。けれ

    レズビアンは百合やレズビアンにたいして妄想を持たずつねにリアルの側に立つのか。(んなこたーねーよ) - みやきち日記
    rikuo
    rikuo 2007/01/06
    なるほど。自分も「障害者」という立場でやってしまいそうなので自戒。
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