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ブックマーク / yoghurt.hatenadiary.com (2)

  • せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族

    TVでは、芸能人が我々に呼びかけている。「デマに騙されないようにしよう」ずいぶんと難しいことを言ってくれる、とおれは思う。デマに騙されようと思って騙される人間はいない。みな、正しいことをするつもりで間違えるのだ。 芸能人たちはこんなことも言っていた。「被災者の気持ちになって考えよう」確かにこれは大事なことだ。けれど、難しい。とりわけおれのような人間にとっては。おれは頭が悪いから、福島の原発について、土地を奪われた人間の気持ちをほんとうには想像することはできない。ただ、自分に置き換えて考えてみることしかできない。 もしも、自分の住む街に原子力発電所があったらどうだろう? 自分の故郷が、放射性物質に汚染されてしまって、二度と帰ることできなくなってしまったらどうだろう? しかも、その原子力発電所は遠く離れた東京に電気を供給するための施設なのだ。なぜ、自分たちだけが、東京の犠牲にならなければならな

    せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族
  • 父親が、自動車だった - 未来の蛮族

    ずっと、自分の車を持つことに憧れていた。 それは、僕という人間が、どうしようもなく二十世紀人であるからかもしれない。 二十世紀の男にとっては、車はただの機械じゃないのだ。 二十世紀の僕、まだ幼い子供だった僕は、エンジンと、四つの車輪を持つものには何だって憧れていた。 ポルシェ、メルセデス、トヨタ、ホンダ、フォード……。今では何一つ覚えちゃいないのだが、当時の僕は世界中の車を暗記していたらしい。 スポーツカーが好きだったし、ファミリーカーも好きだったし、消防車だって愛していた。 当時の僕の愛読書は、もちろん『しょうぼうじどうしゃ じぷた』*1だ。 しかし、何といっても一番好きだったのは、我が家の車だ。 それは、常に幸福な記憶と結びついている。 少し角ばったそのセダンに乗り込むとき、僕はいつだってわくわくしていた。 行き先がどこであろうと関係がなかった。 マクドナルドのドライブスルーだって、当

    父親が、自動車だった - 未来の蛮族
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