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050 書評・批評と90 文字に関するsatoschiのブックマーク (8)

  • タマゴの散歩-文字世界を巡る旅-: ビビアン・クック (2008) 『英語の書記体系』

    文字は音声言語をうつす(移す・写す)手段であるとの説明がしばしばなされる。この説明は、文字で表記された文字言語が、音声で表現された音声言語に対応するという考え方に基づいている。しかしながら、音声言語と文字言語という二項対立だけで文字言語を見ていると、実のところ文字表記の現実のあり方が見えてこないのではないかと私は感じていた。また、『言語学大辞典〈第6巻〉術語編』の「文字」(pp.1340-1344)や「文字論」(pp.1346-1348)の項目では、表音と表語の対立が議論の中心にあり、「表記そのもの」に対する議論が希薄であるように感じられていた。 それに対して書は、「表記そのもの」=「表記体系」を議論の中心に据えたである。 原著は全7章からなる。それぞれの章の文は「全体のレビュー+文+まとめ」という構成を意識して書かれている。しかも、文の内容をより深く理解するための問題が随所に設

  • おおらか 古代の文字 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    古代の木簡を読める人は、ほとんどいないだろう。文字がかすれ、見えにくいというだけではない。書き方が独創的すぎるのだ。最近出版された奈良文化財研究所編「日古代木簡字典」(八木書店)を見ると、そのことがよく分かる。 字典には、奈良時代の木簡に記された約1000種5000字がそのまま掲載されている。例えば「マ」や「ア」のような字がある。カタカナではない。どちらも「部」という漢字だ。左側は略して右側の「おおざと」だけを崩して書いたわけだ。 「一」のような「八」もあれば、「心」のように見える「正」もある。もちろん、きちんと書かれた字もあるため、なおさら混乱してしまう。 しかし、編集した同研究所の馬場基研究員は「文脈や筆の運びを追っていけば読める」という。地道な研究を積み重ねることで、省略やごまかしなども分かるようになるそうだ。 古代の文字は、同じ漢字でさえ書き方や形が千差万別。だが、それだけ「おお

  • 文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ :『Writing System』 Geoffrey Sampson (Stanford University Press)

    →紀伊國屋書店で購入 "A Linguistic Introduction"と副題にあるように、アメリカ言語学者が言語学的視点から書いた文字の概説書である。 最初のページからジャック・デリダの『グラマトロジーについて』が出てくることから察せられるように、著者のジョフリー・サンプソンは理論家を志向しているらしく、文字カタログになりがちのこの種のとしてはすこぶる理屈っぽい。アンドルー・ロビンソンが『図説 文字の起源と歴史』で暗に批判していたのは、どうも書らしい。 デリダの声の形而上学批判の影響からか、サンプソンは西欧中心主義からの脱却につとめており、全10章のうち3章を極東にさいている。文字言語を音声言語の写しとしながらも、口語と文語の懸隔から、文字言語がそれだけで独立した言語となっている点を明確にした点は注目にあたいしよう。 文字の分類にはつっこみをいれたくなる。(下図参照)。 ┌…概

    文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ :『Writing System』 Geoffrey Sampson (Stanford University Press)
  • 筆写と活字/図説韓国の古書(安春根) - 見もの・読みもの日記

    ○安春根著、文ヨン[女燕]珠訳『図説韓国の古書:歴史』 日エディタースクール出版部 2006.11 出版されてすぐ、カラー図版の多いことに惹かれて買ってしまい、ときどき眺めて楽しんでいたが、ようやく文を読み終わった。正直にいうと、文章には、やや癖があって、読むのがしんどい。「わが国(韓国)の文化」「わが国の歴史」「わが国の古書」が、他国に比べてどれだけ素晴らしいかという点に、非常に力が入っているのだ。 日人の古書談義といえば、天下国家を離れて、粋とか通とか、枯れた雰囲気に接近するのが常だと思う。たぶん中国人や中国学者の場合もそうだろう。だから、書の強烈な愛国臭には、どうにも違和感が拭えなかった。しかし、繰り返すが、書は豊富な写真図版が楽しめるので、全くのしろうとが韓国の出版文化を知るには、手頃な入門書だと思う。 私は、漢籍(中国の古書)が好きなので、展示会などの機会があれば、

    筆写と活字/図説韓国の古書(安春根) - 見もの・読みもの日記
  • 松坂忠則『国語国字論争 ■復古主義への反論■』 - U´Å`U

    国語国字論争 (1962年) 松坂 忠則 新興出版社 1962 売り上げランキング : 1986344 Amazonで詳しく見る by G-Toolsasin:B000JALBI6 1962年刊行。 昭和三十六年(一九六一)三月二十二日に、国語審議会の総会が開かれた。この席上で、五人の委員が、これまでの国語審議会のあり方を大いに非難したあげく、委員を脱退すると声明して席を去った。 国語論争は、以前からくり返されていたものであるが、このことがキッカケになって、にわかに、これまでの規模とは比較にならないほど大きな問題になってきた。 という時代の流れが前提になって、「できるだけ多くの人々にこの問題を考えてもらうほうがよい。」と書かれた。そのためには事実が必要だと言いながら、頭から印象操作に精を出している姿が面白い。作者は現在普通に使われている仮名遣いや漢字制限を主導した人みたいなのだが、旧仮名

  • 『横書き登場』

    知らない分野のを読むのは楽しいなぁ,と再認識させてくれるである。要するに,日にいつ頃から横書きが登場し定着したかを,丹念に資料を追うことで証明した力作にして労作。読んでみて損はありません。 日語は来,縦書きだったことは誰でも知っていると思う。書でもでも百人一首でも時世の句でも,全て縦書きで書かれてきた。実に日語に横書きが登場するのは幕末なのである。 と書くと,「そんなこと言ったって,うちの欄間にかかっている額(扁額)は横書きだぞ」という反論が出るだろうが,これは実は縦書きの変形なのである。これは次のように見ていくとよくわかる。 基となるのは①である。これは誰が見ても縦書きで,床の間なんかに飾ってあるのはこのパターン。 では,紙が正方形だったらどうするだろうか。これが②である。「風林」と書いて改行し,左側に「火山」と書くのだ(「縦書き左改行」が日語の基だから,左に改行する

  • 横書き登場 日本語表記の近代 - 読書日記

    屋名池誠『横書き登場 日語表記の近代』(岩波書店岩波新書, 2003)を読了。『季刊・とコンピュータ』2004年春号で、著者のインタビューを先に読んでしまったので、慌てて積読を捜索した結果、無事発見されたもの。 何というか、単純に、誰もやっていなかったことをやってのけるというのはすごい。著者は、右から左への横書きというのは一行一字の縦書きだ、という通説を確認しようとするところから出発して、近代日における「書字方向」(縦か横か、右から左か、左から右か)の変遷を厖大な資料群を渉猟することで、実証的かつ理論的に語ってみせてくれる。巻末には、調査対象になったコレクションのリストがあって、全国の図書館、特殊コレクション、自筆原稿、マイクロ版集成などを駆使したことがわかる。圧巻。 右から左に書く横書き(これを、「右横書き」という、とのこと)、というのは、日に伝統的にあったものであるかのように

    横書き登場 日本語表記の近代 - 読書日記
  • 書評『本と活字の歴史事典』

    それにしてもや活字という物は何故に斯くまで人を惹き付けるのであろうか。 印刷史研究者6人による論考が納められている書は、B5版2段組510頁という甚だ大部な論文集で、多数の貴重で美しい資料図版が惜しみなく掲出されている。それ故に通読するだけでも少なからぬ精力が要求されるのであるが、まずは執筆者達の活字に対する熱い想いに圧倒される。のみならず、いずれの論からも究めて精緻な実証的手捌きが垣間見え、従前の研究史を書き換える新見に満ち溢れている点にも驚かされる。 とりわけ既に執筆者等にとっては常識となっている事柄であるようだが、木昌造神話から解放された視点での印刷史観は、我々を全く新しい地平に導いてくれる。例えば日で最初に活字を製作したのが木昌造であるという「伝説」が捏造されたものであるという指摘に留まらず、その生成過程までが精密な考証によって明らかにされている。また三谷幸吉が説いた鯨尺

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