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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (35)

  • 「しんにゅう」の書き方: やまもも書斎記

    2009/04/20 當山日出夫 漢字は部首からなる。そして、それら、「部分字体」は基的に統一的である、というのが、基の理解でしょう。 しかし、日の現状では、 1.教育漢字など、ごく身近に接し、手書きで書くことを習っている字については、「てん」は一つ。 「道」「進」「運」「連」とか。 2.なんとなく、普段あまりつかわなく、難しそうで、いわゆる「旧漢字」かなと、ひとびとが感じる字については、「てん」が二つに書かれる可能性がある。 「遡」「遜」とか。あるいは、「邁」「遽」など。 3.実際には、上記(1)(2)の中間段階の字がかなりあるだろう。 「謎」とか。 たぶん、(3)のグレーゾーンの字が、手書き文字としては、問題になる可能性がある。まあ、読めればいい、書ければいい、という意味では、強いて「しんにゅう」の「てん」を、厳密に規定することもないとおもう。コミュニケーションに支障がなければい

  • 記録を残せ:新常用漢字とアーカイブズ: やまもも書斎記

    2009/04/17 當山日出夫 新常用漢字のパブリックコメントで、私は、情報の開示をもとめた。それは、いいかえれば、調査データと、審議の議事録を残すことである。 その理由は、「新常用漢字表(仮称)」という公的な漢字集合を決めるにあたって、どのような経緯があったか、残さなければならない、その義務が日国政府には、また、それを要求する権利が、われわれ(国民)にはある、からである。 映像学部でのデジタルアーカイブ論で、『アーカイブ事典』からの、引用として、フランスのミッテラン大統領のことばを、学生に紹介している。1988年の国際文書館評議会世界大会。 >>>>> すべての国のアーカイブズは過去の行為の軌跡を保存するものであり、同時に現在の問題をも照らし出してくれるものである。過去はそのままにしておくと消え去ってしまうから、記録を残すよう努力をはらわなければならない。記録を処分するかどうか、つま

  • 「飛翔体」考: やまもも書斎記

    2009/04/05 當山日出夫 だいたい、ことの経緯は、「明窓浄机」の方に書いておいた。また、おがたさんの「もじのなまえ」でも言及がある。 明窓浄机 http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/20090405 もじのなまえ http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090405/p1 いったい、日国政府は何をかんがえていたのか?! ミサイルとも、人工衛星とも、確認できない段階で、断定的な表現は避けた。この政治的配慮については、わからなくもない。しかし、そうであるならば、北朝鮮が、「ミサイル/人工衛星/テポドン」の発射を予告した時点において、その時に、どう日国政府として発表するか、用語をかんがえておくべきである。 そして、もし、考えた結果が「飛翔体」であったとするならば、誰が、「新常用漢字表(仮称)」試案、にまともに取り組もうとするだろうか。他に

  • 漢字で書かなければならないということ: やまもも書斎記

    2009/04/02 當山日出夫 ARGの岡さんが、紹介していた。 http://d.hatena.ne.jp/arg/20090327/1238108166 牟田静香.『人が集まる! 行列ができる! 講座、イベントの作り方』(講談社+α新書).講談社.2007 このは、これとして、非常に有益な内容なのであるが、気になったのは、文字についての以下の箇所。別に、ARGとは関係ないのであるが。 >>>>> 区報など行政の広報では、何日もかけて考えたタイトルを簡単に変えて載せてしまうので要注意です。今は方針が変わりましたが、当時は「『ココロ』としてくれ」と言っても、「漢字で書けるものはカタカナではダメだ!」ということでした。『お父さんと一緒』も当は『子育て応援団@エセナ 「おとうさんといっしょ!」』だったのに、最初のフレーズは削除され、「おとうさんといっしょ」はすべて漢字になっていました

  • 読字障害: やまもも書斎記

    2009/04/02 當山日出夫 『病の起源 2-読字障害・糖尿病・アレルギー』.NHK「病の起源」取材班(編著).NHK出版.2009 新聞の広告をみていても、「字」という字が目にとまると、必ず見る。最近、目についたのは、「読字障害」ということば。さっそく買って読んでみた。 結論からいえば、現時点において、「文字」について語ろうとするとき、必読といってよい。 「言語」の能力については、(いろいろ意見や立場はあっても)人間にとって、生得的なものである、ということについては、もはや、言語研究の了解事項であるだろう。特に「障害」が無い限りは、「母語」は自然と身につける。逆に、「母語」を習得できない場合、そこ人は、なんらかの「障害」がある。そして、それは、「脳」の機能にいきつく。おおまかな流れとして、このように考えることに、大方の言語研究者の同意は得られるだろう。 では、「文字」については、どう

    satoschi
    satoschi 2009/04/02
    これはTVを観たが、興味深かった。
  • 書法における字体: やまもも書斎記

    2009/03/07 當山日出夫 文字の話し。漢字字体規範データベース(HNG)を使って論文を書いたりしている。そうすると、基的に、 書体(楷書・行書・草書など) 字体 字形 という、階層概念を設定して、そのなかで、字体の歴史的変遷や、地域的な、あるいは、種々の位相的な差異を見ていくことになる。 ところが、この前、見てきた、法帖(書道博物館・東京国立博物館東洋館)を思い起こすと、この概念が適用できないことが、わかる。簡単にいえば、種々の技法はあるものの、昔の著名な書家の作品を、コピーして残す。そして、そのコピーをお手として、書を学ぶ。 となると、字体も同時にコピーされる。 HNGから得られる知見では、唐代の開成石経から宋版へと字体が変遷していく。おそらく、科挙の試験では、「正字体」を書かねばならなかったのだろう。だから、『干禄字書』が必要になる。 だが、いったん、書法の世界にふみこむと

  • 新常用漢字:文字の理念と規格と規範(3): やまもも書斎記

    2009/02/12 當山日出夫 昨日からさらに続ける。 個人的な感想としてであるが、パソコン(PC-9801)を使い始めて、困ったことがある。 コンピュータ(PC-9801 M2)は、JIS C 6226(1978) プリンタ(NM9300S)は、この83年版 どういうことがおこるか。簡単に言えば、ディスプレイで見えている字と、プリンタで出る字が違う、のである。いま、0213(04)をめぐって起こっている現象を、その昔、リアルに経験したことになる。 このような混乱した状況のなかで考えたことは、 ・当該文献(白氏文集や和漢朗詠集)で使用の文字に近い字があるかどうか ・JIS規格内の異体字をどう処理するか である。無い字は、外字処理になるが、それは別のことである。 現在の漢字辞典に書いてある字が正しい字である。おおむね、この意見には、同調できるのだが、しかし、100%賛成とはいかない点がある

  • 新常用漢字:文字の理念と規格と規範(2): やまもも書斎記

    2009/02/11 當山日出夫 昨日の続きである。 当用漢字が常用漢字になったとき、 ・「制限」から「目安」になった ・字種が増えた ・しかし、にもかかわらず、固有名詞(人名・地名)は依然として対象外であった 私は、この時を、リアルタイムで経験している。大学院のとき。あまり、どう変わったという実感は、無い。まあ、実際に勉強していたのが、『白氏文集』という、どう考えても「常用漢字」では無理な世界の文献であるので、文字が増えることのありがたみは、無かったということになる。 ただ、ひとつ記憶に残っていることがある。新常用漢字になって(あるいは、その案が発表されたとき)のことであったか。漢字制限の立場の人の書いた文章に次のようにあった・・・すでに、当用漢字で新聞などはほとんど書けている、それに、あらたに字種を加えるとは何事であるか、より簡略な日語表記という当用漢字の理念に反するものである・・・

  • 新常用漢字:文字の規範についての意識の変化: やまもも書斎記

    2009/02/09 當山日出夫 先日のワークショップの備忘録として書いておく。 まず考えなければならないのは、「表記の規範」のレベル。ある語を、「かな」で書くか「カタカナ」で書くか、「漢字」で書くか。「漢字」の場合、どの字を使用するか。 しかし、この根的レベルの問題は、いまはおいておく。 漢字の規範といったとき、二つの方向がある。 第一に、理念としての規範。正しい文字というものがあるという意識。そして、それがどのようであるかは、時代・歴史文化的背景によって異なる。 第二に、お手としての規範。このとおりに書けばよい、ということ。 以上に分けて考えてみると、第一の意味での規範に言及したのが、小形さんの大日印刷の拡張新字体の問題。時代的背景としては、当用漢字というきわめて厳しい漢字制限があって、その「表外字」(当用漢字が、漢字制限とはいっても、それで、すべての日語が書けるわけではない

  • 新常用漢字:文字の理念と規範と規格(1): やまもも書斎記

    2009/02/10 當山日出夫 昨日、書いたことであるが、うまくまとまって書けていないので、さらに整理し直してみたい。 小形さんの発表で触れられていたように、ある時期の大日印刷は、拡張新字体を使用していた、それには、歴史的・文化的背景がある。 当用漢字という、きわめて制限のつよい漢字表があった。そもそも、日は漢字を使うのをやめよう、という雰囲気があった。当用漢字の「当用」は、さしあたって使用する、の意味。 基は、「字種の制限」と「字体の簡略化」。漢字使用における、負担の軽減が目的である。 しかし、問題も残した。固有名詞の表記(人名・地名)は、対象外であった。つまり、大阪・岡山・山梨などの県名や、伊藤などの人名が書けない。結果的には、現実の、日語の表記における漢字の運用としては、「当用漢字表」外の、文字も必須になる。このとき、どう考えたか。 1.当用漢字の理念(より簡略な日語表記

  • 新常用漢字:正しい文字としての当用漢字: やまもも書斎記

    2009/02/10 當山日出夫 かくのごとくブログのメッセージを書いているより、校正をみなければいけない(第3・4水準漢字を使った原稿、担当者のいわく、今昔文字鏡がありますから大丈夫・・・はたして当に大丈夫だろうか)。だが、まだ、まにあいそう(というより、時間の余裕があると、思い込むことにする。) 私の生まれは、昭和30(1955)年である。 個人的な経験である。私が、小学生の時、「當山」の文字を書くことを、教師に禁じられた。「当山」とかかねばならなかった。単に新旧字体の問題であるから、さほど抵抗はなかった(ように記憶する)。今でも、漢字について知識のある人は、私へのメールに、「当山」の表記をつかってくる。 だが、人によっては、自分の名前の文字の漢字を書いてはいけない、漢字で自分の名前を書いてはいけない、ということもあった(らしい、ということを、WSの後の懇親会の時に、隣席の安岡孝一さ

  • 『漢和辞典に訊け!』: やまもも書斎記

    2009/01/31 當山日出夫 『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書).円満字二郎.筑摩書房.2008 昨年末に出たであるが、ようやく、積んであるのなかから出してきて読んだ。その代わりに新しく積み上がったに、『日語活字ものがたり』(小宮山博史、誠文堂新光社)があるが、このについては、後ほど。 先のメッセージに書いたとおり、ようやく、新常用漢字表(仮称)の試案が、決定のはこびとなった。小形克宏さんのブログによる。 まずは、時宜を得た出版である。新常用漢字との関係でいえば、「正しい文字」とは何か? という実践的な(字書の編集者の立場から)問いかけである。 もし、正しい字=正字体=旧字体=康煕字典体、であると考えるとするならば、こんな図式はなりたたない。細かな点では、明朝体のデザインの問題にもおよぶ。(実は、この点は、先日の、情報処理学会CH81で、横山さんたちとの発表で問題になった点で

  • 新常用漢字:「叱」の区別: やまもも書斎記

    2009/01/18 當山日出夫 ★タイトルが、ブラウザの設定によっては、文字化けするので、0213の方の、「しかる」の字を、削除しました。 安岡さんの日記から、引用する。 http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/464702 >>>>> 「𠮟」(口へんに七、U+20B9F)なんかじゃなく、「叱」(口へんに匕、U+53F1)の方を(新)常用漢字に追加すべきだろう。 <<<<< 確かに、日のJIS規格においては、この2字は、分離されている。別のコードポイントが与えられている。 この2字は、別の字としてあつかっているのか、同じ字の異体としてあつかっているのか。実は、判然としない。 手元の漢字字典を見ても、同じ文字とするもの(『全訳漢辞海』第二版、三省堂)、別の文字とするもの(『新選漢和辞典』第七版、小学館)、がある(これらの漢字字典は、文字コードが付してある

  • 新常用漢字:文字にコードポイントをあたえることの意味: やまもも書斎記

    2009/01/18 當山日出夫 小形さんの「もじのなまえ」に、安岡さんがトラックバックで、いかっている。 もじのなまえ http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090116 私の意見としては、安岡さんに賛成。 文字の字体にゆれがある(たとえば、1点のしんにゅうか、2点のしんにゅうか)ということ。これについて、分離して、別のコードポイントを付与するのか、同一コードポイントでのバリアントとして包摂するのか、決定的にちがう。このことについて、委員会ではわかっていない(と、議事録や資料からは読める)。 委員会の議論しているレベルは、漢字表として示すとき、 1.どちらかを代表字体とする(他を許容とする) 2.両方を並記して示す いずれが、漢字表として、内部的な整合性があるか、あるいは、表外字との関係で実用的であるか、この水準の話し。 この視点(コードポイントの違い)をもたない

  • 新常用漢字:名称は決まらず: やまもも書斎記

    2009/01/17 當山日出夫 現時点(2009年1月17日、朝9時ごろ)で、Googleニュースで検索すると、新常用漢字表について、報じているのは、昨夜と同じ。共同通信、時事通信、朝日新聞。読売と毎日のサイト内検索では、出てこない。 で、今朝の、朝日新聞の朝刊は、さっそくキープ。スキャンしないといけないが、A4のスキャナで、できるかどうか。表の部分と、解説の部分と、分離しないといけないかも。 気になるのは、名称が決まらなかったこと、かもしれない。字種・字体については、これまでの委員会で議論の経緯があるから、だいたいの予想の範囲。個人的には、「しんにゅう」が「2点」「1点」が混在する、他の部首や部分字体についても、ということは、現実的な文字の運用の観点としては、妥当なところだろう。 常用漢字(それが、新常用漢字になっても)、これだけで、通常の日語は書けないのであるから。固有名詞(人名・

  • 新常用漢字:しんにゅうのてん: やまもも書斎記

    2009/01/09 當山日出夫 今日(2009/01/09)の『朝日新聞』(大阪版、朝刊)に、白石明彦(編集委員)による、「新常用漢字表(仮称)」についての解説記事がのっている。 主な論点は、「しんにゅう」の「てん」を一つにするか、二つにするかの問題。具体的には、現時点での候補案の文字では、次の字が該当するという。 遡 遜 謎 これらのことについては、小形さんのブログ「もじのなまえ」に、すでに詳しく記されている。 もじのなまえ http://d.hatena.ne.jp/ogwata/ 基的なところで、いわゆる「許容三部首」(しんにゅう・しめすへん・しょくへん)が、まず、印刷標準字体との関係で問題になる。ただ、このようなことは、関係者にはすでに周知のことではある。それを、わかりやすい形で、新聞で報じたというのは、今回の白石さんの記事が、最初ではなかろうか。(すでに、別の一般的なメディア

  • 新常用漢字:しんにゅうのてん(2): やまもも書斎記

    2009/01/13 當山日出夫 先に、1月9日に書いた件について、安岡さんより、コメントをいただいている。読売新聞の昨年の記事。明日にでも、早い目に学校に行って、図書館にたちよることにしよう。(安岡さん、どうもありがとうございました。) そういえば、「しんにゅう」の「てん」が一つか二つかをめぐって議論することの無意味さを、一昨日の白川研の講演会で石塚先生も、おっしゃっていた。書体と字体の階層性。また、字体とは、地域と時代を限定しないと意味がない、ということをふまえての話し。(私の理解する範囲においてであるが。) 新常用漢字の最大の問題点は、それはそれとして閉じた文字の体系を作ったとしても、現実の日語の表記における運用では、絶対にほころびが生じるであろう。 第一には、文字セット(字種)のレベルでは、「表外漢字」「JIS漢字」さらには「ユニコード」と、併用せざるをえない。固有名詞で、都道府

  • 新常用漢字:いわゆる康煕字典体: やまもも書斎記

    2008/11/13 當山日出夫 小熊さん、コメントありがとうございます。 やはり、「いわゆる」+「康煕字典体」という、表現にならざるをえませんね。 「国字」などの字体は、部分字体を、「いわゆる康煕字典体」に準拠して、という方向でしか、考えようがありません。 ただ、この「いわゆる康煕字典体」を、厳格な規範としてうけとめるか、あるいは、康煕字典体といっても、字体の「ゆれ」はあるのだから、あえて曖昧なままにして、使用するのか。 このあたりの、社会全体のうけとめかたが、今後の課題かと思っています。 當山日出夫(とうやまひでお)

  • 新常用漢字:新聞社も当事者: やまもも書斎記

    2008/11/13 當山日出夫 おがたさんの「もじのなまえ」で、先日の、委員会の様子が報告されている。 http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20081111/p1 これを見て、また、コメントを読んで思ったこと。 実は、(新)常用漢字表は、新聞社も、その当事者なのである、ということ。いわれてみれば、あたりまえ。委員会のメンバーを見ればすぐわかること。 だが、これを、報道という視点からみると、当事者であるが故の、バイアスがかかっていることになる。簡単にいえば、「自分に都合の悪いことは書かない。」 今、『朝日新聞』がどんな字をつかっているか。印刷標準字体に準拠である。ただし、「辻」は例外。また、固有名詞(地名)では、葛城市の「葛」(ヒ)と、一般の「葛」(人)、例えば、「葛藤」など、では、字体をつかいわけている。いや、それ以前に、「葛城市」と「葛城山」では、字を変えている。

  • 新常用漢字:やはり玉突き現象がおきるかな: やまもも書斎記

    2008/11/12 當山日出夫 安岡さんの日記で、「痩」「瘦」について、書いてある。 はっきりと、正直に言って、今、私が、この文章を書いているディスプレイでは、どこかどうちがうのか、わからない。わかるだけ、フォントサイズを大きくしなければ、議論できないテーマというのも、ある意味で現実離れしているのではないかと思える。 すでに、二焦点の眼鏡を必要とする私の視力では、印刷文字では、8ポでは、判別不可能。ぎりぎり、9ポで、眼鏡をはずして見て、わかるかどうかというところ。 実用レベル(実装フォント)では、どっちでもいいような気がしないでもない。その区別を確認するために、いちいち眼鏡をはずさなければならなとなると、もう、どうでもいい(あくまでも、私個人で識別可能かという観点から、独断である。) それにしても、追加字体を、拡張新字体(康煕字典体)でとどめるならいいが、変更するとなると、まず、表外漢字