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災害と津波に関するtappyonのブックマーク (2)

  • なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ

    1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史 震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。 バックナンバー一覧 3月11日午後2時46分。東北地方を

    tappyon
    tappyon 2011/08/25
    津波に流された漂流物とか津波自体による圧死即死が多かったと
  • 阪神間からの緊急消防援助隊第1次隊、帰任(追記あり) - apesnotmonkeysの日記

    今日17日の朝日新聞(大阪社)朝刊が、阪神間などからの緊急消防援助隊第1次隊の帰任を伝え、あわせて隊員の声を紹介しています。 尼崎市消防局の隊員21人は宮城県で生存者を捜した。14日に入った同県山元町は、高台に上がると、倒れかかった木が見えるだけで、一面がれきだったという。(中略) 生存者を捜し、「地面が見えるまで掘り起こせ」とがれきを撤去し続けたが、見つかったのは住まいから何キロも離れた場所の一遺体。同町に入っていた愛知県の隊も数体の遺体を収容しただけだったという。(中略) 宮城県南三陸町には芦屋、西宮、伊丹、宝塚各市の隊も入った。車や船ががれきに乗り上げ、海岸から1キロの2階建ての消防署ものみ込まれていた。4階建ての建物の屋上には廃材が載っていた。 芦屋市の藤原茂・消防司令補(49)は「町は全滅。当にショックだった」と話す。「阪神大震災のときは「壊れた建物の下に人がいる」との想定で

    阪神間からの緊急消防援助隊第1次隊、帰任(追記あり) - apesnotmonkeysの日記
    tappyon
    tappyon 2011/03/20
    阪神と比べて津波の被害が救助を困難にしている
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