⇒泉涌寺 - Wikipedia 近代の感覚からだとわかりづらいかも。⇒天皇家は代々仏教徒だった?泉涌寺の謎 - 作品一覧 仏教徒というより、天皇家というのは、仏教の頂点でもあったはず。たしか、このあたり網野善彦が以前いろいろ書いていた。 というか、このあたりの国家鎮護というか国家権力としての仏教も、近代の感覚からはわかりづらくなっている。 これはまあよくある話⇒泉涌寺散策 : 納得できない『逆説の日本史』(補論) 井沢もフライングというか、これ、小林惠子説のトンデモ度を薄めたネタなんだけどね。 これらから導かれる穏当な推測は、この寺は13世紀の四条天皇の山陵造営から皇室の菩提寺としての性格が芽生え始め、遡って当時の都である平安京の初代天皇と、その父と、やはり直系で有名な天智天皇までを奉祀の対象に設定した、ゆえに平城京の天皇もそれ以前の天皇も、原則として奉祀されていないのだ、というものでは