めでたく再建されたのは知っていました。でも連日行列だと。。。蕎麦屋に行列など無粋もいいところだし、水曜定休ですのでなかなか行けずじまいでした。でもついに念願かなって、カミさんと行ってきました。もちろん美味しい板わさと熱燗も。 2013年2月19日夜、僕らは神田のお多幸さんでおでんをつついた後、僕の提案で「よし、〆は神田まつや行こう」ということで淡路町まで歩いてきたのでした。そしたらなんとまつやさんは行列。。。なんじゃそれと思う間もなくカミさんが「やぶ行きましょう」ということで僕ははじめてかんだやぶの暖簾をくぐったわけです。 「いらっしゃい~」という独特なお運びさんの声を聞きながらあの日も美味しいかまぼこで熱燗をやっていました。〆のせいろを2枚ずつ注文した直後のことでしたね。原因は漏電とのことです。まさか全焼とは思いませんでしたよ、目の前で見てましたけど。。。 熱燗と板わさ、鴨を焼いたのをい
並木藪、池之端藪とかんだ藪を藪蕎麦御三家というそうだ。今回はかんだ藪に行く。 注文は勿論、せいろそばに芝海老のかき揚だ。 幕末、団子坂に名舗蔦屋があり、その淡路町店がかんだ藪蕎麦の前身という。 先ずはその蔦屋、初代は山口伝次郎、伊勢藤堂家の家臣だったようだ。そば打ち名人で、武士が性に会わないこともあり、自ら町人になり蕎麦屋を開業した。場所は団子坂権現山という。権現といえば、根津権現で、根津神社の裏山辺りだったのだろう、今も観潮楼から権現様の裏門にかけての細道を藪下通りというようで、蔦屋があった場所として相応しい気がする。その当時竹やぶの中に立つ蕎麦やから、藪そばと云われたらしいのだ。幕末から明治期には団子坂は菊人形で栄えたというから、この蕎麦屋も栄えたに違いない。淡路町にも店を出した。そして、明治13年、堀田七兵衛が淡路町の店を譲り受け営業を開始する。明治の後期には団子坂の本店が店を閉じ、
●藪蕎麦御三家散歩 2001年1月7日 V04L05 団子坂を紹介した時に藪蕎麦の発祥の地として紹介しましたが、今回は藪蕎麦の中でも特に有名な藪蕎麦御三家を回ってみたいと思います。あまりに有名なので何時行っても混んでいます。 団子坂でも紹介しましたが、藪そばの発祥地は”団子坂蔦屋(つたや)”です。「明治東京畸人傳:森まゆみ著」によると「初代はもと山口伝次郎といい、伊勢安濃津藩主藤堂和泉守の家臣であって、千駄木町にあった下屋敷に勤番でいたが、そば打ちが上手で、漆器の手細工も玄人はだし、・・・武士が性にあわず、齢三十のころ、家筋へは夫婦養子を迎え、自らは三輪姓を名乗り、町人になって団子坂の権現山に三百坪の土地を求め、そば屋を開業した。・・・明治に入り、三輪氏は、土地を買い足し商売を拡張した。『東京古事便』に、「田野眺望最もよく、また庭先には古苔滑らかにして、離座敷等多く、閑静なるものありて、そ
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