タグ

人生に関するakira-2008のブックマーク (10)

  • 朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》西原理恵子さん - 社会

    西原理恵子さん ■上手にうそをついて  うそをついてください。  まず仮病(けびょう)を使おう。そして学校に行かない勇気を持とう。親に「頭が痛い」とでも言って欠席すればいい。うそは、あなたを守る大事な魔法(まほう)。人を傷つけたり盗んだりするのでなければ、うそって大事よ。これからも、上手(じょうず)にうそついて生きていけばいいんだよ。  亡くなった夫は、戦場(せんじょう)カメラマンでした。戦場で銃(じゅう)を突きつけられたことが何度もあったけど、一番怖(こわ)かったのは、少年兵だって。  大人は残酷(ざんこく)な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単(かんたん)に人を殺しちゃうんだって。生前(せいぜん)にそう言っていました。子どもってそういう生き物。「子どもなのになぜ?」って思うかもしれないけ

  • 不活性で怠惰なアタシの肉体の神秘|昨日、うちの病棟でアリアドネの弾丸を見かけました。

    AFTERTOUCH surreal SxGx maniac cinema&book; review *めぐりあうたびに溺れて 見失うたびに胸焦がしてた* InverseDiaryFunction SxGx キェェェェ N山家の人々 Dairy ☆質問ダイアリー☆ ネタ帖 むらみぃ 世の中とあたしの繋がり GOOBERS ++今日のechiko++ ロストマインドガール * mayumi blog * モウソウtagebuch 読書感想日記☆ネタバレ注意警報! 癌と煙草と酒と 俺の道 toro's blog. ++ torog ++ ココアシガレット・アンダーグラウンド Deportare gorf net AFTERTOUCH surreal 2ちゃんねるの超怖い話 maniac cinema&book; review CARLTON1976 平凡な日々 秘密のホンネ ゴリラ秘話。 L

    akira-2008
    akira-2008 2012/01/21
    笑いすぎて涙でた。今夜は気持ちよく眠れそうだ。
  • 2011年、僕たちのソフトパレード - 紺色のひと

    時間の感覚が薄れてしまって、年が変わるカウントダウンがうまくできずにいた。僕にとって12月31日は、部屋の床に寝転がって窓の外を見て、今年何があったかを思い出しながら噛み砕くような作業が必要な日だ。今年は30日になってもその気持ちの切り替えがうまくできず、部屋の掃除などをしている間に日が暮れてしまって、友人との忘年会に出かけてしまい、結局僕は日付が変わって31日になる頃、心もとない気持ちのまま、買い換えたばかりの車で凍った路面の上を走っていた。 31日は午後から実家を訪れ、紅白歌合戦から逃れるべく(僕はテレビが、特に年末年始のテレビが大の苦手なのだ!)借りてきた「マトリックス」の二作目と三作目を見て、へとへとになったところで初詣に出かけた。いつものように路上で新年を迎え、幼馴染と合流して近所の神社でお参りを済ませ、厄除けお守りを買った。 このとおりだ。 これを書いている2012年の1月

    2011年、僕たちのソフトパレード - 紺色のひと
    akira-2008
    akira-2008 2012/01/02
    あけおめです。今年もよろしくお願いします。
  • とにかく不思議なことが好きだった - 北斗柄の占いについて思うこと

    まあその不思議もジャンルはバラバラだったけど、なんで?と問うこと、そうか!と理解することが何より好きだった。なので様々な分野に手を出していた。思えば小学校の5年の頃だったか、偶然見た教育テレビの通信高校講座の化学Aに魅せられた。まだ白黒放送だったけど、試験管の中の液体が一瞬で色を変え、溜めた気体に火を点けるとキュポッと音を立てる、そういった様々な現象の背後に原子・分子・元素といったものがあって、それらの化学反応を化学反応式で普遍的に記述できる、もうたまらなかった。 なので理科は得意だった。そして理科を理解するために必須だった数学も中学高校とチャートを毎日3問解くというノルマ*1の御蔭で試験の得点源になっていった。 マンガも高校の頃まではまだ出版点数がそんなになかったから大抵のものには目を通していた。現実とは異なる不思議な世界、私にとってSFって面白いマンガのことだった時期は長く続いていた。

    akira-2008
    akira-2008 2011/08/15
    へぇ〜。まさに人に歴史あり。
  • 結婚後、豹変してしまった妻・・・もう限界です | 恋愛・結婚 | 発言小町

    結婚、出産を通して性格が別人のように豹変してしまいました。 正直、どう接したらいいかもうわかりません。 とは2年前に結婚し、すぐに子供が出来ました。 現在私は32歳会社員、は28歳専業主婦、子供は1歳です。 私は転勤族で、現在私の実家の近くの職場に3年前転勤になり、と1年間の遠距離恋愛を経て結婚しました。 とは社内結婚で、からのアプローチで交際に至りました。 交際中のは、明るくて料理上手で家庭的な女性でした。 遠距離になってからも、一途に私を想っていてくれましたが、私は結婚に踏ん切りがつかず、から「留学しようと思っている。もう別れた方がいいと思う」と打ち明けられ、彼女を手放したくない一心でプロポーズし、結婚に至りました。 結婚後、は転居先(結婚前の勤務地は飛行機の距離で通勤不可能)で再就職を強く希望していましたが、私の母や妹からの干渉に遭い、よく私に愚痴を言っていま

    結婚後、豹変してしまった妻・・・もう限界です | 恋愛・結婚 | 発言小町
    akira-2008
    akira-2008 2011/06/15
    ネタ以外の何ものでもないでしょう。ほんとだったら…orz
  • 「おばさん」という呼称 - ohnosakiko’s blog

    だいぶ前の友人の話。 彼女と旅行に行き、土産物屋に入っていろいろ物色していた。レジには歳の頃50代半ばくらいの中年女性が座っていた。やっと決まったお土産品をレジに持っていくと、その人は奥の座敷の方に引っ込んでしまったのかいない。そこで彼女が、 「おばさん!おばさーん!お・ば・さぁーーん!」 と、座敷の方に向かって何度も大きな声で呼んだ。 するとさっきの中年女性が出てきて、ものすごく不機嫌そうな顔で無言で会計をしたという。 友人曰く「いやどこから見てもおばさんだったけどさ、あんなふうに呼びかけられたら誰でも厭だろって。普通はすみませーんとかもしもーしとか言うもんだよねぇ?」 私曰く「おばさん連呼は拙かったね。おばさん年齢でも、そう呼ばれたくない人結構いるし」 彼女曰く「やっぱりそう?‥‥でも悪気は全然なかったのよ」 友人・私「そういう問題じゃない」 ● 「おばさん」には二種類の意味がある。父

    「おばさん」という呼称 - ohnosakiko’s blog
    akira-2008
    akira-2008 2010/08/10
    仕事上は「おばさん」と思ってもられるのはありがたいのだけど、見ず知らずの人から、おばさんって呼ばれたら、やっぱちょっとむっとする私は48歳
  • 新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を

    友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。 彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。 彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。 私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。 ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してく

    新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を
  • さみしくなると言ってみる。 - kananaka's blog

    「コイデ」は、ネコである。名に格別の意味はない。「コイデ 03-xxxx-xxxx」と達筆で記された首輪をかけていたので、それがそのまま通称となった。「コイデ」が他所でどう呼ばれていたかは知らない。「コイデ」は色々な家庭に上がり込んでは家人の歓待を欲しいままにする、地域でも有名なアイドルネコだったから、幾つもの源氏名を使い分けていても不思議はないのだ。 もともと「コイデ」は他所(よそ)の家のネコである。正確にいえば、<コイデさん家(ち)のネコ>である。とはいえ、コイデ家においても、固有の名があったわけではない。小さな庭つきの一軒家で晩年を過ごすおんな主(あるじ)であるコイデさんは、たくさんのネコに囲まれて暮らしており、一匹一匹のこまやかなケアにまで手が回らなかった。コイデ家のネコたちは避妊手術を施された後、共通の出自を首元に明記され、あるものは「外ネコ」の道に戻るべく旅に出て、あるものは一

    さみしくなると言ってみる。 - kananaka's blog
    akira-2008
    akira-2008 2010/02/23
    せつないな
  • 16年と5ヶ月、お疲れ様。 | その後の、どんなジレンマ

    93年夏から一緒に暮らしたが、死んだ。 手のひらにおさまる子で、「はて、ここはどこだろう?」なんてきょとんとした顔していた様子が昨日のことのように思い出されるので、小さな棺に納められた君の亡骸を見ても実感がわかない。 この数日、欲が無くなり、水も自力では飲めなくなったから寿命が近いと感じたけれど、認めたくなかった。正直心の準備ができていなかった。20年、25年生きるもいる。さよならするのはもう少し先かと思っていた。あなた自身の寿命もあるかもしれないし、男の子の方が寿命が短いのかもしれないね。与えられた時間を精一杯生きたことは、たしかに見せてもらいました。 2年くらい前から、最盛期と比べると一回り小さくなって、君はおじいちゃんしていたんだね。首輪、通気性が良いものにしても皮膚が荒れて毛が抜けるようになったから、この数年は首輪外してもらっていたね。亡骸の君をなでて、背中の毛を整えたりし

    akira-2008
    akira-2008 2010/02/20
    幸せだったと思う。ねこさん
  • 子供と二人で毎日過ごしてた時

    忙しくて家に帰れないけど優しい夫と、生まれたばかりの子供とずっと三人で暮らしてた。親元から離れて、知り合いが余りいないところで、私は出産と育児仕事退職した。子供が大きくなったら復職しよう、保育園に預けて復職しようと思ってた。 一歳二歳のころは、気が狂いそうに辛かった。同時にすごく子供は可愛くて可愛くて寝ているところを見ると胸がキュンキュンしたんだけど、毎日毎日育児だけで話す人も居なくて、インターネットで日記を書いたとしても、むなしくてだめだった。 夫は時間を見つけていっしょに買い物行ったり生協を利用を進めてくれたり、仕事の帰りには買い物してくれたりした。でも帰りはとにかく遅くて、夜の九時とか十時とかで、朝は七時に出ていく。その間私は子供と一緒に過ごしてた。散歩したり図書館行ったり、お話したり、公園行ったり、思いつく限り、色々した。楽しかったと思う。今、当時の子供のビデオをみると、キャー

    子供と二人で毎日過ごしてた時
    akira-2008
    akira-2008 2009/11/15
    ちょっと涙でた
  • 1