「百合やBLは同性愛者に配慮すべきか」なんてことを大真面目に“考察”してる人を見ると、まるで「電車の中では他人の足を踏まないよう配慮すべきか」を論じる人を見ているような妙な気分になります。いちいち“考察”しなきゃわからないようなことなんですか、それって。 つーか、物理的には、電車の中で無配慮に他人の足を踏みまくることなんて誰にでも可能なわけですよ。踏んづけた相手に嫌われたり怒られたり批判されたり殴られたり、場合によっては法的措置をとられたりする覚悟さえあれば。同様に、創作物の中で好きなだけ同性愛への嫌悪や偏見を表明することだって、誰にでもできます。同性愛者やその理解者・支持者から嫌われたり怒られたり批判されたり殴られたり、場合によっては法的措置をとられたりする覚悟さえあればね。しかしながら、「百合やBLは(略)配慮すべきか」という問いを呑気に立ててしまう姿勢には、その覚悟の匂いがまったく感