日本で最も有名なクラシックの音楽家であり、世界で最も有名な日本人のひとり――。小澤征爾の生涯は戦後日本のサクセス・ストーリーの象徴でもあります。敗戦ですべてを失ったところからスタート、師との出会い、冒険、強運、挫折、再起、さらなる成功。桐朋学園短期大学音楽家の一期生であり、その後、数々の「日本人初」を達成していった小澤。多くの転機のなかでもひときわ大きな影響を与え、小澤がその舞台を日本から海外へと移すことになった「N響事件」について、「クラシックジャーナル」編集長などを務めた作家の中川右介さんの著書『至高の十大指揮者』(角川ソフィア文庫)から、一部を引用してお届けします。 ――――――――― 1962年5月、ニューヨークでのアシスタント指揮者の契約が終わると、小澤征爾は日本へ向かった。六月からNHK交響楽団の指揮者になったのだ。 NHK交響楽団、通称「N響」は、1925年(大正14)3月に