五・一五事件ー言論、社会のルールが暴力でつぶされたのに、庶民が喝采を送ったこと、それを利用されたことこそ重要 2024年からみて92年前の、1932(昭和7)年5月15日に発生した「五・一五事件」。海軍将校と陸軍士官学校生、それに農民らが首相官邸などを襲撃し、犬飼毅首相を殺害します。ちょうどそのころは満州国をめぐって国際連盟のリットン調査団が日本や中国、満州で調査を進めているころで、犬飼首相もこれに会って日本の立場を説明していました。 一方、当時の社会情勢は内務省の全国調査によると、賃金や強制貯金の不払いがあった工場や鉱山が838にも上る不景気下にありました。その対策に加え、満州国を国ではなく自治政府としてなら国際連盟の批難を免れられないかと苦慮していたのが犬養首相でした。五・一五事件は、そんな複雑な社会情勢下、「君側の奸」を葬り、天皇による政治の実現という夢想を単純にたたきつけたものでし