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江戸時代に関するarcade00fire01のブックマーク (211)

  • 研究会の感想(森田雅也) - 西鶴研究会

    江戸時代の浮世草子作者・井原西鶴を研究する「西鶴研究会」のブログです 西鶴研究会へのご連絡は こちらへメールでお願いします。 西鶴研究会・旧掲示板 西鶴研究会掲示板 ●西鶴研究会企画 『西鶴が語る江戸のミステリー―怪談・奇談集』(ぺりかん社、2004.4) 『西鶴が語る江戸のラブストーリー―恋愛奇談集』(ぺりかん社、2006.8) 『西鶴が語る江戸のダークサイド―暗黒奇談集』(ぺりかん社、2011.3) 『西鶴諸国はなし (三弥井古典文庫)』(三弥井書店、2009.3) ●浮世草子研究会との合同企画 篠原進・中嶋隆編『西鶴と浮世草子研究第一号 特集[メディア] 』(笠間書院、2006.6) 高田衛・有働裕・佐伯孝弘編『西鶴と浮世草子研究第二号 特集[怪異]』(笠間書院、2007.11) 谷脇理史・杉好伸・杉和寛編『西鶴と浮世草子研究第三号 特集[金銭]』(笠間書院、2010

  • 「若冲と蕪村」展 | 青い日記帳 

    サントリー美術館で開催中の 「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展 に行って来ました。 http://suntory.jp/SMA/ 正徳6年(1716)にこの世を去った尾形光琳。光琳と入れ替わるようにして、伊藤若冲(京都)と与謝蕪村(大阪)というふたりの天才絵師が生を授かりましました。今から300年前のことです。 2008年に「与謝蕪村展」、2009年に「伊藤若冲展」をそれぞれ開催したMIHO MUSEUM(巡回先)では、いつか二人で一つの展覧会で取り上げてみたいと密かに計画をあたためていたそうです。 辻惟雄館長や岡田秀之学芸員、サントリー美術館の石田佳也学芸部長たちが3年以上に渡り、計画してきただけあり、単に若冲のネームバリューに頼っただけでの展覧会でないどころか、若冲、蕪村それぞれ新発見の作品も展示されている想像以上の内容となっています。 伊藤若冲「糸瓜群虫図」細見美術館蔵

    「若冲と蕪村」展 | 青い日記帳 
  • 「ルビンの壺」は顔でも壺でもない――篠原進さんの批判に接して(井上泰至) - 西鶴研究会

    書くこととは、〈賭け〉ることです。篠原さんの論文を読んで、最初にこのことが浮かびました。書いた当人が予想もしなかった受け取り方も当然生まれます。しかし、そのことも含めて、書いた人間は責任を負わなければならないでしょう。さて、私の〈賭け〉は、勝ちか、負けか、はたまた引き分けなのか、投了なのか。それは当事者以外の判断にゆだねるべきでしょう。 この文章は、篠原論文への正面からの応答ではありません。それは来、私の論文に向けられた疑問の、根拠となる部分について、きちんとした答えを用意して、正式な論文の形で行われるべきものです。 今ここでは、HPにアップするというスピーディな対応を取られた篠原さんにお応えすべく、あえて拙速を尊び、批判論文を読んで感じた私なりの問題意識を書きつけておくことで、期せずして武家物特集の様相を呈した、来る西鶴研究会の建設的な議論につなげたいと思います。「篠原さん」と呼ばせて

  • 第2弾「忍者の教科書」発刊 15日にシンポジウム 伊賀忍者研究会 - 伊賀タウン情報 YOU - ニュース

  • トリクルダウンはない? 江戸時代と比較する

    トリクルダウンという言葉がある。豊かな人々がもっと豊かになれば、やがてその豊かさが下にも落ちてきて貧しい人も豊かになれるという議論である。アベノミクスで株が上がれば、そのおこぼれは皆に回ってくる。円安で輸出大企業が利益を上げれば、それは労働者や下請けにも回ってくるという議論である。 だが、そんなものは自分のところに落ちてこないと、多くの人はトリクルダウンに懐疑的である。しかし、私は、トリクルダウンがないはずはないと思う。豊かな人がまず豊かになるのだから、それが所得分配を平等にすることはないが、理屈から言って、おこぼれがないはずはない。 トリクルダウンはある 豊かになった人は、そのより豊かになった部分を、貯蓄をするか消費をするかしかない。貯蓄は必ず投資されるはずだから、投資が増える。国内で投資が増えれば、必ず誰かを雇うはずである。雇用が増えれば、トリクルダウンがあったことになる。海外投資

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  • 伊賀忍者の末裔が保管していた極秘の古文書に徳川御三家の宿 | AERA dot. (アエラドット)

    甲賀忍者の末裔 渡辺俊経 わたなべ・としのぶ/1937年生まれ。京都大学大学院工修士修了。三菱化成(現三菱化学)に入社。2000年に甲賀に戻って忍者の末裔だと判明。甲賀忍術研究会前会長など、忍者の歴史文化を広めるため活動中(撮影/横関一浩)この記事の写真をすべて見る 伊賀忍者の末裔 伊室春利 いむろ・はるとし/1955年生まれ。高校卒業後、三重県旧阿山町役場に就職。企画、商工観光などを担当する。2010年から伊賀市教育委員会事務局に勤務、14年から事務局教育次長に。教育行政全般に関わる(撮影/横関一浩) 忍者・忍術研究家 川上仁一 かわかみ・じんいち/1949年生まれ。甲賀忍之伝を受け継ぎ甲賀伴党21代宗師家に。忍術・武術・兵法研修の神道軍伝研究所を主宰。三重県伊賀市の伊賀流忍者博物館名誉館長。三重大学社会連携研究センター特任教授(撮影/横関一浩) 歴史の裏舞台で暗躍した忍者。忍者・忍術

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  • 「伊賀衆甲賀衆は対立していない」忍者の末裔が裏舞台を語る | AERA dot. (アエラドット)

    伊賀忍者 阿修羅(撮影/写真部・岡田晃奈)この記事の写真をすべて見る 忍術書「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」に「その功、天地造化の如し」とあるように、忍者は正体を隠し通したが、その歴史は今も継承されている。忍者・忍術に造詣の深い川上仁一(かわかみ・じんいち)氏をナビゲーターに、伊賀忍者の子孫・伊室春利(いむろ・はるとし)氏と伊賀忍者の末裔・伊室春利(いむろ・はるとし)氏と甲賀忍者の末裔・渡辺俊経(わたなべ・としのぶ)氏が知られざる歴史の裏側を語った。 *  *  * 川上:伊賀甲賀が対立していたとか世の中では言われていますが、とんでもない誤解です。伊賀忍者、甲賀忍者と分けて考えるものではありませんから。だからこそ、地域間の垣根を越えて、伊賀甲賀という地域が一体となり一つの忍者文化として伝えていけたらいいなと私は思っています。 渡辺:歴史的にも甲賀と伊賀はずっと仲良くやってきたはずです。甲

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  • 藤塚鄰博士遺品展示会・講演会「東アジア近世の書籍文化交流」 | 京都イベントなび

    2月22日(日)13時、京都大学人文科学研究所北白川分館大会議室(京都市左京区北白川東小倉町47。市バス「北白川」下車)。 18・19世紀の朝鮮と中国の学術交流に関する名著『清朝文化東伝の研究』の著者として知られる故藤塚鄰(ふじつか・ちかし)博士(もと京城帝国大学教授)の遺品(朝鮮燕行使関係絵画と書、ご進講資料など)を展示し、あわせて関連の講演会を開催します。 「藤塚博士の学問と蔵書―ハーバード所蔵を中心に」 鄭珉(韓国漢陽大学教授) 「朝鮮と明清内府」 陳正宏(中国復旦大学教授) 「朝鮮の特徴について」 藤幸夫(富山大学名誉教授・京都大学人文研客員教授) 無料。※予約不要 問い合わせTEL075・753・6969(京都大学人文科学研究所:金)。 https://www.kyoto-minpo.net/event/archives/2015/02/22/post_1171.php

    藤塚鄰博士遺品展示会・講演会「東アジア近世の書籍文化交流」 | 京都イベントなび
  • consigliere on Twitter: "亡羊といえば、烏丸光広本『徒然草』の奥書に出てくる「泉南亡羊処士」(三宅亡羊)、「談李老之虚無、説荘生之自然」ということからすると号の由来は多岐亡羊ではなくて、この荘子の読書亡羊のほうに思えるのですが、どうなのだろう。伝記研究はすでにあるかもしれませんが。"

  • 大垣で「上田秋成と芭蕉」の講演: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 日、行ってまいりました。車窓からみる米原あたりの景色はすっかり雪化粧。 大垣はそれほど雪は降らないらしく、今日はまずまずの良い天気でした。 大垣は言わずと知れた「奥の細道むすびの地」。その名の通りの、立派な記念館で「おおがき芭蕉大学」の連続講演の第3回担当者として、「上田秋成と芭蕉」についてお話しました。記念館のスタッフの方には大変お世話になりました。ありがとうございます。 芭蕉顕彰の地で、芭蕉の悪口を言ってた人のことを話すというのも、ちょっと気が引けますが、他に材料の

  • 田中康二「本居宣長」(中公新書)を読了。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

    田中康二「居宣長」(中公新書)を読了。 居宣長 (中公新書) 作者: 田中康二出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2014/07/24メディア: 新書この商品を含むブログ (4件) を見る江戸中期に生きた国学の大成者・居宣長(1730-1801年)は72年の生涯を太くそして長く生きた。 このでは20歳代を学問の出発、30歳代を人生の転機、40歳代を自省の歳月、50歳代を論争の季節、60歳代を学問の完成、70歳代を鈴屋の行方とし、それぞれを章にあてている。 神学という道である古道学を学ぼうとする人は、漢意(からごころ)儒意による汚れを洗い落として大和魂を堅固にすることが肝要であると述べている。仏教と儒教が日をダメにしたという没落史観である。儒教・仏教が入ってくる前の日を取り戻すために、記紀、とりわけ古事記を聖典としたのである。 そして国学を志す者は歌を詠み、歌書を研究すべき

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  • 意外と知らない知識「江戸時代にはオナラの身代わり役がいた」 - Ameba News [アメーバニュース]

  • 秋成 小説史の研究: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 高田衛先生の『秋成 小説史の研究』(ぺりかん社、2014年11月)が刊行された。 近年、秋成研究史上、不朽の業績である『上田秋成研究序説』『上田秋成年譜考説』が「定」と銘打って復刊されたのは記憶に新しい。長い間古書店で高価な値のついていた両書が、求めやすい価格で入手できるようになったことは、秋成研究にとっての慶事だった。 その一方で、高田先生は『春雨物語論』(岩波書店)を上梓される。これも春雨物語研究史上逸することのできない研究書となった。しかし秋成について書いた論文は

  • 「江戸時代の医師修業」書評 地域の「医界」に育てられた|好書好日

    江戸時代の医師修業 学問・学統・遊学 (歴史文化ライブラリー) 著者:海原 亮 出版社:吉川弘文館 ジャンル:暮らし・実用 江戸時代の医師修業 学問・学統・遊学 [著]海原亮 江戸幕府は医療に責任を持たなかった。その働きは各地の藩に委ねられ、いくつかの藩は医師を育てるシステムを作った。だが、それは機能しなかった。システムは中だるみの状態を呈し、円滑な医師の供給は実現しなかった。 では、規制のないこの時代、誰でも医師になれたのか? そうではない、と筆者はいう。地域に根ざした医師のコミュニティー、「医界」が次世代の医師を育てたのだ。 医師を志す者は日々の勉学に励む。学が成らなければそこで退場。医界に認められた者だけがその後援を受け、師を求めて遊学に旅立つ。京や大坂などで修業の日々を送り、名の知れた学統に連なり、新しい医学を郷里に持ち帰る。かくて彼は医界に一定の位置を占めることになる。 書は医

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  • 諸国翁墳記: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 田坂英俊氏の『諸国翁墳記―翻刻と検討』(2014年10月、慶照寺)が上梓された。 『諸国翁墳記』の「翁」とは芭蕉のこと。すなわちこのは江戸時代に編まれた芭蕉塚集成である(先の俳文学会でもこのについての発表があった)。年々、全国で少しずつ増えていく芭蕉塚を次々に記録しては出版した異色の出版物である。当然出版されるたびに少しずつ丁数が増えて行く。書に序を寄せた田中道雄先生は、各図書館にある『諸国翁墳記』を閲覧するたびに、丁数が異なるのに困惑し、どの時点で増補が停止したの

  • 小説「奥の細道」に込めた思い フラナガンさんが語る:朝日新聞デジタル

    2014年のブッカー賞が10月に発表され、オーストラリア人作家のリチャード・フラナガンさん(53)の「The Narrow Road to the Deep North」が受賞した。ブッカーは英国で最も権威のある文学賞で、オーストラリア人としては4回目だという。 フラナガンさんは、オーストラリアを代表する作家の1人だ。彼に11月はじめ、シドニーで単独インタビューすることができたので、これから2回にわたって紹介したい。朝日新聞の2面「ひと」欄でも取り上げたのだが、限られた紙面のスペースでは、1時間以上に及んだ深い話を盛り込むことができなかった。 インタビューした時の印象を言うと、フラナガンさんは非常に物静かで思慮深い印象の人だった。語り口は穏やかで、語彙(ごい)が独特で豊富。6作目となった受賞作品の日語訳は「交渉中で、もうすぐ決まると思う」ということなので、楽しみに待ちたい。

    小説「奥の細道」に込めた思い フラナガンさんが語る:朝日新聞デジタル
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  • 学会記(日本大学大会): 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 22・23日は日大学文理学部で日近世文学会が行われた。今回の学会は、来富山大学で行われるはずだったが、会場校の世話人であった二村文人さんが急逝され、急遽事務局の日大が会場を引き受けてくださった。開始にあたって黙祷がささげられた。 きわめて短い準備期間と、事務局のお仕事も同時に行いながら、完璧に運営されたことは驚嘆に値するといってよく、そのご尽力には当に頭が下がる。心から御礼申し上げる。 12の発表は、仮名草子・徒然草受容・源氏物語画帖をめぐる堂上文壇・俳諧短冊手

  • 『日本文学』10月号: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 学会では発表をきくだけではなく、新刊研究書のチェック、原稿や発表を頼んだり頼まれたり、また学生を紹介したりされたりなど、いろいろなことがある。 そのいろんなことのなかのひとつ。『日文学』10月号を執筆者のお一人である井上泰至さんからいただいた。井上さんの「写軍書の機能」は、近著の『近世刊行軍書論』で扱った刊行軍書に対して写軍書を扱い、その機能についていくつかの角度から述べたもの。造による権威化、蔵書されることによる権威化、当代までの系譜の歴史的位置づけ(つまり権威

  • 江戸時代の庶民の旅行って? 和歌山市立博物館で特別展 

    江戸時代に始まったという庶民の旅行。かつて人々が楽しんだ旅路をたどる特別展「江戸時代を観光しよう~城下町和歌山と寺社参詣」が和歌山市湊町の市立博物館で開かれている。 中世に盛んだった「熊野詣で」以降、江戸時代には伊勢参りや高野山参詣、西国巡礼などが人気を集め、和歌山には多くの旅人が訪れた。特別展では、庶民の旅行に焦点を当て、熊野三山から紀三井寺、和歌浦、高野山へと旅した当時の定番コースに沿って絵図や旅日記、服装など約150点を展示。 会場には、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」とともに、伊勢参りの際にかぶっていた笠などが並べられ、絵と実物を見比べることもできる。粉河地域で多く作られていたという旅行ガイドブックも展示。中には、船酔いでの対処法や足が痛いときにお灸をする場所などをまとめた「旅行用心集」などもあり、現代にも通じる旅の様子がうかがえる。 佐藤顕学芸員は「江戸時代にはあちこち立ち寄りな

    江戸時代の庶民の旅行って? 和歌山市立博物館で特別展