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思想に関するbanraidouのブックマーク (29)

  • http://oodakedo.com/d/809799/

  • 菊地誠と東浩紀とソーカルと

    あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco SF大会の懇親会で出た話題について。比喩というのは、それが比喩として機能する相手にしか意味を持たないわけです。たとえば、「フラクタル」を比喩とするなら、その言葉で「雪の結晶みたいな形ね」と思う人と「フラクタル次元はいくつなんだ?」と思う人とでは機能のしかたが違う @hazuma あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 比喩はそのものずばりではないことによって、相手の知識次第でまったく違う受け取られ方をされうるし、もちろん、時代が変われば受け取られ方も変わる。この点は比喩を使う側が当然負うべきリスクなわけです @hazuma あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 僕の考えでは、科学的な用語を「比喩」として使うのがいけないのではなく、たとえば「フラクタル」を比喩としたときに、フラクタルに詳しい人から「フラクタルのどの側面を比喩に

    菊地誠と東浩紀とソーカルと
  • ブックマーカーもブロガーも、読まずに批判し、読まずにネガコメし、誤解したまま言及する - しあわせのかたち

    また作りたいレシピ 2024年5月第3週 「五月病」という言葉を忘れ去っていたことに気が付いた。もうすぐ5月も終わってしまう、なんということだ。ぐったり気味だった1週間の、また作ると確信したレシピです。 ・生ピーマンの肉みそ 去年、グルメ番組で見かけた生ピーマンと肉味噌の取り合わせが気になり…

    ブックマーカーもブロガーも、読まずに批判し、読まずにネガコメし、誤解したまま言及する - しあわせのかたち
    banraidou
    banraidou 2008/02/13
    誤読する権利なんて話を思い出した。
  • ケータイ小説を笑うまえに。 - Something Orange

    題に入るまえに、一篇の詩について話しておきたい。北村薫の『詩歌の待ち伏せ』に掲載されていた詩である。 詩歌の待ち伏せ 1 (文春文庫) 作者: 北村薫出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2006/02/10メディア: 文庫この商品を含むブログ (20件) を見る 詩歌の待ち伏せ 2 (文春文庫) 作者: 北村薫出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2006/03/10メディア: 文庫この商品を含むブログ (13件) を見る わずか3行。 れ ママ ここに カンガルーがいるよ 詩といっても、まだ字を知らない3歳の子供が口にした言葉を親が書きとめたものである。北村は、この「詩」を、雑誌『VOW』で目にしたらしい。 ご存知の方も多いと思う。投稿者が身の回りで見つけた奇妙なものを掲載しているだ。そのの、「詩人の血」と題するコーナーに、この詩は掲載されていた。 もともとは、読売新聞に掲載され

    ケータイ小説を笑うまえに。 - Something Orange
  • 私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を

    中国語の部屋」というのは哲学者ジョン・サールが提起した思考実験。「意識」を議論する時によく出てきます。 ごく簡単に説明すると、 ある箱に、中国語を全く知らない人が入っている。 外の(中国語を解する)誰かがその箱の中に中国語の会話や質問の書いたカードを差し入れる。 中の人はカードに書いていることは全く分からないが、箱の中には例えば 「$¢£%#」と書いてきたら「☆★○◇▼」と返せ のような「受け答えマニュアル」が用意されていて、何か分からないがとにかくその通りに書いて外に返す。 すると、中の人は意味も内容も全く理解していないに関わらず、外の人は「箱」と完全な対話をしていることになる。 またこの話は人工知能の文脈で語られることも多いようです。完璧なデータベースを備えた人工知能との「会話」は当の「会話」なのか?といった感じでしょうか。 では、私達人間はこの「箱」から当に解放されているのでし

    私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を
    banraidou
    banraidou 2007/11/19
    ヒトはヒトではないものもヒトとして見るようなシステムを発達させていると思うですよ。それが進化適応上、有利に働いたのだろう、と。まあ、「心の理論」の受け売りですが。
  • 民主主義とは多数の専制である - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    赤木さんのに関して当ブログにトラバいただいたきはむさんのブログのちょっと前のところに、興味深い記事が載っていました。 http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071018 >「民主主義=多数決」という考えを捨て去らねばならない。なぜなら、民主主義の質とは「議論を尽くす」ことであるから。 …① このネタでエントリ書くのもいい加減しつこいのだが、それでも民主主義理論は私のライフワークの一つだというアイデンティティがあるので一応書いておこう。 これまで私は、上記のような型にはまった主張を幾度となく目にしてきた。今改めて目にして型どおりのウンザリ感とともに抱かれる疑問は、彼らはなぜ「イコール」と「質」という二つの言葉を使い分けるのだろうか、ということである。 ほとんどの「議論を尽くす」派は、多数決の必要性を否定するまでには至らない。「議論を尽くす」べきだと言いつつ、多数

    民主主義とは多数の専制である - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

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  • されど我が人生のアイコンを求めて - 東京永久観光

    この話がとても示唆的で面白かった。 http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/10/gui.html 「アイコンとしての道徳のこと」 これって「こころ」や「ことば」にも当てはまると思うからだ。 あらゆる「こころ」のはたらきは、ニューロンのオンオフというシンプルな要素にやがては還元できるはず、ということになっている。 ところが要素が無数に組み合わさると、もともとの要素にはなかった性質が全体の性質としてなぜか現れてくる、ということになって、おなじみ「創発」の話になっていく。 しかしこのエントリーにおける焦点は逆のところにある。それは言い換えれば、「こころ」の問題に対処するのに、「こころ」という複雑な全体に当たるより、もっと下っていって、「こころ」を作り出す要素とその仕組みを知り、その単純な働きのトラブルに対処したほうがいいことがある、といっ

    されど我が人生のアイコンを求めて - 東京永久観光
  • 大雑把な理解 - 星ぼしの荒野から

    大雑把すぎて、意味を取り間違えている部分があるかもしれないけど。それは、まあ、ご愛嬌ということでご勘弁。追記:長すぎるので格納。読み返し。やはり、後半になるにつれより怪しくなるなぁ。村上春樹村上春樹はコロコロと変化する作家。大雑把に言うとプレセカイ系。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」では正に終っちゃうセカイとゆるやかーな日常でした。以前記事にしたけれども(村上春樹とセカイ系と - 星ぼしの荒野から)「遠景>中景>近景」を翻訳すれば「セカイの終わり>社会>きみとぼく」ということで、「村上春樹は中景がナイヨー」って言われちゃう。また、95年のオウム事件を契機に「オカルト・ジャンクがおこす暴力」という視点を得たり。このあたりは色々めんどくさい。大塚英志大塚英志はというと「オカルト・ジャンクがおこす暴力」ということを考える。だって彼の飯の種であるマンガだってジャンクですから!宮崎事件

  • God & Golem, Inc.

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  • 404 Blog Not Found:世代論には(いい)訳がある

    2007年07月02日00:45 カテゴリCulture 世代論には(いい)訳がある 私自身、ものごとを決めるときには世代論にはほとんど重きをおかないのだけど、しかしなぜ世代論が発生するかは理解できる。 批評には世代論がついてまわる 映画批評を生産/消費している層とは、ヌーベルバーグの作家たちが旺盛に作品を発表していた時期に学生であった人たちなのである。 マンガ批評を生産/消費している層とは、ニューウェーブの作家たちが作品を発表し始めていた時期に学生であった人たちなのである。 アニメ批評を生産/消費している層とは、ヤマトかガンダムエヴァがブームだった時期に思春期だった人たちなのである。 美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。 例えば明治維新の頃、世代論はほとんど話題にならなかったはずだ。その代わり、話題になっていたの

    404 Blog Not Found:世代論には(いい)訳がある
  • 批評には世代論がついてまわる

    映画批評を生産/消費している層とは、ヌーベルバーグの作家たちが旺盛に作品を発表していた時期に学生であった人たちなのである。 マンガ批評を生産/消費している層とは、ニューウェーブの作家たちが作品を発表し始めていた時期に学生であった人たちなのである。 アニメ批評を生産/消費している層とは、ヤマトかガンダムエヴァがブームだった時期に思春期だった人たちなのである。 美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。 つまり、特定の作家(ないし作品)に依存した資の運動にとりこまれた一定の層が、自分たちがまるで作品を通じて世界と繋がれたかのように勘違いできた幸運な時代を、言葉によってなんとか歴史化しよう、正当化しよう、再現しよう、復興しようetcという涙ぐましい世代的運動、これが日における「批評」なのである。それ以上でもそれ以下でもない

    批評には世代論がついてまわる
    banraidou
    banraidou 2007/07/01
    一面の真理ですわな。
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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  • 2007-06-16

    ネットで決断主義を検索したら、超面白いHELLSINGコピペを見つけたので、ちょっとブクマして引用。 諸君 私は決断主義が好きだ 諸君 私は決断主義が大好きだ 『バトル・ロワイヤル』が好きだ 『リアル鬼ごっこ』が好きだ 『ドラゴン桜』が好きだ 『DEATH NOTE』が好きだ 『コードギアス』が好きだ 「(平成)仮面ライダーシリーズ」が好きだ 『Fate/stay night』が好きだ 『野ブタ。をプロデュース』が好きだ 小説で 漫画で アニメで TVドラマで 特撮で ライトノベルで 映画で PCゲームで ウェブログで 同人誌で この地上で行われるありとあらゆる決断主義が大好きだ 戦列をならべたゼロ年代の想像力の一斉発射が轟音と共にセカイ系を吹き飛ばすのが好きだ 空中高く放り上げられた第三世代オタクの自意識がパワーゲーム的世界観でばらばらになった時など心がおどる (後略) あー、宇野常寛氏

    2007-06-16
  • 「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。

    http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html 善良な市民さん(以下、宇野さんと表記)がSFマガジン上で書いた「決断主義」に関して、Masaoさんが「時代遅れだ」「現実は軽くなってるじゃん」と反論しているのが上記リンク先の記事だ。しかしMasaoさんの感覚のほうがむしろ時代遅れというか、時代に逆行していると思う。娑婆はますます流動性と多様性とグローバリゼーションをきわめていて、容赦なきパワーゲームが先鋭化しつつある状況に若い世代は対応を済ませている、と宇野さんは言いたいんじゃないだろうか。そして「現実を軽くする」ことで娑婆に対応出来たと思いこむ感性に対して、「そんなんでサバイブできるの?」と疑問を投げかけているのではなかろうか。 流動性・多様性をきわめた現実をサバイブするには、分からないものは分からないと留保しつつ

    「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。
  • 想像力はベッドルームと路上から - 「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの:番外~「決断主義」の抱える幼児性の正体~

    「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの(1)〜「進軍ラッパ」を吹きならしたドラゴンアッシュ〜 - 想像力はベッドルームと路上からの続きを書く前に、id:amiyoshidaさんのコメントに回答しつつ、「決断主義」に対する自分なりの定義と、そして「決断主義」の抱える幼児性がどこにあるのかについて書いてみようと思う。 ちなみに、下の文章の対象となるのはアニメとかマンガとかの所為「オタク文脈」ね。 ■「決断主義」の必須要件 私は宇野氏じゃないので彼の定義はあのテキストだけではわかりませんが『ザ・ワールド・イズ・マイン』は「ゲームのようにルールが限定された状況における決断」の話ではないのでちょっと違うと思いました。『バトルロワイアル』『デス・ノート』的なゲームの状況設定の話だと思います。近いのは『未来日記』『ひぐらしのなく頃に』『なるたる』なんじゃないかな〜?『皇国の守護者』なんかもそうだと思

    想像力はベッドルームと路上から - 「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの:番外~「決断主義」の抱える幼児性の正体~
  • 想像力はベッドルームと路上から - 「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの(1)〜「進軍ラッパ」を吹きならしたドラゴンアッシュ〜

    http://d.hatena.ne.jp/TonioK/20070526 http://d.hatena.ne.jp/marita/20070528 2007-05-31 2007-05-31 http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html まず前提として。 1.これは、例の「ゼロ年代の想像力」に対する批判や揶揄ではない。そんなこと僕がする必要もないし、所為「オタク文脈」に関して語るべき必要最低限の知識を僕が持っていないことは明らかなので。 2.「SFマガジン」に書かれた、彼の「批評」(ではないらしいけど)が誰に向けられているのかに関してはまず横に置いておく。また、彼は「サブ・カルチャー批評」としてあれを書いているのだと思うが、「サブ・カルチャー」が具体的にどのジャンル/文脈まで包括しているものなのかという定義も

    想像力はベッドルームと路上から - 「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの(1)〜「進軍ラッパ」を吹きならしたドラゴンアッシュ〜
  • 見ている先が違うから - The best is yet to be.

    以下に3件引用します。 厚生労働省は2日、学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)など発達障害の疑いがある若者に対する格的な就職支援に乗り出す方針を決めた。臨床心理士ら専門の「就職チューター」をハローワークの就職相談窓口に派遣し、障害を早期発見できるようにするとともに、障害者それぞれの特徴に応じた援助を進めて社会的な自立を促す。 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007050200474 という記事に対して、 でもたぶん、そういった人たちって、困難なのは就職に関することだけじゃないよなあ(就職だけが問題だという人もいるのだろうか)。他の面での軽度発達障碍の若者に対する支援活動と連動することも必要?(その辺書いてないだけでしっかり考えられているのかもしれないけど)。人にとってはニートひきこもりから脱出できればそれでいいって話じゃないだろ

    見ている先が違うから - The best is yet to be.
  • ムッソリーニ、人種、自由

    「応用編」二回目です。 というか、音を言えばこの四回のエントリはこれが書ければ良かったのですけれど、前フリなしではあまりに厳しいと思ったので、遠回りしてしまいました。 エミール・ルードヴィッヒによる有名なムッソリーニのインタビューがあって、バロウズの翻訳で知られる山形浩生さんがweb上に訳文を公開されています。 その中に、次のような一説があります(文中「わたし」はルードヴィッヒ)。 「(・・・)だれも自分自身を人類から切り離すことはできない。そこには非常に具体的なものがある。自分を産み落とした腹を持つ人種の人間性というものが」 「つまりはラテン人種ということですか。フランス人も含まれますね」とわたしは口をはさんだ。 「今回の一連の会話のなかで、純粋な人種などというものはないと宣言したはずです! そんなものがあるという信念は、ただの幻想、感情にすぎません。しかしだからといって人種がないこと