第85回 金解禁と軍縮(1) 昭和4年7月2日、張作霖爆殺事件の処理を誤り総辞職した政友会系の田中義一内閣にかわり、民政党系の浜口雄幸内閣が発足した。浜口は田中の強行積極政策を一変し、外相に幣原喜重郎を起用して国際協調路線を、蔵相に井上準之助を起用して緊縮財政路線を推進する。 昭和天皇は、新内閣の発足を喜んだ。内大臣の牧野伸顕が組閣時の日記にこう書いている。 「御召しに伺候したるに、(組閣)名簿を見よとの難有(ありがたき)御思召なり。良い顔触れなりと御満足なり」 × × × 浜口内閣が掲げた内政上の重要課題は、金解禁だ。第一次世界大戦中、主要各国は金の国外流出を防ぐため、金本位制(※1)を一時的に停止し、金の輸出を禁止した。大戦後間もなく、各国は金本位制を復活して輸出を解禁したが、日本は関東大震災の影響もあり対応が遅れていた。 円の価値を低下させずに金解禁を行うには、緊縮財政により正貨(金