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三善晃に関するdomblyのブックマーク (2)

  • Vol.61 「追悼 三善晃氏のこと」 - MONTHRY EDITORIAL02:JAZZTOKYO

    「三善晃作品展」2008年10月18、19日@東京オペラシティコンサートホール控え室にて(撮影/林喜代種) 作曲家の三善晃氏が亡くなった。氏についての作品論や作家論は2冊のにしているので、ここでは思いつくままに、個人的なことごとを書かせていただく。 氏をはじめてお見かけしたのは、桐朋音大の学生ホール前の廊下で、周囲をピシリと遮断する透明なガラスに全体を囲まれているような、近寄りがたさがあった。その近寄りがたい方が、アナリーゼのクラスに現れたとき、それが三善晃という作曲家だと知った。大学2年生のときのことで、その場にいた作曲と音楽学専攻の受講生は6名ほど。「僕はそのとき、自分が感動をもって語れる言葉しか、皆さんには語れません。」と氏は言い、私はその言葉と居ずまいの美しさに劇しく打たれ、極度に緊張した。繊細に選び抜かれた言葉で、たとえばショパンの音楽がどうできているかを分析してみせる。音楽

    dombly
    dombly 2014/08/18
    音楽評論家 丘山万里子氏の追悼文。
  • 生と死と創造と――作曲家・三善晃論/丘山万里子 -1

    70年代も終ろうとしている秋に、私は三善晃の新作《混声合唱と管弦楽のための詩篇》を聴いた。感動という言葉すら許さぬ気に、音はいきなり素手で心をわしづかみにし、水底へとひきずりこむ。横たわる無数の死者の呪文の上を、波はゆれあって空と抱き合い、また次々とおそいかかる音の重圧に、ほとんど私は耐えかねた。それは、テキストに用いられた宗左近の詩への感傷などでは、無論ない。戦争という大量殺りくによって積みあげられた、るいるいたる死への鎮魂をうたうこの詩が、戦争を知らない私の世代にとって、どう言ったところで他人事の感傷しか抱きえないのは、たしかなことだろう。目の前で、殺し殺される死が日常であり、それらとひきかえに今の自身の生があるという意識の許されなさは、私たちが出会う個別的な死――たとえば肉親とか友人とか――からは、決して推しはかることのできないものだ。言葉がどう胸に迫ろうと、生き残り、現に生き続ける

    dombly
    dombly 2014/08/08
    課題読書めも
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