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参考になると文化に関するdomblyのブックマーク (2)

  • 「日本文化」論を疑う(寺沢拓敬) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    大修館書店『英語教育』(2016年11月号)に、「日文化論を疑う」と題するコラムを寄稿した。 1ヶ月が経ったので、その下書きをこちらに転載したい(下書きのため出版されたものとは細部が異なる)。 追記:その後、 この記事の中の「ハイコンテクスト文化」に関する内容をより丁寧に説明した記事を執筆しましたので、こちらも参照下さい。「日人はハイ・コンテクスト文化、○○人はロー・コンテクスト文化」論にまつわる誤解」 「日文化」論を疑う 英語教育関係者の「文化」という用語の使い方に違和感を覚えることがある。それは、「日人」の典型的行動・態度が日文化の特徴として断言されている場合だ。たとえば、「日人は集団主義だ」「日人の考え方は同質的だ」「日人はハイコンテクストの対話を好む」等々。こうした議論は日文化論・日人論(参照:ウィキペディア日語版「日人論」)と呼ばれる。 日文化論を疑うべ

    「日本文化」論を疑う(寺沢拓敬) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    dombly
    dombly 2019/05/09
    御意 "ネットで少し検索すればその誤びゅうが明らかになるレベルの「常識」はもう少し慎重に取り扱って欲しい"
  • 母語を学ぶことと外語を学ぶこと - インタプリタかなくぎ流

    平川克美氏の『グローバリズムという病』を読みました。株式会社をはじめとしたビジネスの論理だけで生き方を考えることに警鐘を鳴らしていて、快哉を叫びました。地域を捨て、文化を捨て、母語を捨て、様々な差異を捨てて「グローバル」なるものに溶け込むことがそんなにいいことなのかと。 グローバリズムという病 でも正直に言うと、かつて自分が中国語を学び、留学を志したのは、家族や地域を捨て、自分の文化や母語から脱却しようとする試みだったと思います。まさにグローバルに溶け込みたいと思っていたんです。でも、外から自分のルーツを見つめ直して、考え方が180度変わりました。 だから留学のように海外に身を置いて言葉を学ぶのはとても貴重な体験になると思います。でも、それは母語でこの世界、あるいは森羅万象を切り取ることが出来るようになってからの方がいいんじゃないかとも思います。例えば昨今「(グローバル化という)バスに乗り

    母語を学ぶことと外語を学ぶこと - インタプリタかなくぎ流
    dombly
    dombly 2014/12/04
    ダブルリミテッドの危険性/外語は必要になってから学んでも遅くない/日本の文化をどうやって発信するか(⇒「知日」者を増やすのが大切)
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