1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件は、都心を走る地下鉄車両に猛毒のサリンがまかれた未曽有のテロだった。当時、警視庁警備部に所属していた神正三(じん・しょうぞう)さん(72)は処理班として地下鉄駅に駆け付け、サリンが入った袋七つを回収した。早期の対処でさらなる惨事を防いだ形だが、サリンの影響で瞳が小さくなる「縮瞳」に悩まされることになった。14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った事件から27年。既に“教祖”らが死刑に処された今もトラウマが残り、オウムがばらまいた「闇」への嫌悪感は消えない。(共同通信=岩橋拓郎) ▽混乱伝える無線交信 「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ち悪くなったものが2名いるそうです。詳細、判然としません」。当時の無線交信記録は病人発生の一報で始まる。95年3月20日、月曜日の午前8時20分ごろだった。「歩道上に何人も倒れております」。「人工呼吸中。救急隊の話