70年前の1941年12月8日、川崎重工業神戸工場(神戸市中央区)で造られた空母「瑞鶴(ずいかく)」が真珠湾攻撃に参加した。民間の造船所で初めて建造された空母だった。44年にフィリピン沖のエンガノ岬沖海戦で撃沈され、843人が亡くなった。瑞鶴の建造と沈没を目の当たりにした元乗組員堀本秀治さん(89)=兵庫県稲美町=は「世界一優秀な空母だったが、兵隊の死はただ惨めだった」と振り返る。(本田純一) 瑞鶴は全長257メートル、排水量約2万5千トンで、搭載機は84機。僚艦「翔鶴」などと共に真珠湾攻撃に参加した。 堀本さんは神戸市兵庫区生まれ。1940年ごろ、空母建造のうわさを聞いて自宅近くの工場へ行くと、東側に巨大な艦尾が見えた。艤装工事中の瑞鶴だった。 43年に徴兵され、広島の海兵団に入団。航空機の整備兵になり、44年6月、希望して瑞鶴に乗り込んだ。「神戸ゆかりであこがれの船だから、うれしかった