第6節前日の12日、練習後に田坂和昭監督が急ぎ向かった先は広島。少年時代に所属した大河FCの先輩で、8日に逝去した山田泰寛氏に最後の別れを告げるためだ。 6歳上の山田氏と一緒にピッチに立ったことはないが、東海大一高(現・東海大翔洋高)の中心選手として活躍した経歴も同じ。早稲田大からヤンマーを経て清水でプレーした山田氏は、引退後に清水でジュニアユースを指導、その後に長谷川健太氏の下で富士常葉大監督を務めた関係もあり、田坂監督の清水スタッフ時代は、しばしば練習試合で対戦していた。 「大河FCの監督が『山田はやんちゃだったが、こんなに皆に慕われていると思わなかった』と語っていたよ。試合と重なって清水でのお別れの会に行けなかったので、葬儀には間に合わなかったけど焼香だけはしてきた」と田坂監督。10日のナビスコカップ第4節・名古屋戦に続き第6節・鹿島戦でも喪章を巻いて指揮を執り、先輩の逝去を悼んだ。
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