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社会思想に関するishikawa-kzのブックマーク (6)

  • Orloff 2009 - tamuraの日々の雑感

    Ann Shola Orloff, "Should Feminists Aim for Gender Symmetory?: Why a Dual-Earner/Dual-Caregiver Society Is Not Every Feminist's Utopia," in Erik Olin Wright ed., Gender Equality: Transforming Family DIvisions of Labor, Verso, 2009. Gender Equality: Transforming Family Divisions of Labor (The Real Utopias Project) 作者: Janet C. Gornick,Marcia K. Meyers,Barbara Bergmann,Johanna Brenner,Harry Brighous

    Orloff 2009 - tamuraの日々の雑感
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/12/05
    「特定の男女像を定めるのではなく「いくつかの可能性を開」」く
  • 適切な批評や創造は、臨床活動になる - Freezing Point

    永瀬恭一氏よりのレスポンス: 追記によって更に明瞭になっていると思うのですが、このエントリ自体が「制度分析」になっている −たとえば、端的に言って、「上山和樹という制度」の分析になっている。 私が素材化や当事者化と言っているのは、まさにそのことです*1。 一人ひとりの実存は、すでにそれ自体が制度として生きられている。 それを各人が、もう少し自分で検証して、組み直せないかどうか*2。――やたら組み直せばいいのではなくて、分節の必然と、適切なタイミングをともなって。 一人では難しいので、協働で。 次の表現は、再帰性の臨床論になっています。 僕は以前演劇をやっていたときに、演出家にくり返し「ボルテージをあげるな。テンションをあげろ」と言われた。一般にテンションをあげる、というと、何か体に力を込めて大声を出したり激しく動いたりする事を想像する。これはボルテージが高いだけで、テンションは低い状態なの

    適切な批評や創造は、臨床活動になる - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/21
    「いわば、臨床活動のコラボレーション」
  • ■ - Freezing Point

    大人とは、必要な仕事を自分で決められること。 「やりたいこと」「どうやったら愛されるか」ではなく。 難しいのは、それが自分には(人間には)できないとき。 射程圏内にある「必要なこと」を自分で見つけられれば。 「人生は、次の二つで出来ている。やりたいが、できない。できるが、やりたくない」(ゲーテ) 同様にして、次のように言えるだろうか。 「やる必要があるが、やりたくない。やりたいが、やる必要はない」。 当に「やる必要がある」と思ったら、それは「やりたい」と同じではないか? 「楽だ」と思えなくとも、必要だと気で思えることは、「やりたい」ではないのか。 《必要》どうしのぶつかり合いに政治がある。 「欲望をあきらめるな」*1というラカンの格率は、欲望というより、「必要」と言うほうが良いように思う。 もんだいは、その「必要」がイデオロギー的に固定されていること*2。 固定された《必要》のありかた

    ■ - Freezing Point
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    ishikawa-kz 2009/09/19
    「射程圏内にある「必要なこと」を自分で見つけられれば。」
  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    持ってきたのうち、盛山和夫『リベラリズムとは何か』(勁草書房、2006年)を、今頃になって読了。 リベラリズムとは何か―ロールズと正義の論理 作者: 盛山和夫出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2006/06/01メディア: 単行 クリック: 44回この商品を含むブログ (49件) を見る以前に100ページくらい(あと、一番最後のあたり)読んだところでストップしていたのだけど、最後のところ以外は全く頭に残っていなかったので(苦笑)、最初から再読。 で、今回はとてもよくわかった(海外効果?)。 全体として、『制度論の構図』以来の盛山氏らしい視点が明確で、その観点からのロールズとそれ以後のリベラリズム評価ということになっている。 立場としては、『正義論』と『政治的リベラリズム』の連続性を強調し、そのラインでのロールズの試みを反基礎づけ主義的なものとして、『正義論』以後の他の論者のリベラリ

    読書 - tamuraの日々の雑感
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/09/13
    「「経験的な正当化」と氏が呼んでいるもの(つまり「正統性」ということだが)を、安易に、特定の妥当性がある(=「理論的に」正当である)と理論家が見なす原理によって置き換えてしまわないような発送」
  • ハイエクが考察した『市場・知識・自由』 社会主義の破産は必然だった(1) - Liberal Utopia 持続可能な世界へ

    「設計主義的合理主義」の限界 世界的金融危機のなか、フリードマンなどに代表される「新古典派」が主張してきたネオ・リベラリズムへの批判が強まっている。 国家が出来るかぎり経済過程に介入することは避け、市場原理にまかせて自由な競争を行うことが経済の発展につながるとするネオ・リベラリズム。  市場原理主義では政府の役割放棄にしかならず、格差や貧困は放置されるだけだ。 しかし、そこから市場経済そのものまでも串刺し的に否定することは間違っている。  過度な自由主義が大きな問題を抱えていることは言うまでもないが、だからといって市場経済を否定しても問題は解決しない。  ましてや社会主義的な計画経済の不可能性は歴史的に明らかであり、市場が果たす積極的な役割についてはきちんと踏まえておく必要がある。 その点で、今世紀初頭の社会主義経済計算論争から一貫して自由主義を主張し、社会哲学として自由主義と市場の関係を

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    ishikawa-kz 2009/09/11
    ハイエク「競争は本質的に意見の形成の過程である。」
  • 文化左翼と現場――hizzz さんの整理 【はてブ】 - Freezing Point

    たいへん励みになりました。 勝手に切り貼りしてみます。 左派は 「共産主義」「反戦/平和」理念運動派 と 差別/貧困解消等の社会/民衆運動派=現場援助活動 に分離し、 (略) この内、理念運動派は「文化左翼」と呼ばれました。 分離してしまったデメリットは、 個々現場援助活動の実態/検証のフォローアップがないまま言論を主活動とした理念派の言説が自然と抽象的なことに行き先鋭化して具体的現場を喪失していった のに対して、 現場援助活動派は個々の現場により特化してしまって、社会全体との拡がりを持ち得ない状態に陥ったのでした。 そして、80年代以降、社会学業界を襲った?解釈文芸の嵐「ポストコロニアル」「カルチュラルスタディース」があります。この流行で、統計学などを使って個々の社会的現象を地道に追尾していく実証社会学は古くさいものとして後退し、まだ先行研究が殆どなく手あかのついていない第三世界やサブカ

    文化左翼と現場――hizzz さんの整理 【はてブ】 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/08/17
    「嗜癖と自我が同一化しているので、嗜癖を対象化すると、自我そのものが崩壊してしまう。 これは、ひきこもるメカニズムと深く関係しています。」
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