岩美町出身の作家尾崎翠(みどり)(1896~1971)が、同町の旧大岩尋常小学校で教員をしていた当時の写真が掲載された同小の記念誌が、同町で見つかった。ちょうど尾崎が初期の文学作品を発表した時期にあたり、同町の尾崎翠資料館によると、作品以外に同時期の資料が見つかるのは初めてという。情熱的な指導の一面をうかがわせる教え子の言葉も添えられており、当時の尾崎を知る貴重な資料として関係者の注目を集めている。(家城健太) 尾崎は1914年に鳥取高等女学校を卒業し、同年7月から約3年間、旧大岩尋常小で代用教員として教壇に立った。今回見つかったのは、73年に発行された同小の100周年記念誌「まつばら」で、その中に15年3月の卒業生と尾崎が一緒に写った集合写真や当時の生徒がつづった作文が掲載されていた。 記念誌は、同町史の編さんに携わった郷土史家の吉田政博さんが所有しており、今年8月に「尾崎翠の研究に役立
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昨日は、大学院重点化に至る国内外の動向を書いたが、具体性に乏しかったので、もういちど整理します。 参考文献は 大学院の改革 (講座「21世紀の大学・高等教育を考える」) 作者: 江原武一,馬越徹出版社/メーカー: 東信堂発売日: 2004/08メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 小林信一・筑波大教授執筆の「大学院重点化の功罪」を参照します。 現行の大学院は、1951年以降、新制大学の創設に伴い設置されました。1980年代に工学系の修士を中心に大学院が拡大しましたが、大学院独自の施設、教員がほとんど手当てされなかったといいます。 こうした中、大学院を大学の基幹的組織として位置づけるべきと考えられるようになりました。 1988年、大学審議会答申「大学院制度の弾力化について」が公表されました。これにより大学院の制度改革が可能となりました。参考資料が見当たらなかったので、平成
これまでご愛顧いただきました「五十嵐仁の転成仁語」を、こちらに引っ越しました。今後とも、よろしくお願いいたします。 注目の大阪ダブル選挙の投票が行われました。市長選挙と府知事選挙の結果は、次のようになっています。 市長選挙 橋下 徹 750,813 平松邦夫 522,641 府知事選挙 松井一郎 2,006,195 倉田 薫 1,201,034 梅田章二 357,159 選挙の途中に発表された投票率で、市長選挙が前回より11ポイントも高いと報じられました。これを見たとき、「これは橋下候補が勝つ」と感じたものです。 府知事選挙の方は1ポイントの上昇にすぎませんでした。こちらの方は、微妙だと思いました。 最終的に、投票率は市長選で60.9%となり、40年ぶりに6割を超す記録的な高さになりました。一方、知事選の投票率は52.9%で、12年ぶりに5割を超えました。 このような投票率の上昇は、これ
===== 「なぜ、僕がニートなのか」を考えたら、自分でも予想以上に興味深い答えが出た。「ざまあみやがれい!メールマガジン」vol.29 ===== メルマガのお返事にて、「僕がなぜニートなのか」というご質問を頂きました。これには他人が聞いて立派な理由など当然あるはずがないわけです。だけど今回、それを自分で整理する上でも考えながら書いてみたいと思います。 まず「なぜニートなのですか?」という質問に答えるならば、「今はとにかく自分のために使える充分な時間がほしい」というのが正直な答えかもしれません。 金銭的に豊かな生活はおいておいて(いきなり逃げですね。ニートの弱いところです)、今は僕は時間に追われない生活を獲得しています。これが欲しくて欲し くてだからニートなのだと思います。その時間に追われない生活の中で、本を読んだりブログを書いたり、考えたり、そういう事をしています。 この「時間に追われ
他県の皆さんにこれを伝えるのは きっと、僕の役目だ。 何を見ても「線量」に見える小学2年生。 我が子。 150位。いつも応援ありがとうございます。
沖縄防衛局長発言 「官僚のおごり」 県内で反発の声2011年11月29日 Tweet 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設計画をめぐり、田中聡沖縄防衛局長が28日夜、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けた環境影響評価書の提出時期をめぐり「犯す前に、犯しますよと言いますか」と発言した件で、県内の市民団体からは29日、「県民への侮辱だ」「差別意識の表れだ」など怒りや批判の声が相次いだ。 沖縄防衛局は29日も、米軍北部訓練場の一部返還に伴うヘリパッドの移設に向けた工事を東村高江区で着手しようとし、住民らと対峙(たいじ)した。 座り込みを主導している沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「140万県民に対する侮辱。防衛相は県民に説明と謝罪し、局長を更迭すべきだ。大臣の任命責任も問われる」と指摘。「沖縄県民への差別、力でねじ伏せようとする官僚のおごりが見え見え。居酒屋では何を言っている
「小松左京を宇宙へ送り出す会」で。手前にあるのは遺影代わりの肖像画=東京都内のホテルで2011年11月29日、内藤麻里子撮影 「小松左京を宇宙へ送り出す会」のために制作された、小松さんの似顔絵を描いたロケット“打ち上げ”直前の映像。実況中継は毛利衛さん=東京都内のホテルで2011年11月29日午後2時7分、岸桂子撮影 今年7月に亡くなった作家、小松左京さんを「宇宙へ送り出す会」が29日、東京都内のホテルで開かれた。作家の眉村卓さん、夢枕獏さん、漫画家のさいとう・たかをさん、歌手の松任谷由実さんら、友人知人450人が故人をしのんだ。 遺影代わりの肖像画には、ヘビースモーカーだった小松さん愛飲のたばことビールが供えられた。発起人の一人、漫画家の松本零士さんは「時間の輪が無限大なら、先生を新世界へお送りする日がきょう。またお会いできると固く信じている」とあいさつした。 この日の眼目は、宇宙を舞台
大学院博士課程を修了しても定職に就けない人間が増えていることについては,このブログで何回か書いてきました。しかるに,フリーター(非常勤講師)をしているなど,行方が知れているケースは,まだマシといえるかもしれません。 もっと悲惨なのは,消息不明になったり,絶望のあまり自殺に走ったりするケースです。2011年度の文科省『学校基本調査』によると,同年3月の博士課程修了者15,893人(単位取得退学者含む)のうち,「進路不詳・死亡」というカテゴリーに該当するのは1,512人となっています。調査時点の5月1日までに死亡が確認された者か,その時点になっても進路(行方)が把握できていない者のことです。 http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001033893&cycode=0 こうした死亡・行方不明者の比率は,1,512/15,893=9.5%
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
脱原発の日のブログ12月8日は1995年、もんじゅが事故を起こして止まった日。この時、核燃料サイクルと全ての原発を白紙から見直すべきだった。そんな想いでつながる市民の情報共有ブログです。内部被ばくを最低限に抑え原発のない未来をつくろう。(脱原発の日実行委員会 Since 2010年10月) 2011年11月28日 夕刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011112802000178.html 福島第一原発事故による汚染に悩まされる福島県飯舘村で、早期の除染と二年後がめどの帰還を掲げた村の復興計画をめぐり、村民と微妙な認識のずれが生じている。住民団体が実施したアンケートでは、除染の効果や早期帰還に懐疑的な声が大半だった。団体のメンバーは「戻っても収入源を絶たれては生活できない」と、移住費用など複数の生活支援策を訴える。 (
アパラチコラで過ごす優雅な時間 メキシコ湾沿いの入り江に面した米フロリダ州の小さな町アパラチコラ。こじんまりした海辺のホテルに宿泊し、バーで新鮮なシーフードを味わえるほか、地ビールの醸造所もある。綿花や漁業で栄えたこの町には、グリークリバイバル(ギリシャ建築への回帰)様式の優雅な住宅が散見される。数キロの沖合に浮かぶセントジョージ島には白い砂浜が広がる。
枝野経済産業大臣は、病気療養で入院した東京電力福島第一原発の吉田昌郎所長の病気と被ばくの因果関係について、結果が明らかになれば公表する考えを示しました。
「東日本大震災:被災地引きこもり、現状を考える NPOが神戸でシンポ /兵庫」(毎日新聞) 私の発表では、次のようなお話をしました(大意+補足)。 東北の体験談にもあったが、1995年の被災時にも、感動的な助け合いがあった。 しかしそれは、ライフラインの復旧とともに潮が引くように失われた。 私がこの10年あまりに助けていただいたのは、多くが手作りの活動だった。しかしそれは、みな経済的に苦しい。持ち出しが基本で、赤字ばかり。いっぽう、阪神・淡路大震災以後の巨額の資金は、住専問題(6,850億円)や神戸空港(3,140億円)*1に流れ、手作りの事業を支えるインフラ作りには使われなかった。日本では、巨大事業の《内側》に入れた人は理不尽な恩恵を受けるが、《外側》に置かれた人は、不当な排除を受ける。東北の震災以後、とくに原発関連に同じ構図を感じる。 こうした状況では、「障碍者」などのレッテルをもらう
大阪の府知事と市長のダブル選挙の投票が締め切られた11月27日の20時。テレビ各局は維新の会の候補者である市長候補の橋下徹氏と知事候補の松井一郎氏の当確を告げる速報テロップを一斉に流した。 市長選だけでなく、知事選までも大差で敗れる“瞬殺劇”は、「橋下陣営有利ながらも接戦」を信じた平松邦夫氏の支持者からすれば、予想外の速さだったかもしれない。 民主党と自民党の大阪府連だけでなく、共産党までもが支持に回った平松陣営の事務所は、あまりにも早い敗戦のテロップに一瞬のどよめきが起こったが、すぐさま静まりかえった。 一方、完勝に湧く維新の会陣営には、祝意を伝えに中央政界から議員が訪れるなど、早くも「橋下ブランド」を巡る駆け引きが始まっていた。 維新の会の完勝を伝える速報テロップはまるで、橋下氏争奪戦の始まりを告げる号砲のようだ。 平松氏、組織票頼みが裏目に 大阪市民が戦後初めて、行政経験のない民間人
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