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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (164)

  • 補助労働力、その他 - Arisanのノート

    承前。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110102/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110109/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110110/p1 フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る 『フェミニズムはだれのもの?』のうち、ぼくが特に興味深く読んだ座談は、「労働にとって「女性」とは何か」(村上潔・栗田隆子・生田武志)と「性≒暴力≒労働―堅気の仕事はどこにあるのか?」(鈴木水南子・栗田隆子)の二つだった。 この二つはいずれも、従来女性が労働市場の中で置かれてきた状況(家事労働を含む)と、現在フリーターな

    補助労働力、その他 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/01/25
    ニーチェが「気」という概念を知ってたら生きやすかったのではないかと思ったことが。哲学者としてのラディカルさは減るけども。ヘラクレイトスのような古代ギリシャの物活論には影響受けてたようですが。
  • 中村雄二郎氏の感情論 - Arisanのノート

    先日、この記事のなかで、こんなことを書いた。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110109/p1 私は、自分の経験に関連づけて、これを「感情の問題」と言う風に決め付けて言っているわけだが、「いや、それは感情の問題ではなく、フェミニズムなり朝鮮人なりの側に、反省するべきものがあるのだ」という反論もありうるだろう。 ただ私は、それよりも、それが「感情の問題」だからこそ重要だ、と言えるのではないかと思うのだ。 こう書いたとき、念頭にあったのは、去年読んだ中村雄二郎氏の著作のいくつかであった。 そこで、同氏の『共通感覚論』と『感性の覚醒』という二冊のの、「感情」について書かれてるところを見返してみた。 共通感覚論 (岩波現代文庫―学術) 作者: 中村雄二郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2000/01/14メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 65回この商

    中村雄二郎氏の感情論 - Arisanのノート
  • 『フェミニズムはだれのもの?』・その2 - Arisanのノート

    フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る 昨年の春に出版されたフリーターズフリー対談集『フェミニズムはだれのもの?』については、先日もその一部に関して書いたが、全体を読み終わったので、簡単に思ったことをメモしておきたい。 まず、一番気になったことだが、最初の「”おひとりさま”と”フリーター”は手を結べるか」という座談会の、はじめの方で大澤信亮氏が、こういうふうに言っている。 ただ、それとは別にもう一方で問いたくない理由があって、それは、僕が女性の問題を考えるときに、どうしても手放しで肯定できないというのがあったんですね。その肯定できなさというのは、もしかしたら後で戻るかもしれません。とにかく、そこを自分でもあ

    『フェミニズムはだれのもの?』・その2 - Arisanのノート
  • 『朱子伝』 - Arisanのノート

    年末から正月にかけて読んで、あまりの面白さにびっくりした。 朱子伝 (平凡社ライブラリー) 作者: 三浦國雄出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2010/08/10メディア: 単行(ソフトカバー) クリック: 27回この商品を含むブログ (4件) を見る 大思想家とされる朱子だが、このでは、気が短く直情径行で寛容さに欠けていたり、言行不一致であったり、またそうかと思うと心を許した弟子には見っともないほどに愛着や弱音を吐露してしまうなどといった、矛盾と欠点に満ちた「人間朱子」の姿、そうした性格上の欠点をよく自覚していながら、それを十分に克服することも出来ないまま死んでいった一人の男の姿が浮き彫りにされている。 著者の深い敬意と愛情を込めて描き出された、生身の朱子像と呼ぶべきものである。 朱子の性格について、彼をよく知る人は、たとえば次のように諌めていたという。 友人であり、思想上の好き

    『朱子伝』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/01/06
    「大思想家とされる朱子だが、この本では、気が短く直情径行で寛容さに欠けていたり、言行不一致であったり、またそうかと思うと心を許した弟子には見っともないほどに愛着や弱音を吐露してしまうなど」
  • 杉田俊介氏における「敵対性」と「倫理」について - Arisanのノート

    フェミニズムはだれのもの?』に収められた森岡正博氏と杉田俊介氏の対談「草系男子と性暴力」を読んでの感想。 フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る この対談の中で、たとえば森岡氏が次のように述べていることは、たしかにとても重要だと思う。 これは、森岡氏がかつて、田中美津を論じたなかで、はじめは『(自分は)この社会のなかで「男」として生きることそれ自体』には強い痛みを感じることはないと思い、そのように書いていたが、数年の沈黙の後に、『「男」に固有の性の痛みと苦悩は「ある」』のであり、『むしろそれを無痛化してスルーしうると思い込めたこと、そこにこそ、無自覚な男の暴力の真の源泉があったのではないか』(以上、杉田

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  • 『プルーストを読む』を読む - Arisanのノート

    プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書) 作者: 鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2002/12/17メディア: 新書購入: 5人 クリック: 23回この商品を含むブログ (24件) を見る このを読んでいて、一番戸惑いを感じたのは、たとえば次のような箇所だ。 これは、この小説の「語り手」による、社交界の生活の辛らつな描写に関する指摘である。 語り手はこういうときに、いちいち上流社交人の教養の無さを指摘するわけではない。むしろ彼らの言動を淡々と伝えるだけだ。そしてこれは作者プルーストの立場でもあるけれども、憧れを持って入りこんで行った環境のなかにあらわれる人々の滑稽な側面を、彼は異常なくらいの熱意をこめて描く。つまり外部から「フォーブール・サン=ジェルマン」を裁断するのではなくて、一種の共犯的な批判者として、華やかな世界の持つ醜さを、愛情をこめて紹介す

    『プルーストを読む』を読む - Arisanのノート
  • 『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート

    差別感情の哲学 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/05/15メディア: 単行 クリック: 77回この商品を含むブログ (21件) を見る 久しぶりに、読んでて卒倒しそうなほど腹が立った。 書いてあることは、普段身近でよく耳にする意見と重なるところがあるので、この機会にちゃんと批判を書いておきたい。 基的なスタンスへの批判 著者の基的なスタンスは、次のようなところに示されている。 私の疑問は、「心」に限定される。制度上の差別は撤廃してしかるべきであろう。差別的発言も(少なくとも)制限されるべきである。しかし、差別撲滅運動が人間の心に潜む悪意まで徹底的に刈り込むことを目標にするのだとしたら、誰もが差別感情を抱かなくなることを到達点とみなすのだとすれば、直感的にそれは違うのではないかと思う。(p9) しかし、現代日社会においていかに差別に対する社会的制裁が厳し

    『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート
  • 『哲学の教科書』 - Arisanのノート

    屋で「200円均一」のところにあったのだが、レジに持っていったら「はい、680円です」と言われた。 「もう詐欺!」と思ったけど、面白かったからまあいいや。 哲学の教科書 (講談社学術文庫) 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2001/04/10メディア: 文庫購入: 15人 クリック: 228回この商品を含むブログ (89件) を見る このは最初95年に単行として出版され、01年に文庫化された。 つまり、15年前に世に出たである。 著者の中島義道氏は1946年生まれとあるので、当時まだ50歳になっていなかったことになる。 さて、書の構成だが、第一章で、哲学についての、著者のもっとも基的な考えが述べられる。それは、哲学とは、「この自分の死」というものの深刻さをまともに受けとめて思考するところから始まるものだ、ということである。 あらゆる哲学の問いは、ハイデガー

    『哲学の教科書』 - Arisanのノート
  • かけがえのない日常と、力の支配 - Arisanのノート

    予想されたことだが、またぞろ各地で朝鮮学校に通う子どもたちを待ち伏せして面罵を浴びせたり、学校に脅迫まがいのことを言ってきたりする輩が出てきてるらしい。 砲撃で破壊された島の映像を見たり、ニュースに接して、誰でも抱く思いは、かけがえのない日常が突然破壊されてしまう悲惨さが広がるのを阻止しなくてはいけないということのはずなのに*1、その時に、自分たち自身が子どもたちを攻撃するという暴力を振るう人間の行動は、まったく矛盾してると思うし、恐ろしいというしかない。この人たちは、戦場を自分個人の日常の中に持ち込みたいのだろうか?(このことについては、後ほどもう一度ふれると思う。) でもこういうことも、「一部の心無い人が」という風に限定的に考えることも、これまでは一応出来たけれども、政府があんな(朝鮮高校の無償化手続きの中止という)発表をした今となっては、「日社会の一部のこと」という風には思えなくな

    かけがえのない日常と、力の支配 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/30
    「この、他者に不安や悲惨さを強い、私たち自身を不安と抑圧のなかに閉じ込める力への抗い、その努力の継続が、本当の「平和」なのだ。」
  • ミスコンと逆差別 - Arisanのノート

    夕方ニュースを見てたら、大学のミスコンのことを特集していた。 関西の大学では、女性差別につながるという理由から、学祭などでミスコンをやることを許可しないことにしてる所が多いそうである。 関東では、そういうところは少ないらしい(東大の学生や保護者にインタビューしていて、肯定的な答えが紹介されていた。)。 しかし学生の中には「ミスコンをやりたい」という人が、男女共に少なくないらしく、学生の有志が企画を立ち上げ、企業などからの協力を得て、イベントみたいにして実行したところ大成功した、という内容だった。 まあミスコン自体については、私はあまりはっきりした意見を持っているわけではない。 習慣みたいになってやるよりは、スッパリやらないという判断をする方が好ましい種類の事柄だ、ぐらいに思っている。 番組でも、今はルックスだけではなくて、知性とか他の要素も加えて審査するようになってることが紹介されてたが、

    ミスコンと逆差別 - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2010/11/30
    「「逆差別」も、私にはその実在が定かでないものである。それが他の事柄についてはたいへん厳密な言葉の使い方をする人でもこうした「差別」絡みのことになると、こういうよく分からない表現を自明のもののように」
  • 『善の研究』その他 - Arisanのノート

    善の研究 (岩波文庫) 作者: 西田幾多郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1979/10メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 192回この商品を含むブログ (62件) を見る 明治の終りに出版されたこのの第3編「善」のなかで、西田は人間が「善」を追求することの根拠を理性に求める「理性説」に対して、意識の内部と宇宙の実在とを統一する唯一の力(西田はこれを、大いなる自己とも、人格とも呼んでいる。ともかく、自己を超えるような内在的な力である。)を、理性よりも根底的なものであると主張する。 我々が理性に従うというのも、つまりこの深遠なる統一力に従うの意に外ならない。(p199) 而して斯(かく)の如き統一力をここに各人の人格と名づくるならば、善は斯の如き人格即ち統一力の維持発展にあるのである。(p199〜200) そして、次のように書く。 【さき】にもいったように、我々の全人格の要求は

    『善の研究』その他 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/17
    吉本隆明の「関係の絶対性」や金時鐘の複層的な歴史認識は、このような「至誠」とはちがう方向を指そうとしているように思われる。彼らの主張は内面的な真・純粋さが躓く地点から編み出されたのだろうから。
  • 私が理解できないこと - Arisanのノート

    新聞をみてると、今回行われた日米首脳会談について、「日中・日露の関係が緊迫するなか、日米関係を強化したいところだが、沖縄の基地移設問題がネックになっている」という論調になってるのには唖然とする。 これが、「沖縄から基地を無くしていきたいのは山々だが、今は日中・日露がこういう状況なので、それがネックになって思うようにいかない」という言い分であれば、同意するわけではないけど、まだ理解が出来る。 だがそうではなく、日米関係の強化が至上命題なのに、沖縄が基地をすんなりと受け入れないから、それがネックになって事が進まない、という言い分なのだ。 つまり、自分たち(日国民である)の安全(というより安心?)とか権益とかプライドの保持のためには、沖縄が犠牲になるのは当たり前だということだろう。 鳩山政権当時、沖縄の基地の問題に全国的な関心が集まっていた頃は、かならずしも「左翼」的でない、どちらかといえば国

    私が理解できないこと - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/15
    良記事だと思いました。
  • 京都学派と今西錦司 - Arisanのノート

    今朝の毎日新聞で、福岡伸一氏が今西錦司のを紹介していた。 そのなかに次のようなくだりがあった。 そうだ、日にもナチュラリストはいたじゃないか。自然を愛し、自然の中で生物が語る物語に耳を澄ませ続けた人物が。今西錦司。私が京都大学を選んだのは多分に、今西錦司に代表される京都学派的なあり方に憧憬を感じたからである。 今西の学問や考え方が、京都学派につながるものであるというのは、広く言われていることだろうし、ぼくも何となくそのように思っていた。 それが、そう自明なことでもないらしいと知ったのは、最近、中村雄二郎の『西田幾多郎』を読んだときである。 西田幾多郎〈1〉 (岩波現代文庫) 作者: 中村雄二郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2001/01/16メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (3件) を見る そこでは、京都学派の代表者ともいうべき、西田幾多郎の

    京都学派と今西錦司 - Arisanのノート
  • 自由をわれらに - Arisanのノート

    きのうたまたま、「天声人語」のこの文章を見つけて読んだときには、正直あまりのひどさにショックを受け、何を言えばいいのかも分からなかった。 今日ほかのところを見たら、この記事を非難してる人があったので、それに勇気付けられて自分も書いておく。 http://www.asahi.com/paper/column20101019.html 欧州あたりで「嫌米」のデモが荒れると、しばしばマクドナルドの店舗が襲われる。米国のグローバル支配の象徴というのだろうが、店員や材の多くは「国産」だ。籍に執着の薄い国際ブランドが、右代表としてやられるのは皮肉である▼中国内陸部の地方都市で、反日を叫ぶ群衆が暴れた。「坊主憎けりゃ」で、パナソニックの電器店やトヨタ車も壊された。政府間では落ち着くかに見えた日中の対立。外交から街頭へとなれば厄介だ▼騒いだのは愛国教育を受けた世代という。就職難など、色んな格差への不満

    自由をわれらに - Arisanのノート
  • 『プラトンの哲学』(読了) - Arisanのノート

    プラトンの哲学 (岩波新書) 作者: 藤沢令夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1998/01/20メディア: 新書購入: 1人 クリック: 42回この商品を含むブログ (22件) を見る 著者は、哲学史におけるプラトンの思想の意義を次のように語る。 プラトンは、生物としての人間の「生き延び」能が描き出す<物>的な世界像・自然像――<物>を最基要因とみなす世界像・自然像――を正面から原理的に吟味して、その相対化と一定の位置づけに務めた史上最初の哲学者である。「<物>的な性格のもの」の認識論的、存在論的、また自然哲学(宇宙論)的な身分・資格を徹底的に吟味し審査するための思想的闘いは、生涯の最後まで継続して行われた。(p109) プラトンは師であるソクラテスの思想を継承して、当時すでに有力に成りつつあった『<物>的な世界像・自然像』(物質文明や科学技術至上主義の土台となる)を、「精神」

    『プラトンの哲学』(読了) - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/10/20
    「(著者が語るところの)プラトン的な、内なる自然への「配慮と世話」の思想は、今日の社会では、むしろ「不快さ」と「生き延び」というテーマの方に親和的だと思うのである。」
  • 『プラトンの哲学』 - Arisanのノート

    以前、プラトンの大作『国家』(『共和国』)を読んだとき、はじめの方に出てくるトラシュマコスという強烈な人物に衝撃を受け、そのことを何度か書いた。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080321/p2 このときがプラトンのを読んだ最初だったのだが、それ以後他の著作をまだ読めていないのは恥ずかしいことだ。 いま、この岩波文庫版『国家』の訳者でもある藤沢令夫氏の『プラトンの哲学』(岩波新書)というを読んでいるのだが、そのなかにプラトンのそれより前の著作とされている『ゴルギアス』に登場するカリクレスという人のことが書いてある。 この人はちょうど、トラシュマコスに似た主張を、「主人公」とも言うべきソクラテスにぶつけてくる人物らしい。 藤沢氏による、カリクレスの言い分の要約を、少し引用させてもらおう。 『全部を引用できないのは残念だが、カリクレスはなおも同じ思想を熱っぽ

    『プラトンの哲学』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/10/12
    「『国家』などにおいて明確化されているプラトンの思想というのは、カリクレスの主張と、「通俗道徳への批判」という視点を共有し(とり込み)、その上で「世俗の徳」と異なる「真の徳」の追及へと突き進むものだ」
  • 領土について - Arisanのノート

    このところの尖閣諸島や北方四島をめぐる問題に関して、前原外相の強硬な態度・発言が、また注目を集めている。 以前その前原が、北海道に行った時、北方領土問題について「ロシアは北方四島を不法占拠している」という発言を行ったことがあった。 ずっとこの言葉がひっかかっていたのだが、今回調べてみると、元々麻生元首相の発した言葉なのだった。 http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101701000221.html ニュースになるほどだから、やはり異様な、強い響きとして受け取られた表現だろう。 ロシアが北方四島を領有している事実をどう考えるかではなく、とくに「不法占拠」という表現が用いられたことが耳目を引いたのである。 「不法占拠」ということは、相手の行為を法の名によって断罪しているわけだ。 自分と相手とを共通に裁ける法があり、その法に適っているか否かを判定する権限・能

    領土について - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/10/01
    「不法占拠」という言葉を使う政治家が支持されるのは、そうした言葉が、自分が置かれている不安定な所有の状態への不安と共に、その所有にまつわる後ろめたさをも解消したい(否認したい)という、人々の密かな欲望」
  • 最近の中国報道について - Arisanのノート

    最近の報道を見ていると、とくにテレビや大新聞の解説を見聞きしていて思うのだが、中国政府が日に対して強硬な態度に出るのは、中国国内の対日(反日)強硬論に押されてやむをえずやっているのだ、という論調が目に付く。 だが一国の政治というものは、国民や居住者が何らかの意思表示(投票、デモ、言論の発信など)を行い、それに促され、あるいは基づいて政府が政策を行っていくということが、当然あるべき姿ではないだろうか。 中国の場合、たしかに議会制度など制度的な面においては、そうした民主的な意思表示の手段が日や欧米ほど整っていないだろうから、デモや新聞、ネットなどでの意思表示が政府に対する強い力として働くことは、当然だともいえる。 もちろん、そこにはポピュリズムなり排外主義の生じる危険も含まれるから、それを手放しで賞賛するわけではないが、そうした危険は議会制度が完成されてる国でも同様に生じるということは、誰

    最近の中国報道について - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/09/28
    「日本人、日本の世論が、中国という国家の膨張的なあり方を批判しようとするのでれば、それは自らの、この国家権力と安易に一体化する暴力的な体質への自覚と批判を通してなされるのでなければならない。」
  • ロマの豚 - Arisanのノート

    以前に淀川に出たヌートリアの記事を書いた。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20100710/p2 ヌートリアは、戦前毛皮をとる目的で主に軍部により南米から輸入された動物だが(軍隊が寒いところに行ったからだ)、戦後は毛皮をとる必要もなくなり、放逐されて野生化すると、数が増えすぎて「害が出た」という理由から大量に殺されてしまい、今では岡山県以外ではあまり見られなくなった。 最近は、環境の変化などから、都市部で少し目に付くようになってるようだが、それもヌートリア自身にとってはあずかり知らぬところだろう。 最近は、アライグマが非難の対象になってるようだが、これも元々は勝手に持ち込んだり面倒を見切れなくなって野に放ったりした人間の身勝手に罪があることは言うまでもない。 アランではないが、人間はこういう形でも動物の生をとことん抑圧・搾取しているということは、疑いようのない事

    ロマの豚 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/09/23
    「人間は、ハリネズミが(防御の手段としてはほとんど役に立たない)「針」を持っているように、「言葉」を持ち、「嘘」を言うのではないか。そしてそれを通して、本当は他者とつながろうと欲しているのではないか」
  • ETV特集 『シリーズ 安保とその時代  第4回』 - Arisanのノート

    日曜日に放映されたもの。 http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html シリーズ4回目の今回は、60年安保当時、「安保賛成」の立場で活動した学生たちのグループ「土曜会」メンバーの回想と、その後を描いた内容だった。 このグループの出身者たちは、後に政界・官界・経済界・マスコミ及び言論界などの有力な地位について働くようになった。 番組中でコメントしていた佐々淳行氏や谷内正太郎氏などは、その代表例である。 このメンバーたちの「その後」を語る言葉で印象的だったのは、学生だった60年安保の頃は、安全保障の問題を真剣に考えて議論したり活動したりしてたのだが、卒業し社会で働くようになると、経済成長を続ける社会の雰囲気に飲み込まれたということもあり、「安保」のことには次第に関心がなくなっていった、という述懐。 これは、ほとんどの人が口を揃えて言っていた。 そ

    ETV特集 『シリーズ 安保とその時代  第4回』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/09/15
    書き手の政治的立場とは異なる人も一つ呼吸を置いて読めば様々な発見があるのではないだろうか。石橋湛山や内村鑑三とも少し異なる形の小日本主義といえるかもしれない。