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ブックマーク / daen.hatenablog.jp (39)

  • 土曜日の実験室―詩と批評とあと何か - 誰が得するんだよこの書評

    西島大介の短編集・エッセイ集。 僕はこの人、ちょっと変なを絵を描くイラストレーター程度に思っていたのですが、「世界の終わりの魔法使い」を書かれる経緯を読んで考えが変わりました。 なるほど。この人は絶望している。 どんどん世の中だらしなくっていくなぁと思っています。でも、だらしなくなっていく状況の中で生まれた人たちは、今が何と比べてひどいのか、以前の歴史や世代を参照しようもないから、楽観も悲観もない。そのくらい末期的な状況を、作品の前提としなければ嘘だなと。*1 絶望を嘆くことすら面倒くさくなるくらい、完膚なきまでに絶望しているのです。だからこそ、かくのごとき無気力な、けだるい作品が生まれてくるのだと思う。ちょっとだけ好きになりました。 *1:142p

    土曜日の実験室―詩と批評とあと何か - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/08/07
    「絶望を嘆くことすら面倒くさくなるくらい、完膚なきまでに絶望しているのです。」
  • さらば財務省! / 高橋洋一 - 誰が得するんだよこの書評

    もの言えば クビになるなり 経産省。 というわけで、公務員制度改革を骨抜きにした民主党政権を実名で批判した官僚の古賀茂明が退職依頼されて話題になっています。 書は、小泉政権時代にこの公務員制度改革をやろうとしていた財務官僚が書いたで、政権の裏側のよもやま話がてんこもりで、面白いことはなはだしい。著者はミルトン・フリードマン「資主義の自由」の解説を書いたほど、「小さな政府」を志向する経済的自由主義者ですので、ポストほしさに必死で官の仕事を作ろうとする官僚たちや、票欲しさで市場に恣意的に介入したがる政治家たちを嘲罵します。これが痛快です。 当然ですが著者は官僚たちにとても嫌われているので、この人の主張をいかにロジカルに論破するかが官庁の内定を得る鍵になるかもしれません。ちなみに先輩に聞いたところ財務省内定者は全員読んでるとのことでした。やっぱり働くなら民間がいいですね。 参照 野中尚人「

    さらば財務省! / 高橋洋一 - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/07/12
    「ちなみに先輩に聞いたところ財務省内定者は全員読んでるとのことでした。」
  • 哲学者・山脇直司氏への公開書簡――誰が公共哲学をファイナンスするのか - 誰が得するんだよこの書評

    先日「公共哲学とは何か」を批判的に取り上げたところ、著者である山脇氏から「私自身はこのが貴方の言うように「無害ないいとこどりの」とは全く思っておりません(中略)現代社会のあり方について激しく論争しましょう。」とのコメントをいただきました。 僕も市民の端くれとして、このお誘いには誠実に対応しなくてはならないでしょう。というわけで山脇氏の講義で教科書にも指定されている「グローカル公共哲学」の書評とともに、僕の意見を述べたいと思います。 結論から言えば、それは「この公共哲学は理想主義ではあっても、理想的現実主義ではないのではないか」ということです。 ここでは「正義」の話はやめよう まずはじめに断っておきますが、僕は公共哲学が目指している価値について、その是非を判断しません。つまり何が正義だとか、何が倫理的だとか、語るつもりはないということです。それはこの記事の主題ではありません。 (むしろ個

    哲学者・山脇直司氏への公開書簡――誰が公共哲学をファイナンスするのか - 誰が得するんだよこの書評
  • 権利のための闘争 / イェーリング - 誰が得するんだよこの書評

    「権利のための闘争は権利者の自分自身に対する義務である。と同時に、権利のための闘争は国家共同体に対する義務である」。 えーと、ちょっと何言ってるかわかんないです。権利ってことは「権利を行使しない自由」も含めて権利なんじゃないの? 権利を主張しなくてはいけない義務って観念できるの? ……そう考えていた時期が僕にもありました。 イェーリングは国家の領域侵害と、個人の権利侵害を同等に考えています。たとえばA国が国境線沿いの住民が一人も住んでいない不毛の土地・甲土地をB国に占領されたとします。A国にとっては経済的な損害は全くありません。しかし、A国はB国に土地の所有権を主張し、B国が立ち退かなかったら、武力行使するでしょう。それで兵士の血がどれだけ流れようと、戦費にどれだけ血税を費やそうと、闘うでしょう。 なぜか。舐められたら終わりだからです。自分の領土を気前よく占領させてくれるようなお人よし国家

    権利のための闘争 / イェーリング - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/06/02
    「イェーリングの面白いところは、権利の根拠を倫理的生存に求める点にあります。つまり、権利を侵害されると「あ、おれ今舐められてるなー」と「苦痛」を感じるわけで、この「苦痛」は経済的な損得とは無縁のもの」
  • M&A国富論―「良い会社買収」とはどういうことか / 岩井克人・佐藤孝弘 - 誰が得するんだよこの書評

    敵対的買収が流行ったときに「会社は誰のものか」という議論が盛り上がりました。会社法によれば、会社は株主に所有されているので、それが「良い会社買収」か「悪い会社買収」かは株主が決めればいい、ということになります。経営陣がいくら反対して、敵対的買収はけしからんと言っても、そんなのどうでもいいわけです。 一方で、会社はステークホルダーのもの、という考えもあります。株主以外にも従業員・債権者・取引先といったいろんな利害関係者が絡んでいるので、この利害関係者がおおむね納得するのが「良い会社買収」だろう、というわけです。しかし、従業員に甘い非効率な経営をして企業価値が下がり、株価も低迷している会社が買収のターゲットになるわけで、従業員にやさしい買収が良い買収になるかは微妙なところです。 とはいえ従業員を切り捨ててコストを削減し、短期的な企業価値を上げるような買収も、経済全体から見たら非効率です。従業員

    M&A国富論―「良い会社買収」とはどういうことか / 岩井克人・佐藤孝弘 - 誰が得するんだよこの書評
  • アル・カーイダと西欧 / ジョン・グレイ - 誰が得するんだよこの書評

    イスラム過激派や西欧文明について語られたの中でもっとも面白い。グレイは「アル・カーイダを中世への先祖返りだとする主張ほど仰天させられるものもない」*1 と言ってみせる。話は逆で、アル・カーイダはまったく近代的なのだ。では近代(モダン)とはなんだろうか。西欧社会に住む人はこう思っている。「近代化が進めば社会はますます似通い、しかもより良い社会になっていく。近代的であるとは、われわれの価値観を理解することであり、その価値観とは――われわれが好んでそう思いたがるように――啓蒙思想の価値観にほからならない。」*2 つまり普遍的な状況が存在し、そこまで進んでいるか遅れているかで文明を順序づける信仰が、近代性なのだ。そして近代的な人間は「遅れた人」を改造できると信じている。「遅れた社会」を廃棄し、「進んだ社会」を設計することで争いのないユートピアが実現すると信じている。この意味で、アル・カーイダはま

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  • 2円で刑務所、5億で執行猶予 / 浜井浩一 - 誰が得するんだよこの書評

    刑法・刑事訴訟法について学ぶ人は読んで損はないです。刑事政策の専門家が、治安にまつわる神話をデータに基づいて検証した。まず「少年犯罪は減っており、むしろ高齢者の犯罪が増えている」のが意外でした。万引きについては1980年代には50%が少年、10%が高齢者でしたが、2006年には30%が高齢者になり少年を上回ります。また刑務所に入る人の大半が「悪い人」というよりも「経済力を失い、社会的に孤立した人」という実態があります。中高齢者の犯罪は年々増加している今、刑務所が身寄りのない老人のセイフティーネットとして機能している状態です。つまり監獄が一種のベーシック・インカム(BI)になっています。 個人的にBIには、公務員契約としての性質があると思っています。三・寝る場所という最低限の生活を報酬として与える代わりに、犯罪を起こさないという労務を課す、公務員契約です。そうすると、BI導入は国土の全体

  • 安全保障の民営化がもたらす外交の変容―――P・W・シンガー「戦争請負会社」 - 誰が得するんだよこの書評

    1996年、A国中央政府は絶望的な状況にあった。太平洋に浮かぶ群島国家であったA国は、その経済を鉱山資源の輸出に依存しきっていた。その鉱山が反政府武力組織に占領されたのだ。しかし、国防軍にその奪回のための軍事力はなかった。旧宗主国からの援助も断られたA国は、それまで同盟関係になかったBに軍事援助を依頼した。Bは360万ドル(A国国防軍の年間予算の150%に相当する)の対価として最新鋭の攻撃部隊による反撃を約束した。この契約金の出所は未公認の予算削減と占拠された鉱山の国有化と売却である。 この取引は国民的な議論も議会への通知もなく行われた。この取引の過程で元国防大臣が50万ドルの賄賂を受け取り、行政府内の権力者に根回しをしていたことが後に発覚した。その後、軍の指導者がこのスキャンダルをもとに首相を批難する。取引の詳細が民衆に知らされると、軍を支持するデモがはじまり、文民政府は最終的に非を認め

    安全保障の民営化がもたらす外交の変容―――P・W・シンガー「戦争請負会社」 - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/12/02
    「よってこれから安全保障関係の密約が担ってきた役割は民間への請負契約に移るのではないだろうか。そしてそれは密約がもたらしてきた問題よりもはるかに厄介な問題をもたらすことになるだろう。」
  • 国際政治 / 藤原帰一 - 誰が得するんだよこの書評

    教科書にしては例外的に読みやすく、国際政治の面白さが伝わってくるいいだと思います。とくにナショナリズムに関する記述は引き込まれました。いきなりP・W・シンガー「戦争請負会社」みたいなは読まずに、まずはこういった基的なところからおさえるのがいいんじゃないでしょうか。あとこの人の講義は話がうまいせいか抜群に面白いです。

    国際政治 / 藤原帰一 - 誰が得するんだよこの書評
  • CIA秘録 / ティム・ワイナー - 誰が得するんだよこの書評

    噂、伝聞一切なし、すべて一次資料のみからCIAの実態を明らかにした傑作。1947年に発足したCIAの使命は「何よりもまず、第二のパールハーバーのような奇襲攻撃を事前に大統領に報告すること」だった。*1  つまり政策立案のために外国の情報を集め、理解する諜報機関として作られた。しかし諜報機関としてのCIAほどお粗末な組織はなく、ソ連にただの一人のスパイも送り込むことはできなかった。ソ連内の自発的な協力者だけがたよりだったが、彼らは全員殺されるか捕まるかした。さらにソ連の諜報機関KGBからの二重スパイによって情報が筒抜けであることも多かった。現地語を話せるスタッフの不足もあり(これは今も解決していない)、諜報で成果を挙げられないCIAは膨大な予算を浪費して秘密工作に走ることになる。 陰謀をたくらむのは面白い――成功すれば自己満足が得られたし、ときには勝算を集めることもあった――“失敗”してもと

    CIA秘録 / ティム・ワイナー - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/27
    むむ…「多くの秘密工作は慎重な計画というよりもその日その日の行き当たりばったりでなされ、多大な犠牲が生じた。しかしそうした失敗を評価する基準もシステムもなかったため、失敗は繰り返された」
  • 1984年 / ジョージ・オーウェル - 誰が得するんだよこの書評

    素晴らしい。この小説を単なる、管理社会批判の教訓としてとらえるのは野暮ってもんですよ。もちろん僕も自由主義者のはしくれとしては、このをアンチ全体主義・アンチ「大きな政府」のプロパガンダとして翼賛したい気もやまやまなのです。だが、なんか違うな、と思う。これは、運命に抗う人生の話なんです。ソ連のような社会主義国で情報統制機関に勤める役人の主人公が、体制の監視から逃れて、自分の審美感に忠実であろうする、その個々の局地戦の記録なのです。敵はあまりにも強大で、敗北は予め決しているようなものなのだけど、それでも主人公は日々の局地戦を戦い抜こうとする。当にただそれだけの小説ってことでいいんじゃないかな、とすら思うのです。 このが面白かった人は次のもオススメです。 伊藤計劃「ハーモニー」 ハイエク「隷従への道」 リチャード・セイラー, キャス・サンスティーン「実践 行動経済学

    1984年 / ジョージ・オーウェル - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/05
    わかります。1984はすばらしいです。抵抗とその帰結を含めて、優れた描写に支えられていると思います。
  • 平岡公彦氏・finalvent氏・とつげき東北氏のニーチェ解釈――永井均「これがニーチェだ」がすごい - 誰が得するんだよこの書評

    平岡公彦氏に紹介された永井均「これがニーチェだ」をようやく読みました。僕の感覚からすると非常にわかりやすかったです。紹介していただいてどうもありがとうございます。僕がどうしても理解できなかったのは「どうしてニーチェは健全だとか健康だとかにこだわっているんだろう?」ということでした。だから「健全さ」すらも相対化してありとあらゆる価値基準にとらわれることなく好き勝手に生きればいいという主旨のことを述べました。しかし、むしろニーチェの思想は「何が健全か」よりも「何が醜悪か」で考えた方がわかりやすいように思います。というわけで、永井均の解釈に沿って「何が醜悪か」について整理します。 1.第一の醜悪なもの――弱いもの・劣悪なもの 「優れた能力」というものについて考えてみましょう。 たとえば、「速く走れること」は、「速く走れないこと」よりも明らかに「よいこと」です。こうした価値観に対して、速く走ること

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/10/25
    もう少し別の角度からも攻めることができるかもしれない論点かなあ。でもその別の角度が私自身まだはっきりしない。
  • 鳩山由紀夫の政治を科学する / 高橋洋一・竹内薫 - 誰が得するんだよこの書評

    菅政権続投というわけで、なにやら支持率も上がっているみたいです。しかしへろへろだった鳩山政権と一体何が違うのか見えてこないので、なんとなく様子見という人が多いんじゃないでしょうか。というわけで、今問うべきなのは鳩山政権とは何だったのかであります。鳩山政権の支持母体はどこで、そのためにどんな政策をとっているかの分析するのが書ですが、元官僚というだけあって省庁関連の話は面白い。たとえば、なぜ財務省と経産省が優遇され、国交省・農林省あたりは叩かれるのかですが、これは保護産業への補助金を断つという全体最適の戦略でもあり、同時に自民党の影響力をなるべく削ごうという党としての合理性もある解なわけです。 うーん、ただ一般市民が鳩山政権の政策を評価するのに役立つかといったらあんまりですね。そもそも政策を評価するためにはその基準が示されていなければなりません。そしてその基準が他の数ある基準と比べてマシなも

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  • TAP / グレッグ・イーガン - 誰が得するんだよこの書評

    究極の言語というものが、もしあるとするのならば、それはどんなものになるだろうか。それは「ことばでは言い表せない感動」とやらも、容赦なく言語化してしまうものになるだろう。人間が感じうるありとあらゆる感覚/情動、そのすべてのパターンを正確に言語のかたちに換言してしまうのだ。人間はほとんどの情報を体感するが、言語を通した情報だけは「体感を抜きにした認識」ができる。すばらしい風景の描写を読み、そのイメージに酔いしれることもできる一方で、その描写が言わんとしていることをただそのまま理解するという乾いた認識もできる。究極の言語を手にした人は、ありとあらゆる経験を正確に認識してしまうのだろう。しかしその正確性ゆえに誤解や誤読が一切できなくなってしまうのだから、今までなあなあでやってきたところができなくなってしまい困るかもしれない。 表題作はいつものイーガンです。安心の面白さ。似たような話では長谷敏司「あ

    TAP / グレッグ・イーガン - 誰が得するんだよこの書評
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    ishikawa-kz 2010/09/11
    「実存から引き篭もるって。どんだけヒッキーなんだよ。」
  • 政局から政策へ / 飯尾潤 - 誰が得するんだよこの書評

    入学祝に親戚の伯母から宝くじを3000円分もらったことがある。当時の私は「よりにもよって宝くじか」と落胆したものだ。宝くじは手数料率50%超というほとんど金融詐欺みたいな商品だからだ。1000円賭けた瞬間に胴元に500円分徴収され、参加者は残りの500円を分け合うのだから、どう転んでも割に合わない。同じギャンブルなら競馬は手数料率25%なのでまだ良心的だ。馬券を買ってきてくれたほうがまだマシだ。いや、もういっそのこと3000円分現金でもらいたかった。空気読めないプレゼントよりもキャッシュのほうがうれしいということはままあることだ。 さて、空気が読めないおじさん/おばさんという点では、政治家も官僚もさして変わらない。空気を読むにはニッポン村は大きすぎるのだ。これがお互い顔の知れている我らがミクリヤ村なら話は違う。今年の御厨先生への誕生日プレゼントは万年筆だったが、これが3000円のキャッシュ

    政局から政策へ / 飯尾潤 - 誰が得するんだよこの書評
  • 天皇はなぜ生き残ったか / 本郷和人 - 誰が得するんだよこの書評

    天皇には「祭祀の王」「当為の王」「実情の王」といったさまざまな王たる性質があったがそうした要素は時代の流れにしたがって剥がれ落ちていき、最後まで残ったのが「文化の王」という要素だという。ただ、やや枝葉の議論になるが、鎌倉時代以降、幕府が「当為の王」として法による支配を実現した理由を、もともと「当為の王」であった朝廷に蓄積した知識から学習したという説明には疑問が残る。ぽっと出の武力組織が一丁前に統治をしようとするのならば「当為の王」としてふるまうことは、むしろ当然の要請だ。まさか圧政をしく暴君となるわけにもいくまい。 郷は幕府が「当為の王」であったときに、朝廷が「実情の王」であった理由を次のように説明する。 それにしても同じ時代の統治機構が、なぜ異なるタイプの裁定を下したか。それは強制力の相違だと考える。幕府には、豊かな軍事力があった。だが朝廷は、伝統を失い、軍事力を保有できなくなった。(

    天皇はなぜ生き残ったか / 本郷和人 - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/06/27
    「つまり俗世を超越した文化性・ホーリーっぽさ」
  • 戦争を論ずる――正戦のモラル・リアリティ / マイケル・ウォルツァー - 誰が得するんだよこの書評

    戦争はすべて「悪」だという人もいるが、現実に戦争が繰り返されている以上、そうした主張はある種の思考停止だ。戦争を「悪」というブラックボックスに詰め込んで、自分は正しいことを言ったと悦に入るだけのいやらしい行為だ。というわけでウォルツァーは戦争を道徳的に擁護できる「正しい戦争」と、そうでない「正しくない戦争」に分けて考える。そうした基準を示すことで、戦争を全面的に毛嫌いする人たちよりも、理性的に戦争を批判でき、紛争の解決に役立つのではないか、というわけだ。ウォルツァーの基準では「無辜の人々を殺すことは絶対的な悪」であり、とくに「政治共同体そのものの滅亡しかけているような緊急事態においては、他国の主権を侵害してでも武力介入しうる」という。 この「政治共同体」とは国家のことではない。国家が滅亡しても「政治共同体」は生き残ることがある。国家と異なり、「政治共同体」は決して置き換えることのできない文

    戦争を論ずる――正戦のモラル・リアリティ / マイケル・ウォルツァー - 誰が得するんだよこの書評
  • 半島を出よ / 村上龍 - 誰が得するんだよこの書評

    名作。基的に村上龍の小説は没交渉な性格の人間に居心地いいように作られています。要するに「普通」とか「一般」から浮いたアウトサイダーやマイノリティに向けて書かれた小説なので、そういったある種の痛々しさ・普通にするすると生きていけない不器用さをもっている人がどっぷりとハマるわけです。まあ自分がそうなので多分他の人もそうなんじゃないかと推測するんですが。さて、そういった取り残された人々の文脈を描きつつも、村上龍は彼らアウトサイダーのために新しい価値観を提示しようとします。 普通こういった場合、家族愛や友情、恋愛などの「周りを信じろ!」的な結束によって、物語としてオチをつけるわけです。ですが村上龍はそんな「普通」に嫌気がさしているのです。なに偽善ぶってやがる。そんな甘くないだろ。というわけで村上龍は一人でも生き残ること・自立することを作品のテーマにしています。他者との関係性についてとやかく言うの

    半島を出よ / 村上龍 - 誰が得するんだよこの書評
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/05/02
    レスありがとうです。そうですね5分後は94年作でオウム事件の前ですね/私も村上龍の作品の中で、傑作だと思います。「昭和歌謡大全集」や「五分後の世界」でやりたかったことがあわさって像を結んだと思います…
  • 資本主義と自由 / ミルトン・フリードマン - 誰が得するんだよこの書評

    貧困とか格差について語るならせめて読んでおいてほしい名著。そもそもメディアでは貧困問題と格差問題を区別せずにいっしょくたに議論されているが、この両者は全く別物だ。前者は「絶対的貧困があり、それをセーフティネットによって拾い上げよう」というものだ。後者は「相対的格差があり、それをセーフティネットによって縮めよう」というものだ。 フリードマンは相対的格差は問題とすべきではないと考える。そうした「結果の平等」を求めるパターナリズムでは、より生産的な活動をして上へ行こうというインセンティヴを殺してしまう。他人を蹴落とす競争なんてけしからんなどと反感をもつ人もいるかもしれないが、「もっとすごいものをつくって儲けよう」という個人の利己心が莫大な富を社会にもたらしてきたのだが歴史なのだ。どんなに手を抜いて生きても「結果の平等」が保障されるのなら、結局、旧社会主義圏が直面した経済の停滞につながってしまうだ

    資本主義と自由 / ミルトン・フリードマン - 誰が得するんだよこの書評
  • 文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構 / エマニュエル・トッド - 誰が得するんだよこの書評

    人工学の手法でかのハンティントン「文明の衝突」に喧嘩を売るという非常に面白いです。 トッドが重視するのは「識字率の向上」と「出生調節の普及」です。この2つが社会を大きく変化させる変数であることを統計的に明らからしい。当にその手法が有効なのかは素人目にはわかりませんが、文献を読み込んでアド・ホックな仮説をたてる人文学的なアプローチよりもマシな気はします。 文化的進歩は、住民は不安定化する。識字率が50%を超えた社会とはどんな社会か、具体的に思い描いてみる必要がある。それは、息子たちは読み書きができるが、父親はできない、そうした世界なのだ。全般化された教育は、やがて家庭内での権威関係を不安定化することになる。教育水準の上昇に続いて起こる出生調節の普及の方は、これはこれで、男女間の伝統的関係、夫のに対する関係を揺るがすことになる。この二つの権威失墜は、二つ組合わさるか否かにかかわらず、社会

    文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構 / エマニュエル・トッド - 誰が得するんだよこの書評