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2006年7月2日のブックマーク (3件)

  • インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - ゲームと公共性

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e146.html 文献リストがほしいですな。 とりあえずweb上では http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/lhcontents.html#vol2 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/510/510-1.pdf http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/510/510-2.pdf 告知を忘れていたが実は24日土曜日には福岡に飛んで、久留米大学サテライトキャンパスの公開講座で、「日にとってマルクス主義とはなんだったか」という話をしてきたのだ。 昨日28日には都立新宿高校で出張模擬授業をしてきたのだ。お題は「ゲームと公共性」。でも「公共性」という言葉の解説に時間をとられてゲー

    インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - ゲームと公共性
  • 「『ゆとり教育』=『知的亡国政策』」っていう考えはそろそろ止めにしないか - 花見川の日記

    『ゆとり教育』の話がしたい。 誰かがアホなことをやれば「ゆとり教育のせいだ」と揶揄され、どっかのVIP系まとめブログにも『これはひどいゆとり教育ですね。』っていう形でバカにされてるのが違和感バリバリなわけでして、しかもこの傾向に反論している人が結構少ない。だから根的に誤解されてる部分を洗い出してみたい。 学校が教育するのか、親が教育するのか ゆとり教育反対側の言い分として、「『詰め込み教育』がいくらひどかったからと言って、学習内容を減らし過ぎ。国力そのものが下がったらどうするんだ。」というのがある。確かに納得のいく論理だが、この論理の観点から言うと『教育する側が学校のみ』ということになる。実はここがポイント。 賛成側(文科省側)の理論として、少なくとも日では学校外の教育環境が十分整っているという前提から話が始まっている。事実、少し自転車を走らせれば図書館はあるし、屋もかなりの数があれ

    「『ゆとり教育』=『知的亡国政策』」っていう考えはそろそろ止めにしないか - 花見川の日記
  • 西尾幹二への疑問 - jun-jun1965の日記

    八木秀次と西尾幹二が骨肉の争いをしている。今月の「諸君!」で西尾が八木を非難しているが、そこで、八木には天皇崇敬の念が足りない、新しい歴史教科書をつくる会の会長にふさわしいとは思えないと書いている。かくして遂に西尾は、「自由主義史観」なるものが、自由主義などではなく、皇国史観ないし天皇崇拝史観であることを明らかにした。なぜ日では、天皇を崇拝せずにナショナリストであることができないのか。 さて、そのこととは別に、私は近年の西尾の文業におかしなものを感じずにいられない。たとえば新しい歴史教科書編纂に加わっていた歴史学者・坂多加雄が死んだとき、西尾は「愛国と靖國--追悼・坂多加雄」(『諸君!』2003.1)という追悼文を書いた。そこで西尾は、末期がんだと知らされた坂ががっくりと意欲を失い、恐怖の発作で夜中に外へ飛び出し、夫人が懸命にとりおさえた、というようなことを書いた。そういうことは、

    西尾幹二への疑問 - jun-jun1965の日記