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*philosophyと*sociologyに関するklovのブックマーク (8)

  • God & Golem, Inc.

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  • 「神的暴力」とは何か

    20世紀初頭の偉大な哲学者ヴァルター・ベンヤミンの論考「暴力批判論」(1921年)に、神話的 暴力/神的暴力という有名な区別がある。神話的暴力は、さらに、「法を維持する暴力」と「法を構 成し措定する暴力」に下位区分される。法維持暴力とは、警察が行使する暴力や刑罰のことであ る。法措定暴力とは、革命や有事のような例外状態において、新たに法を設定する暴力のことを 指している。 問題は、法を否定する暴力とされる神的暴力である。「暴力」という語にネガティブなものを感じる 人もいるかもしれないが、これは、恣意的であったり専制的であったりする法や国家権力から人を 解放する力のことであり、ベンヤミンは、これをポジティブな意味で使っている。だが、それは具体 的には何を指すのか? 法維持/法措定/法否定のほかに、単純な犯罪のような法に違背する暴力もあるので、暴力は 4分類できる。その内、「

  • 集合体のアイデンティファイについて - logical cypher scape2

    twitterで真面目な話をつぶやくと、klovくんがたんぶらってくれて便利*1 そこで、まとめてくれた話というのが、2006年頃にこのブログで書いていたことと非常によく関わっているので、まとめてリンクをはっておく。 まずは、今日呟いたことのまとめはこちら。 正しさには、2種類ある。一つは、理念・目的の正しさ、もう一つは手段・手続の正しさ。僕は基的に、集団には後者の正しさしか守ることができないと思う。手続を共有するのは簡単だが、理念を共有するのは困難だから、というシンプルな理由による。 (中略) 「理念」と「手続」を、「直接性」と「間接性」に翻訳してもよい(「間接性」ゆえに「手続」を要する / 「直接性」や「理念」を欲する)。「内包」と「外延」にも、頑張れば翻訳できるかもね。 http://d.hatena.ne.jp/klovlr/20080615/1213531646 SACの話はこ

    集合体のアイデンティファイについて - logical cypher scape2
    klov
    klov 2008/06/15
    こちらこそ面白い話をいつもありがとう/関連エントリ後で精読しよう
  • 『思想地図』 - logical cypher scape2

    冒頭の共同討議以外は読み終わった。 この雑誌は、冒頭の共同討議を除くと、 1歴史の中の「ナショナリズム」、2ニッポンのイマーゴポリティクス、鼎談日論とナショナリズム、3問題としての日社会、4共和主義の再発明、公募論文 に分けられる。 この中でわけても面白かったのは、2と公募論文であった。 東のデータベース論と伊藤のキャラ論をフレームとしつつ、それらをさらに精密化したり、応用させたり、作り替えたりして、様々な現代文化を論じている。 オタク文化論界隈には、まだまだ面白いことが残っているということを感じさせてくれるもので、興奮させられた。 東浩紀自身が、この界隈が去ってしまったということが惜しくなるようにも思えるし、あるいは、東浩紀の時代の終焉が、図らずも東浩紀編集の雑誌上で結実したともいえるのかもしれない*1。 では、それ以外の章はどうかといえば、面白いことは面白かったが、知的な興奮という

    『思想地図』 - logical cypher scape2
  • アドルノって誰なの? - sekibang 1.0

    Q.アドルノって誰なんですか? A.テオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント・アドルノさんです。1903年にユダヤ系の裕福な家庭に生まれ、すくすく育ち、1969年に亡くなった20世紀の思想家/社会学者/音楽家/批評家/教師です。思想家としてはヘーゲルの弁証法を批判的に継承しており、社会学者としては特にメジャーな著作はありませんが社会心理学的な研究をしつつ、音楽家としてはアルバン・ベルクに師事、批評家としては「ベンヤミンのほうが優れてるよ!」とか言われつつも、大学の先生としてフランクフルト大学で教鞭をとりました。1969年4月に、左翼の女子学生がアドルノの講義中におっぱい丸出しで乗り込んでくるという事件があってから教師としては休業をせざるを得なくなったのですが、その年の8月に心臓発作で亡くなりました。 Q.アドルノって偉いの?あんまり名前を聞かないけど…… A.はい。結構偉いです。第二次

    アドルノって誰なの? - sekibang 1.0
  • 市野川容孝「飢餓という殺害」 - sugitasyunsukeの日記

    メモ。 市野川容孝がフーコーの「生権力」(生きさせるか、死の中に廃棄するという権力)を「餓死するにまかせる権力」として再解釈している(「生‐権力再論――飢餓という殺害」『現代思想』2007年9月号)。 市野川は、餓死というとき、糧不足や栄養失調のみならず、HIV/エイズの薬剤や人工呼吸器がないこと、それらを与えられないまま放置されて死んでいくことをふくめている。作為的に殺すのではなく不作為のまま死ぬにまかせておく権力。 ナチズムの安楽死もまた(ある部分では)、作為的に殺しただけではなく、不作為(放っておくこと)によって例えば精神病院内の精神病者を殺害した。もともと第一次大戦中には、ドイツ国内の精神病院では、約七万人の精神病者が飢えと栄養失調で死亡している。この数は、ナチの安楽死計画によって一九四一年以降に殺害された精神病者の数とほぼ等しいという。ここから目を転じて、市野川は、現在の日

    市野川容孝「飢餓という殺害」 - sugitasyunsukeの日記
  • 自由と管理―パノプティコンと現代社会 - on the ground

    この記事は、「リバタリアンが導出する「大きな政府」」の着想と文章の一部を生かして執筆したものです。 パノプティコンと規律訓練権力 ミシェル・フーコーは、強制する権力、抑圧する権力、という従来の権力観を覆す新しい権力観を、ジェレミー・ベンサムが考案した監視塔=「パノプティコン」の例で示したことで有名である。 パノプティコンでは、囚人達はそれぞれ独房に入れられる。独房は円形に配置され、それぞれの入り口は円の中心に向けられている。円形の牢獄の中央部には監視塔がそびえ立っており、そこから各独房の内部が見えるようになっている。これに対して、囚人の側からは監視塔の内部をうかがい知る事ができない。それゆえ、実際に監視されているのか否かにかかわらず、囚人は常に監視されている意識を持たざるを得ない。囚人は監視の目を内面化して行動するようになり、自ら行動を律するような「主体」化を迫られる。ここでは、権力行使の

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  • 萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」 参加 - Kawakita on the Web

    ジュンク堂の池袋店だけでなく新宿店でもトークセッションが開催されるようになったようで、日開催された萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」(萱野稔人氏『権力の読みかた―状況と理論』出版記念)に行ってきました。 ※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 両者の国家論のスタンスについて 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。 簡単に国家はこうであるべきという「べき論」に行くのではなく、国家の機能分析の議論を展開している。 紀伊国屋書店 ブックレビュー [社会・思想]『国家とはなにか』萱野稔人 「ありそうでなかった独自の国家論」北田暁大 http://www.kinokuniya.co.j

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