やはり,今回の次世代DVDの規格争いは事前に回避すべきだった,と心から思う。この規格争いは,消費者のみならず,光ディスクの開発に関わる技術者にも多大な不幸をもたらしたと思うからだ。 次世代DVDの開発競争が本格化したのは,今から10年以上前の1997年,日亜化学工業の中村修二氏らが「青紫色レーザ」に実用化のメドをつけたころである。光ディスクの技術者にとって,波長410nm付近で発振する青紫色レーザは「究極の光源」だった。波長が380nm以下の紫外光になると,プラスチックやガラスの透明度が低下し,光学素子として使えなくなる。このため,青紫色レーザを使った光ディスク規格は,民生用光ディスク最後の規格と目されていた。 この当時の光ディスクの技術者には,光ディスク技術の発展を担う同志として,会社を越えた連帯感があったという。長年にわたる学会活動や規格化作業を通じ,技術者同士の気心は知れていた。「最