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ブックマーク / mint-seijotcp.blog.so-net.ne.jp (9)

  • 「ヤバい社会」を「学」ぶためには?:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    スディール・ヴェンカティッシュ『ヤバい社会学』、ドラマ版『銭ゲバ』。今回のエントリーではこの二つについて書いてみる。たまたま同じ日に観たという理由で。 ベストセラーにもなった――そして日では、「相撲界の八百長の存在」を数字だけで証明してしまっているとも話題になった――スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナーの『ヤバい経済学』の3章、「ヤクの売人はどうしてママと住んでるの?」(原題:Why Do Drug Dealers Still Live with Their Moms?)において、興味深い分析が紹介されていた。スディールという変わった若手社会学者が、シカゴの黒人ギャング(が住む貧困に陥った団地)のコミュニティにフィールドワークした――というよりもガチに「ツルんだ」――ことによって得られたデータから、黒人ギャングたちが作り上げるコミュニティ、そしてそこで共有されている「

  • カラオケの「正史」とメディア分析の作法:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    昨年12月に発売された、烏賀陽弘道『カラオケ秘史―創意工夫の世界革命』(新潮社、2008)が非常に面白い。カラオケの歴史について丹念に取材された一冊で、カラオケの起源からカラオケボックスの誕生、通信カラオケの普及、「郊外型・ロードサイド型」から「ビル・イン型」への発展など、その流れが見事に整理されている。 特に印象深かった点を2つ。1つは、「音楽鑑賞」よりも「カラオケ」を娯楽としてあげる人の割合が多く、レコード屋よりもカラオケボックスの店舗数の方が多く、CDなどの音源よりもカラオケの方が消費されているという実態から、日人にとって「音楽」とは「聴くもの」「受動的に鑑賞するもの」ではなく「歌うもの」「能動的に参加するもの」だという指摘している点だ。例えば現在では、「コミュニケーション消費」の欲望をウェブサービスやテレビ番組の歴史などから読み取る論も少なくないが、カラオケというメディアを観察す

  • バーチャルと郷愁(クロノトリガーDS購入記念:笑):荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    あらゆるメディアは、時間を経るとノスタルジーの対象となる。それは、ゲームやアニメといった、ここしばらく「ニューメディア」とされてきたものも例外ではない。現に僕たちは既に、ドット絵に、セル画に、フィルム撮影の映画に、ノスタルジーを感じているようだ。 ノスタルジーは、ある環境に対する、極めて記号的な反応だ。懐かしい手紙に涙し、古いを大事にするように、僕らはデータベース上の記号の配列であっても、その感情を揺さぶられる。それはとても豊かな感情だ。その感情を作り出す環境を自明視し、それを共有しない者に対して押し付けることさえ自制しさえすれば。 ニンテンドーDSより発売された『クロノトリガー』のテレビCMは、露骨にノスタルジーを喚起するものになっていた。スーパーファミコンから飛び出した、懐かいキャラ達がDSという新舞台へたどり着く姿が、DSを手にしたプレイヤーの感動を重ねられる。キャラ同士の再会を喜

    klov
    klov 2008/12/02
  • 議論は「語彙」が9割!……とまでは言わないけれど:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    以前、こんな内容のを読んだことがある。人権や公正さを求める論者が、ある国の軍事組織の委員になった。その人自身は軍そのものに割に批判的だが、現実に軍が存在している以上、内部からその組織の方向性を少しでも変えようと目論む。そして、会議で影響力を持つためには相手と同じ語彙で語る必要があるため、徐々に軍事組織の仕組みや用語等を覚えていく。しかしその言葉を使っているうち、いつの間にか「軍事的効率」といった発想を、無自覚のうちにしてしまいそうになることに気づき、はっとするというものだ(それにしても何のだっけ。棚ひっくり返してるんだけど、みあたらねー!)。 思考や議論の場において、「議題設定」が重要であることは頻繁に指摘されている。どのような問いを立てるかが、既にある程度、結論のあり方を決定付けてしまうというように。それと同様に重要になるのは、「語彙の選択」だ。どのような語彙(群)を選択するかは、

  • メディアにとって「野性」とは何か:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    klov
    klov 2008/11/13
  • アメリカンヒーローはなぜ戦い、日本の教師は何を教えるのか:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    「人とは異なる力」を持った者が、ある「使命性」を帯びて特定の「敵」と戦う――。その構図から、ヒーローにとっての「戦う理由」は、多くの場合「社会の公共性」をめぐる議論と重ねて語られがちだ。特にアメリカンヒーローは、「911のトラウマ」「自国によるポリスアクション」を強烈に意識した演出や設定が施されることにより、「アメリカをどう描き直すか」という解釈を誘発する。 『スーパーマンリターンズ』では、“スーパーマンはもはや不要”という世論の元、崩れ行くビル街の中で“弱くなったスーパーマン”が再び“復活”し、“スーパーマンこそ必要”に変わる世界が描かれる。『スパイダーマン3』では、星条旗をバックにしたスパイダーマンが、“家族のために犯罪”を犯した砂状の体を持つ「サンドマン」(不定形の暴力)や、自らの暴力性が生んだ「ブラック・スパイダーマン」(鬼子)と戦いつつ、かつての友人「グリーンゴブリン」とも和解し

    klov
    klov 2008/10/28
  • 「疎外」と「包摂」の情報思想:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    ウェブ上のコミュニティや、インターネット技術を用いたコミュニケーション管理、あるいはウェブ・コンテンツ周辺に作られる共同体などの誕生は、多くの人に自由と、利益と、浪費と、困難を同時にもたらしている。情報技術は、これまでの社会にあった問題解決に向けて提供されたものであるが、同時に同量の問題群を新たに生んでいる。両者の関係はトレードオフでありながら、不可逆だ。だから「情報技術を必要とする社会」を抽象化して捉え、長期的な議論に耐えられる言説の下地を作るために、これまでも多くの「思想」(「サイバーリベラリズム」「サイバーリバタリアン」といったような形も含め)が語られてきた。 日においても、さまざまな仕方で「情報社会」を捉える「思想」が語られている。ただし、若干気になることは、その言説が「どこから」繰り出されているかという点だ。たとえば最近頻出するキーワードに「設計」というものがある。最適なアー

    klov
    klov 2008/10/14
    ヤングの新刊に漂う「政治的な政治性の無さ」モードは、しかしどこまで有効なのか気になる。
  • 「メディアに騙されない」ってどこまで可能なんだろうか?:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    僕達はしばしば、「メディアに騙されない」ことを、なんだか大層いいものであるかのように語りがちだ。と同時に、「メディアに騙されている」人に対し、嘲笑的に振舞ったりもする。しかし、「メディアに騙されない」ことって――それが可能<ではない>ということは大前提としても――そもそも「可能だと思われている」のだろうか。あるいはこう言いかえてみよう。「メディアに騙されない」ことを主張した嘲笑が行われる際には、バッシング側の人は、当に「メディアに騙されている」<から>その対象を批判しているのだろうか、と。 TBSのバラエティ番組「ドリームプレス社」では、女性芸人たちが様々なタイプのダイエットに挑戦している。べ合わせダイエット、レコーディングダイエット、コアリズムなど、さまざまなダイエット方法を提示し、自分にあったものを選べと呼びかける。どれがベストだとは決して言わない。ただ芸人を実験台にし、そのプロ

    klov
    klov 2008/10/07
  • ドラマ版「恋空」の失敗が意味するもの:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    さて、ドラマ版「恋空」が大変に低視聴率である。「Audience Rating TV」によれば、毎回の視聴率は約6%前後を推移しており、結構悲惨なことになっている模様。「恋空」が放送されている土曜八時の枠には、裏番組として人気番組「めちゃイケ」があるわけだけれど、それにしても、である。おなじく土曜八時に放送していた、サブカル原作のドラマ「ROOKIES」がそこそこヒットしていたことを考えると、時間帯のせいにするだけではムリで、やはりどう考えても「恋空」のドラマ版そのものが大コケしたのだと言わざるを得ないだろう。 「恋空」の低視聴率はウェブ上でもちょっとした事件だったようで、「なぜ低視聴率なのか」を検証する記事や、「スイーツざまぁwwwww」と嘲笑する記事などが多く書かれており、勢いあまって、低視聴率にショックを受ける脚家やその他視聴者のブログに突撃して荒らしたりする者もいたりした。それら

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