新宿ロフトプラスワンにて、秋葉原通り魔事件についてのパネルディスカッションがあるというので、事件の現場に居合わせた者として、先月に同じロフトの阿佐ヶ谷でやはり行われたトークライブにも行きましたし、今回も何とか時間をやりくりして行ってみました。 今回のイベントの主旨と参加者は、ロフトのサイトから書き写すとこんな感じです。「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」 秋葉原通り魔事件は単なる半狂人による特殊な犯行ではない。宮崎勤幼女殺人事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件と続くこの20年の社会の闇の部分──若者達の不満や怒りを見据えないと、事件の真相は見えてこない。『現実でも一人。ネットでも一人』という絶望的な状況で人は脱社会化するしかないのか? 【出演】宮台真司(社会学者)、東浩紀(哲学者/批評家)、切通理作(評論家)、雨宮処凛(作家)、月乃光司(こわれ者の祭典)、タダフジカ(ギタリスト)、
読売新聞によれば、秋葉原の大量殺人事件以降、無差別殺傷事件が3週間に7件も相次いでいるという(きのうも1件あった)。こういう現象は自殺と同じで、メディアが騒ぐと続発することは、犯罪心理学でよく知られている。まずメディアが自重し、特に同じ事件を繰り返し続報で扱わないことが重要だ。 もう一つは、こうした事件に意味をもたせないことだ。「格差社会」や「勝ち組・負け組」といったありがちな図式で、殺人犯を「時代の象徴」に祭り上げることは、病人を増長させ、模倣犯を呼ぶ。この種の「ありがち評論」の典型が、事件の実態もわからない3日後に「容疑者が職場への怒りや世間からの疎外感を長期的に募らせた」とか「社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒り」などという見事なステレオタイプで、秋葉原の事件をテロと呼んだ東浩紀のエッセイだ。 仲正昌樹氏は、『諸君!』9月号で、東のサヨク的議論を「ポストモダンの堕落」と批判
今年の五月、「文学フリマ」を見学するために、秋葉原に行った 激しく驚いた 駅前にたくさんのメイドさんが立っていたのだ どんな天国かと思った メイドさんが大挙して、ビラ巻きをしている 「メイドさんと一緒に秋葉原の街を一日デートできますよ」というビラが多かった それから、メイド喫茶の宣伝のものも、少々あった ええっ メイドさんと秋葉原の街をデートできちゃうのっ? 萌え死ぬ…… ぼくはしゃがみこんで泣き出しそうになった ぼくにお金さえあれば、あんなことやこんなことをしちゃうのにっ こういう水商売も登場しちゃったんだなーと、狂おしくなる 私は嫉妬した 三島由紀夫の『金閣寺』の主人公が、美の象徴たる「金閣寺」を燃やしたごとくに、秋葉原の街を燃やしたくなった そのとき感じたのは、秋葉原とは、三重の意味で屈折した街なのではないかということだった 話は少し遠回りする そもそも、人間にとって「文学」とは何な
秋葉原の例の事件で、ビデオジャーナリスト神保さんのトーク・ビデオが非常におもしろい。(一部はそのまま見れるが、全て見るには会員登録。しかし、一月ほんの500円であるのがすばらしい。)ゲストは若者文化やネット事情に詳しい批評家の東浩紀氏だ。 http://www.videonews.com/ 一部を神保さんのブログから引用すると: http://www.jimbo.tv/videonews/000459.php 今年に入ってから、土浦連続殺人事件や岡山線路突き落とし殺人事件など、若者が見ず知らずの人を殺傷する事件が相次いでいる。政治家や世の識者らは、動機が不可解なこれらの事件の原因を、若者が抱える『心の闇』に求め、ネットやゲームなど仮想現実の影響として、規制を加えようとしている。現に、町村信孝官房長官が、事件発生直後の記者会見でナイフの規制強化に言及しているほか、サーバーを管理する事業者にネ
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