最近の界隈の議論を見たりして思ったこと。 人間の精神を高潔たらしめるためにハードルを上げることはそれに至らない人をどう扱うってことなのかな。逆に「人間だもの」って言って際限なく弱さを肯定することは、人が人らしくあるために考えてきたことをどう扱うってことなんだろうか。 メンタリティーの強さを肯定することと弱さを肯定することは果たして両立するのだろうか。両立し得ないとしたら、人間らしくあるとは一体どっちなんだろう。極論すると、自然に帰る(弱肉強食の肯定)とある種の選別(最適化の肯定)に行き着くんじゃないかとも。 そのことに答えを見つけるために色々考えているような気がするんだけど、どうなんだろうね。