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綺麗なまとめありがとうございます。そう、キモいのは変化のスピードと、それを支える思想の淡白さ。そしてどこに連れてかれようとしているのかよくわかんないところ。恐ろしいと思うのは、「あ、これはまずいぞ」とみんなが思ってももう引き返せなくなるポイントを越えてしまっているような気がするところ(こんきょのないペシミズム) グーグルが強固な信念に則り、確信犯的に創造的破壊活動を行っているのはわかる。が、「さすがグーグルッ!(中略)そこに惹かれる憧れる!」とは思えない。自分にはグーグルのやり方は性急で荒っぽく見えるし、技術に対する無邪気すぎる信仰も傲慢すぎていやだ。ま、これはもう完全に好みの問題かも。グーグルが駆逐しようとしている「旧勢力」を弁護したいわけじゃない。その点ついては面白いからもっとやれ、と応援している。でもだからといってグーグルが導く未来がバラ色とはこれまた思えない。急激すぎる変化のしわ寄
以前、「地頭力を鍛える」について触れました。地頭力のカギ。抽象化思考と具象化思考の使い分け 地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」 作者: 細谷功出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2007/12/07メディア: 単行本購入: 54人 クリック: 878回この商品を含むブログ (274件) を見る今、求められる頭の良さは、博識ではなく、地頭の良さが求められていると思います。 それなのに、今の勉強ブーム、学習ブームを見ていると、何か違う方向に勉強している人が多いような気がするのです。勉強する時間なんて、限られた時間しか皆さんないですよね。ただでさえ短い時間しか確保できないのですから、それを大切なセンターピンに向けて投資をしていかないと、全く成果がでてきません。(成果とは、「稼ぐようになれない」「稼ぐ能力まで高まらない」ということ。) 今、多くの方々がやっている勉強法は、「正
「地頭力を鍛える」、読みました。コンサルティング業界では、昔から、「彼は学歴はさほどでもないけど、地頭が良いよね!」なんて言っていました。しかし、きちんと、その地頭って言うことを定義したものはありませんでした。 地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」 作者: 細谷功出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2007/12/07メディア: 単行本購入: 54人 クリック: 878回この商品を含むブログ (274件) を見るこの本では、地頭を良くするには、3つの思考力を身につける必要があると主張しています。 仮説思考 (少ない情報しかなくても、まず結論について仮説を立てて、物事に取り組む) フレームワーク思考 (物事に取り組む際には、全体像をまず描く。全体像を描いた後に、部分に焦点を絞っていく) 抽象思考 (物事は、単純化してしまうと、似たようなものばかり。特殊性などは少ない。他の
ニセ科学批判は、(科学/非科学)という区別に準拠し、対象となる言説や技術を観察する。ところが、そうすると、(科学/非科学)を区別する当の判断基準そのものが科学的であるかどうかという議論が必ず起こる。さらにその基準の基準についても議論が起こり、再度(科学/非科学)の区別を適用せざるを得なくなり、永久にニセ科学批判は不確定となる。このような区別の自己適用から起こるパラドックスを「自己言及のパラドックス」という。簡単に言うと、科学とは何ぞやという問いは、永久に不確定であり、ニセ科学批判は永久に完全に成り立たないということである。真偽、善悪という区別も自己言及のパラドックスに陥り、結局、不毛な議論となる。 ニセ科学批判を脱パラドックス化するためには、同じ区別を遡るのではなく、別の多様な区別で観察する必要がある。例えば、(有用/無用)、(有害/無害)、(合理的/不合理)等という区別から観察してみるの
人をdisる時には注意が必要だ誰かをdisる時は、細心の注意が必要だ。生半可にやると、かえって自分がdisられることになる。人の、誰かをdisることに対する眼差しは厳しい。少しでもおろそかなことをすると、とたんにそこを突かれてしまう。人を糾弾したつもりが、かえって自分が糾弾されることになる。これでは本末転倒だ。 だから、そういうdisりブーメランを受けないために、おろそかなことは書かないようにする必要がある。最低限のマナーを守って、節度あるdisり記事を書く必要がある。作法というものを守って、読む人の反感を――disりを買わないようにする必要がある。 そこでここでは、そんな「人をdisる時にやってはいけない作法」を分析し、11の項目にまとめてみた。参考にしたのはこちらの記事。ポニョ見たけど、男の師匠も友達もいない宗介と、オタク的に都合の良い「聖なる女性賛美」が強すぎて駄目でした - さて次
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良く「はてな村にはエスパーが多すぎる」と言われることがあります。 本当かどうかわからないことを決め付けるな、くらいの意味で言っているだと思うんだけど、そんなこと言って考えをやめてしまう位だったら、積極的にエスパー足らんとしていた方がよいんじゃないか。 そもそも、そこに書かれていること自体がその人の本心なのか、あるいはちゃんとわかって言っているのか、ということすらわからないわけです。別にウェブに限った話じゃなく。色々な情報、あるいは経験知、あるいは論理、あるいは学んできたこと。そういうものを駆使して相手が何を言わんとしているのかを類推し、きっとこうだと思って応答する。普段の会話だってそうしているんじゃないかと思う。 ウェブではそこにおかれている文章以外の情報は手に入りにくい。リアル友人だったり、長い間やりとりがあったり、オフ会行ったりするとだいぶ違うと思うけど、そういうのがないと、顔を付き合
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