犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 文部科学省は「いじめ」の定義について、長らく「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」と定義してきた。頭の良い方々が一言一句に気を使って、厳密に定義した結果であることはわかる。しかしながら、現に溺れている人を前にして浮き輪を投げず、会議室に集まって人命救助の講習会を開いているようなバカバカしさは消えない。文部科学省はようやく「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」と方針に転換し、教育再生会議は「いじめられた本人がいじめだと思えば、それはいじめである」と述べるようになった。 本人がいじめだと思えばいじめになる、これは言語哲学からはごく当たり前のことである。「それ」を動物だと思え