言葉というものをよく知らない人がいるようだ。その人が、言葉について語っている。 言葉に乱れなんてない - タケルンバ卿日記 この人は、言葉というものは単に「コミュニケーションの道具」であるという。しかしこれは誤りだ。言葉は思考も司る。人間は言葉でものごとを考える。そしてその思考が、人格というものを形作る。だから、言葉は人間の一部でもあるといえるのだ。人間にとって、言葉というのは存外に重い。 この人は、「『正しい日本語』とか『言葉の乱れ』なんてねえよ」と言う。これは単純に誤りだ。ものを知らないだけだ。井の中の蛙が、世界の広さを語るのと同種の無知だ。しかしこれに関しては、ぼくは単純にその無知を責めることはできない。なぜなら、彼はきっと正しい言葉というものを知らされずに育ったのだろうからだ。それは、ファーストフードだけで育てられた子供と似ている。そういう子供は、「ご飯なんてお腹に入れば一緒」とう