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感情に関するmassunnkのブックマーク (4)

  • 空中キャンプ - 2007-09-15 ■怒りながら笑う人

    わたしは、怒りの感情が弱い。喜怒哀楽と感情あるなかで、怒のバランスがかなり低いのである。もちろん、頭にくることはしょっちゅうあるのだが、怒りがうまく持続しないし、なんだか途中からは疲れてきちゃって、わりとどうでもよくなって寝てしまう。だから、ものごとに取り組むさいの動機づけとして、怒りをうまく利用できない。「ちくしょー、頭にきたぞ。こうなったら、誰にもまねできないような、なにかすごいことやってやる」という気持ちで、ものごとへ向かうことができない。 負の感情を動機づけにする、というのは、もちろんわるいことではない。ヒップホップがその代表例だ。生まれた環境や差別、貧困などの経験を、表現に昇華させる。かかる表現が広く受け入れられたのは、やはりそれがリアルだったからで、怒りをきちんと表現の域にまで持っていけた人たちもたくさんいる。しかし、正直なところわたしは、「怒ってるラップ」にそれほどなじめなか

    massunnk
    massunnk 2007/09/16
    笑いながら怒る人だったらこれだよな>http://www.youtube.com/watch?v=mxV-Kod4WsU
  • 自殺の記憶の処理について - スーヴェニアルを君に。

  • 記述の限界 - Double Line

    思いのままに書いていると、当然解釈や誤読が生じる。その解釈がある意味救いでもあることを私は知っているが、それに対して否定している、ということを自分自身述べていることを知らないまま、否定になってしまっていることがある、らしい。「理論」と「自分の世界観に対しての呟き」を一緒にしてはいけないとは思いつつ、癖で、小説のノリで書いてしまうことがある。「記述」にしても「形式」が必要。小説にも三人称、一人称があるけれども、三人称と一人称を一緒にすると混乱が起こるのと一緒だろう。私はどうもこの混乱の気がある。「〜と思った」と書くのもバランスを崩すとか、そうした癖が以前にはあったことが(最近はできるかぎり気をつけるようにはしているけれども)まだ残っているのだろう。 私自身「何が原因なのか」ということ自体が分かってないことがある。この認識の限界で対話のい違いがある、ということは理解している。二次元平面しか捉

    記述の限界 - Double Line
  • Hang Reviewers High / 宇多田ヒカル「Utada Hikaru in Budokan 2004"ヒカルの5"」

    どうにも忙しいのが終わらない。このままゴールデンウィーク進行に突入して忙殺されてはかなわないので、週末はゆっくり休む予定。 忙しいので東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」すら読み進まない。平易ななのだがとにかく読書時間が細切れになってしまいイライラする。は一気に読みたい性分なのだ。なにせ集中力も記憶力も足りていないので、中断してしまうと前に何が書いてあったのかサッパリ思い出せなくなる。仕方がないので昨日風呂に持って入り、ようやく一章を読み終えた。ここまでで、もう十分にすべての理屈は提示されていると思う。だからこのブログに何かを書き付けてもいいのだが、せっかく鋭いことが書いてあるなので最後まで付き合ってからにしたい。 しかし、そう考えるのが間違いなのだ。そこに僕の身勝手がある。おかげで、「作品について語ること」はいつまでたっても思い通りにならない。僕が求めているのはスピードと量なのだ。作

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