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文体に関するmassunnkのブックマーク (11)

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • メモ:文体とリズムについて - デイライトバウンド

    Createこれは、文体とそれに伴うリズムや身体性についてひたすら直観してメモしていくという危なっかしいエントリです。まじでメモなので、読む人はそのつもりで読んでください。*1音楽のレコードを、それこそ数千枚レベルかどうかはわからなくても数百枚から千枚以上は聴いてきているような音楽好きなら、文体のもつ物理的なリズムをいやがうえにも意識して書かざるを得なくなる。小説は一般的に観念的な抽象芸術として捉えられているけれども、そこには間違いなく肉体があって、見た目と音のような形式的な要素を無視することはできない。初期衝動としては、マチエールとリズムにこだわった詩とも小説ともつかないものを十代から二十歳くらいにかけて狭い世界で発表していた。密度と細部へのこだわりが災いして、長文は書けなかった。そもそものところ小説の文体ではなかったんだと思う。文体は、ライトノベル投稿に手を出したあたりで完全に見失って

  • 「小説」は「物語・批評・文体」から構成されている - らいたーずのーと

    ■「小説は物語・批評・文体の3要素から構成されている」と言ったのはサークルの先輩だった。なるほど、上手いことを言うな、と感じた。もともと私が「小説」と「物語」を結構ごっちゃに使っていたため、そういう風に明確な違いが言葉の上ではっきりとしている例文を出してもらうとなかなか助かる場合がある。それぞれの要素の捉え方は必ずしもその先輩と一致しているわけではなかったようだが、「小説は物語・批評・文体の3要素から構成されている」という言葉自体は実に興味深い。 ■「物語」は言うまでもなく物語である。基的にこれがなければ小説は成り立たない*1。よって、「小説」と「物語」を比較するうえでの違いは次の2つの要素である。 ■まず「批評」。これは、最初聞いたときどういう意味かわからなかったが、どうやら、作者が作品に対してこめる意図、といったものらしい。「批評的な作品」と作品に対する評価が与えられることもあるが、

  • 握力@幻燈

    「あ、え、田村さんっ。も、も、もう来てらっしゃったんですね」 ぼくに関して萩原雪歩が犯した質的かつ神秘的な失策は、《汝の憂いは雪片に翳るあらゆる意味》、今だに世に現出することを叶わせていない、壮麗にして幽玄かつ無欠の長編エレクトロニカミュージックの、ほんの片鱗であり序の口であり序章に過ぎなかった最初の五分、いうなれば海外小説で目次の次のページに見られるような「親愛なる僕のペテロへ」といった全く意味をなすことのないような作者の戯れ、グールドが演奏の前に行ったという神経症的なまでの椅子の高さ調節、一種過大に譬えたとしてもアニメが始まる前のお決まりの警句である「テレビから離れて明るくしてご覧下さい」、でしかない代物を持ってして、それを一個の完成された作品であると誤解し、彼女のプロデューサーに働きかけ、さもまとまった一個の作品であるかのように扱わせ、さらに、あろうことか彼女自身がそのほんの前触

    握力@幻燈
  • ブログをかきすぎる個人的な理由 - ニート☆ポップ教NEO

    昨夜気まぐれに友人に電話をかけた。 今どきケータイで電話をかけるなんてしないと思われるが、最近の僕はかけてしまう、主に地元の友人やネットで知り合ったちょっと変わった方々に。(おっとそんなこと言ったら失礼ですね(笑)「みんな大好き。」ですよ) 「最近ブログ更新しすぎですよ」 という至極まっとうな指摘を電話で言われた。それにしても同世代の方から敬語で話されるのはなかなか奇妙な体験だ(笑)彼の真面目さの現れなのだろう。 そうそう指摘はその通り。自分でもそう思う。こういう他人からのツッコミはありがたい。自分で気づかないときもあるし(けどあのid:Marco11様に比べたらそんなでもないと思うんだけどw)。 考えてみて原因は3つ思いついた。 ■1つ目、抑うつで療養中だが、ぶっちゃけヒマすぎること(笑) いやぁけどつらいんすよ、こう見えて、当に。字面じゃ伝わらないでしょうね。そこらへん伝えようとはし

    ブログをかきすぎる個人的な理由 - ニート☆ポップ教NEO
    massunnk
    massunnk 2007/07/27
    「傘立て」なんかてっしーの友人がみんな傘忘れて置いてくもんだからとりあえず隅っこに集めたらしいですw 「メロコア世代」あーそういう世代的なものはあるかもしれません。ちなみに弟はPOLYSICSとかが好きですw
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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    massunnk
    massunnk 2007/07/26
    こういうのってこういう文体でしかかけないのかなぁ
  • おはようございます(泥酔 - 有給の風邪伝説。

    生まれてこの方飲んだことのない量の酒を飲んでべろんべろんに酔った勢いでにっきをかくのですけれど、昨日は電車を使わないとめんどうくさい場所にいって久方ぶりに他人様の前で太鼓をてんてこしたわけなのですけれども、舞台袖で待機中に前の団体さんのやってる曲を聴いて「なにこの伝説のレイディアント紅蓮隊タクティクス」というわけのわからなすぎる単語が脳から出てきたわけなのですけれども、久方ぶり過ぎて去年までは経験のないぐらいのがくがくぶるぶるをリアルで体験したわけですけれども、立ってるだけで足の震えが止まらないわけなんですけれども、正直びびりすぎなんですけれども、それより慣れないヒール付きの革を履いたせいで足の裏とふくらはぎが痛くてたまらなかったわけですけれども、終わった後に仙台に戻る時に電車に乗った訳なんですけれども、隣に座っていた知らないおにいちゃんがこっち側を向いて座席に斜めに座って漫画雑誌を読ん

    おはようございます(泥酔 - 有給の風邪伝説。
    massunnk
    massunnk 2007/07/23
    おはよう
  • [B! 文体] sakstyleのブックマーク

    航路を振り返る2週間に1つ課題をやる。 だいたいそんなペースで進んでいった「文体の舵をとれ」実作&合評会が終わった。合評会は16回行われ、全10章で約10か月かかった。 これを長いと感じる人もいるかもしれないが、仕事をしながら合間にやるのは思ったよりも労力が大きかった上に、課題の一つ一つが脳の使ったことのほとんどない部位を刺激するような難易度だったのもあって、毎回締め切りギリギリ(アウト)で実作を提出していた(すいません)。 そういったギリギリ感もあって、やっている感覚はさながら大学の授業を受けているようであった。毎回課題があって、その提出に追われる…… 教官たるル=グヴィン先生は厳しくも暖かい先生で(9割厳しかったが)、時折愚痴をこぼしていたが(何か過去にあったのだろうか)、そこが大変ユーモラスであり、熱量を感じる部分でもあった。 さて、過去に私がnoteに載せた実作に関して、私は敢えて

  • God & Golem, Inc.

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 God & Golem, Inc.

  • 毎日新聞夕刊「ダブルクリック」欄・第四回「新しい文体」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    毎日新聞火曜日夕刊コラム欄の第四回です。 「新潮」十一月号で松浦寿輝が福澤諭吉についてこう書いている。「彼は、何を書くに当たっても、自分が発信しようとしている言説の受け取り手が誰であるのか、自分の言説の送付によってその受け取り手の精神と身体にどういう効果を与えたいのか、彼にいかなる行動を起こさせたいのか、等々の熟慮を凝らしたうえで、具体的な目的の達成にふさわしい言語態をきわめて厳密に選択している。(中略) 折々の状況において最大限の効果を期待できる言説スタイルを選択して記号発信するという臨機応変の柔軟さそれ自体に、かつて日に出現したことのないような種類の彼の天才があったとも言える。」 ここのところ「福澤諭吉著作集」を集中的に読んでいる僕は、我が意を得たりと膝を叩いた。ネット時代の到来とともに、広く一般を対象に発表する文章の長さに印刷物ゆえのコスト的制約がなくなり新しい文体が模索されている

    毎日新聞夕刊「ダブルクリック」欄・第四回「新しい文体」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • http://www.koumin-rinri.info/frame/04120.shtml

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