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ブックマーク / chanm.hatenablog.com (7)

  • はてブついでに覚書。 - 芸術とエンターテイメントとアイデンティティとレーゾンなんとかと

    大学で心理学系(他学)の授業をいくつか取ったとき、 そこの先生達がなんというか奇妙というかちょっと異様だったというかどうーも病んでいた。 まず最初にお前をどうにかしろ、(他人の)話はそれからだ。 と、若き日の私はつい引いてしまったのだけれど、 もしかして(他人を救うんじゃなくて)自分が救われたくて心理学学んだのか、この人達。 と思い至って納得した。 で、落ち着いて自分の周りを見たら、音楽でも絵でも小説でも、どうも、 俺の叫びを聞いてくれ! 私の悲しみを分かって! 僕の苦しみを伝えたい! というものばっかりだった。 人を癒すために心を込めて弾く音楽家、 人を包む為に作品を作る画家、 人を喜ばす為に話を繰り出す作家、 そういう人達よりも、 人に認められる為に念を込める音楽家、 自分の憤りをぶつける為に作品を作る画家、 自分を癒すために悲しい話を量産する作家、 そういう人達が目に付いた。 私は、

    はてブついでに覚書。 - 芸術とエンターテイメントとアイデンティティとレーゾンなんとかと
  • 救いたい人、救われたい人、自分を救う人 - 旧 はてブついでに覚書。

    そういえばヒッキーが離婚した頃のニュース。今年の3月頃か。 今月2日に映像作家の紀里谷和明氏(38)と離婚した歌手の宇多田ヒカル(24)が15日発売の音楽誌「MUSICA」で離婚の真相を初告白している。 超ロングインタビューの後半に、雑誌発売の前に離婚の発表を予告した内容で、離婚を決断した理由について「まあいろいろあるけど(中略)『私はこれでいいんだ』って思っちゃったのが原因かもしれないです」と自己分析。「紀里谷くんが今まで一番私を知ろうとした人なんですよ。凄く考えてくれた人で」と明かし、「(彼は)孤独みたいな私の像を救おうとしてくれた。でも結局、私は救われようとしなかったのかな…。私は自己解決しちゃった部分が大きいんですよ」と説明した。 さらに母・藤圭子(55)について「凄い距離が遠くて絶対に触れ合えない、みたいな人。(母と)直接関わったって気分はまったくしないんですよ」とファミリーの中

    救いたい人、救われたい人、自分を救う人 - 旧 はてブついでに覚書。
  • 自立のうた - 旧 はてブついでに覚書。

    最近若くてデビューする歌うたいの人たちには、 結構自分で詩を書く人が多いけれど、 当に人の心を打つ天才というのはそうそういるわけじゃないから、 半分くらいの歌に対しては、 ああだれか手馴れた大人が書いてあげればいいのに、 とか思う私は歳を取ったんでしょうかねorz... (いやしかし10代後半くらいから同じことは思っていたか) 山田かまちは、私が生まれた歳に、17歳で亡くなった。 紛れもない天才画家で、天才詩人。 自分が17歳くらいのときにやっと出合って、 彼の書いた絵の色彩に打ちのめされたのを覚えてる。 さっき屋でふっと、彼の手書きの詩や絵が収録された文庫を立ち読み。超久々。 17歳のポケット (集英社文庫) 作者: 山田かまち出版社/メーカー: 集英社発売日: 1996/06/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 36回この商品を含むブログ (34件) を見る やっぱり美し

    自立のうた - 旧 はてブついでに覚書。
    massunnk
    massunnk 2007/07/21
    彼が生きていたらなぁ…
  • はてブついでに覚書。 - 繋がりたい私の選択

    私という話をする時は、 どのレベルの「私」のことをお互いに話してるのかがほんとややこしくて、 こんがらがるので苦手。 公に対しての個という意味での私なのか、 何々ちゃんと私は違うというときに使う私なのか、 無私とかいうときのエゴとしての私なのか、 肉体としての私なのか、 感情や理性といったラベルのついた私なのか、 ゆえに我ありの根拠としての私なのか、 潜在意識とかいう私なのか、 魂とも言い換え出来そうな絶対的な私なのか、 ホルモンバランスがちょとアレになってたりしっかりだったりするときの私なのか、 恋は盲目の真っ最中の私なのか、 痴呆になっても精神に異常を来たしててもなお残る私なのか、 あといろいろ。 でも、だから面白いのかもね。 私という話をするときは、みんなのそれぞれの個性や認識がよく出るから。。。 今日のfinalventさんの一連のエントリをきっかけに 最近の自分にとって「私」と

    はてブついでに覚書。 - 繋がりたい私の選択
    massunnk
    massunnk 2007/07/07
    「私は私を毎日”選択”してるような気がする」
  • web性善説を信じる勇気。 - 旧 はてブついでに覚書。

    昔何かで見かけた話に、 どこかの、日よりは先進国ではない国から来た人が、 普通に、店の入り口にある傘置き場を見て、 盗みたいというわけじゃないけど、、持って行きたくなりますね、、。 とコメントしていた、というのがあった。 その人の国だと、無防備に放置されたものなんて何でも、 盗られてしまう感じなんだろう(そして放置したほうが悪い)。 どのくらいのものまで放置されていて大丈夫なのかはわかんないけど日、 傘くらいだったら盗りはしないよ、っていう豊かさはあるんだなあということと、 後はまあ、人様のものを盗むということの 卑しさというか心の貧しさというか恥みたいなものを、過剰に教育されたので 相当切羽詰ってもそれだけはやりたくないものだ、と結構みんな思ってるんじゃないかなと、 (違う??かなあ。でも他の国の人は、盗んだら臆面も無く勝ち誇りそうだけど、日人は割と、恥しそうに盗むよね、盗む人も、

    web性善説を信じる勇気。 - 旧 はてブついでに覚書。
  • 島国とポータルは相性がよいのかもしれない。 - 旧 はてブついでに覚書。

    Googleも、newsやgmailやカレンダーを始めいろいろなwebサービスを提供してきているけれど、 私のような人間がつい好感を持ってしまうのは、 どれもが「場」や「仕組み」を提供しているだけであるということだ。 コンテンツ自体は、利用者が好きに引っ張ってきて、構築する。 そういう意味でははてなも好きだ。 Googleに比べればずいぶんポータルっぽいけど、 それでもコンテンツ自体は、 はてなが仕掛ける仕組みを面白がって使うユーザー達によって、 日々生成されたものだ。 他のポータル然としたポータルは、コンテンツまで提供しようとしてくるので、正直うざったい。 どんな情報が必要かは、自分で選ぶよ。 そんな日和見で薄い特集組まれても。。とか。 読み甲斐のあるコラムとかがたくさんあるのはよいけどね。。 mixiもいろいろとコンテンツを提供しようとしている部分はあるけれど、 ユーザーがネタにして日

    島国とポータルは相性がよいのかもしれない。 - 旧 はてブついでに覚書。
  • 共産主義2.0?? - 旧 はてブついでに覚書。

    前書いた、web進化論の妄想的感想にTBをもらった。 Bellog:Web2.0=共産主義? にゃるほど共産主義的かあと思ってたら、 ちょうどはてブにもそんな共通性を説いたエントリが上がっていた(むずかちい)。 池田信夫 blog:マルクスとロングテール web無しで共産主義やろうとすると、 どうしても、富や情報を一度掌握するための「中央」が要る。 富も情報も人々の未来も、中央から再配分されるしかないわけだ。 上から平等を与えてもらうかんじ。 でもweb2.0の場合は、別に中央は要らない。 突出したえらい人やえらい組織の代わりに、 偏在する神(システム)を使うことによって個人が立ち上げた無数のハブがある。 下から格差を埋めていくかんじ。 中央統制の垂直的共産主義では そういう制度で果たして自分の人生が幸せでお得なのか、人民にはさっぱり実感がないし、 中央が全人民の特性を見極めて各人の人生

    共産主義2.0?? - 旧 はてブついでに覚書。
    massunnk
    massunnk 2006/07/31
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