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思想とworkに関するmn_krのブックマーク (10)

  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

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    mn_kr 2009/10/14
    “「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。 暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。”
  • 覚悟ってそんなに大事?

    5分で書ける軽い話をば・・・。「アメリカで働く」と言う話では、既にアメリカで働いている人の多くが「二度と日には帰らないつもりでがんばらなければ成功しない」みたいなこと言うんですが、マジすか? そんな恐ろしい決意をしなければ来れないんだったら、私だったら来る前にくじけちゃうけどなぁ。 私が自分でもリスキーだな、という決断をする時はいつも「ま、だめでもなんとかなるし」と思って決めるが。 もちろん、「いつでもやめられる」と思うことと「ほんとうにやめる」ことは全然違う。というか、いつでもやめられる、という余裕が心にあるから、逆に踏ん張れるのでは? 大体「これがダメだったら一巻の終わり」とか思うと、力が入りすぎちゃったり、わなわなして硬直しちゃったりして、当だったら簡単にできることまで上手くいかなくなりませんか?人生のstage frightってヤツですな。 いや、まぁ、個別には「今日は超大事!

    覚悟ってそんなに大事?
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    mn_kr 2009/09/07
    “多くが「二度と日本には帰らないつもりでがんばらなければ成功しない」みたいなこと言うんですがマジすか?...私が自分でもリスキーだなという決断をする時はいつも「ま、だめでもなんとかなるし」と思って決める”
  • 慨嘆 - Freezing Point

    古臭いルーチンをこなしていると、「仕事をした」とみなされ、ねぎらわれる。 気で内在的に取り組んで身を切るような言説生産をすると、趣味と思われる。 「何をすれば仕事をしたことになるか」の判断を、みんながサボっているのだ。

    慨嘆 - Freezing Point
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    mn_kr 2009/06/07
    “古臭いルーチン→「仕事をした」とみなされねぎらわれる。 本気で内在的に取り組んで身を切るような言説生産をすると趣味と思われる。「何をすれば仕事をしたことになるか」の判断をみんなサボっている”
  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
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    mn_kr 2009/06/07
    “「私はアウトサイダー」と言うことの問題点=“本当に外側に排除される側としては、「内なのか外なのか」という境界線の策定にこそ紛争の焦点がある”|“働きに出ている人たちは社会に向けて排除されている。”
  • 東京インターンシップの旅 - 内田樹の研究室

    東京出張4日間ツァー初日。 今回の東京ツァーは既報のとおり、大学のアートマネジメント副専攻の「アートマネジメント演習」のインターンシップのための旅行である。 国立劇場のヤナイさんにアレンジしていただいて、義太夫の会のお手伝いをさせていただくのがメインの仕事なのであるが、インターンシップというのは知識や技術のことではなく、学生さんたちに見たことのない「プロの仕事」のたたずまいをお示しすれば、それで十分であると私は思っている。 仕事を説明する百万語よりも、ひとりの「プロ」の経験の奥底からわき出してくる、さりげない一言の方がずっと学生にとっては教育的である。 今回のツァーでは、とにかくヤナイさんという人が現場でどんなふうに人と接し、どんなふうに仕事を割り振り、どんなふうに予想外のトラブルに対応するか、それを砂かぶりで見て貰うだけで十分だと思っている。 実際にやる仕事は、キップのもぎりや物品販売や

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    mn_kr 2009/05/16
    “つねづね学生さんたちに言っていることだけれど、「キャリアのドアにはドアノブがついていない」。 ドアは向こう側からしか開かない”|仕事はとりあえず引き受けなければ次など無いということ。
  • ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネット上に新たな経済活動は起こらなかった ネットが一般に普及して10年以上たったが、かつて「グローバルビレッジ」に代表されるような期待された「革命」は起こらなかったようだ。この理由の一番は、ネット上に新たな経済活動が起こらなかったためではないだろうか。 確かにネットの普及によって、企業活動は迅速に活発になった。またネット上に新たなビジネスも生まれた。しかしこれらは従来の資主義経済の延長上のものであって、下部構造としての経済活動そのものはかわることはなかった。 多くの人々はかわらず企業へ労働力を売ることで賃金を稼ぐ。ネットはこれとは別に社会関係を楽しむ娯楽である。すなわちネットは新たな経済構造生み出すことなく、社会的な関係を充実されるつながりのツールでしかない。 ネット上の社会関係のために実社会で働く ネット上では掲示板やブログなど長時間かけた活動が行われているが、そこでおこなわれる労力は

    ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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    mn_kr 2009/05/16
    “トフラーのいう非金銭経済という経済的なシフトよりも......金銭経済中心社会から社会関係中心社会へのシフト […] もはや無理に消費などしなくてもネットでの無償労働で充足してしまえる”
  • 一切合財怠けよう、恋するときと、飲むときと、怠けるときをのぞいては - 地下生活者の手遊び

    タイトルは「怠ける権利」に引用されたレッシングというヒトのセリフ。昨日の続きといえば続き 「怠ける権利」というプロパガンダ 蟹工船がやけに売れ、共産党新規入党者が1万人を数えているそうで、パンク・イズ・ノーデッドならぬコミュニズム・イズ・ノーデッドと中指ぶったてて絶叫したい気分が蔓延している気配がそこはかとなくそぞろにただよう裏の苫屋の秋の夕暮れにゃんね。 蟹工船につづく二匹目のドジョウのつもりかどうかは知らにゃーが、以前人文書院から出ていた「怠ける権利」が平凡社ライブラリーで今夏復刊いたしましたにゃ。 怠ける権利 (平凡社ライブラリー) 作者: ポールラファルグ,Paul Lafargue,田淵晋也出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2008/08/08メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 60回この商品を含むブログ (24件) を見る ネットにおいても抄訳がありますにゃ。 怠惰への

    一切合財怠けよう、恋するときと、飲むときと、怠けるときをのぞいては - 地下生活者の手遊び
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    mn_kr 2008/10/14
    レヴィ=ストロースによると、人類のスタンダードにおいて(つまり、歴史的に人類史の大部分、地理的に地球の大部分において)、ニンゲンは一日3~5時間しか働かず、それ以外はもっぱら遊んでいた
  • これはいいバカリベのサンプルですね - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1 1「例外状態」の「常態化」 これまでの歴史的経緯や、世界的なトレンドを考えると、 経営を理解してない労働者は、 どんどん居場所がなくなり、年収も下がって いくと思います。 逆に、経営*1を理解している労働者は、ますます活躍の場が広がるし、 たとえ運悪く挫折しても、何度でも復活するチャンスが得やすくなっていくと思います。 そして、後述するように、これは全世界的なトレンドであって、 この流れを一時的に阻害するぐらいはできても、 歴史の歯車を逆転させるようなことは、もはやできないと思います。 彼が「歴史的経緯」という言葉を使っているのが面白い。 2篤い信仰心 企業は、経済的な富を生み出すことを目的とした唯一の社会的機関です。 経済的な富を生み出すことこそが、企業の社会的使命です。 一の草しか生え

    これはいいバカリベのサンプルですね - hokusyu’s blog
  • 学歴関係無いから - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730/1217359666 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51088798.html ある奴隷志望者が、もっと「エリート」の足に鎖を巻くべきだと提言したところ、あるマッチョな奴隷に、俺ぐらい優秀な奴隷じゃないと鎖を巻いてもらえねえんだバカ野郎と罵られた事件です。 まあ、ブクマやトラバの分析を見る限り、一応みんな「学歴関係ねえだろ」ということには気づいてます。でも、そこからが問題です。「学歴あるなしに関わらず、社会に必要とされるようなコミュニケーション能力は必要だよ」ブーッ、外れです。正解は、「学歴に関わらず、コミュ力に関わらず、社会はあらゆる人間を必要とする義務がある」です。学歴に関わらず、能力に関わらず、あらゆる人間は自分の仕事を選ぶ権利があるのです。 http://

    学歴関係無いから - 過ぎ去ろうとしない過去
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    mn_kr 2008/08/02
    “「学歴あるなしに関わらず、社会に必要とされるようなコミュニケーション能力は必要だよ」ブーッ、外れです。正解は、「学歴に関わらず、コミュ力に関わらず、社会はあらゆる人間を必要とする義務がある」です”
  • 「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場

    どんなにステーキが大好きな人でも、 毎日、朝昼晩、ステーキだけを強制的にべさせられ続けたら、 だんだん苦痛になってくる。 当にステーキが好きな人なら、最初の1ヶ月くらいは毎ステーキだけでも天国かも知れないが、 それが半年もつづけば、もはやステーキを見るだけでウンザリするだろう。 プログラミングが好きでプログラマーになってしまった人は、 これと同じ種類の拷問にかけられる。 どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと 生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。 好きなことを仕事にして生きていく、というのは、質的にそういうことなのだ。 そもそも、人は、その瞬間、瞬間で、いろんなことに興味をもち、 いろんなことをやりたくなる、自由で軽やかに発散していく欲望を持っている。 どんなにプログラミングが好きな人でも、 朝起きて、今日は空が青くて気持ちいい

    「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
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    mn_kr 2007/12/10
    ポストモダン哲学。「流動的であれ」という新たな桎梏を回避する必要。反‐梅田(近代人的マインド)。
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