QF クォンタム・ファミリーズ 年表です。 まず、すいません。ネタバレの配慮を全くしていません。 最初は自分のメモ用に書いていたのですが、書いているうちに分からない事がでてきてしまい、さらにそれを整理し、書き直しているうちにはまってしまい、結果、結構本気で書いてみました。表にしてみると貫世界通信という単純な方法で非常に複雑な世界が生まれている事が分かります。まだ分からない部分もあるので、ご指摘して頂けると嬉しいです。よろしくお願いします!
ギャンブルやバカラの本は人気上昇中です。ギャンブルに関する本の出版社を無視してギャンブルについて語ることはできないでしょう。こういった本は、読み出すと本当に面白いものです。世界中には多くの出版社があり、その数を数えたり、ひとつひとつ解説するのは不可能です。しかしここでは、ギャンブルに関する良質な書籍を出版している人気の出版社をご紹介します!他にもご紹介したい出版社はたくさんありますが、ここでは数社に限定しています。 (more…) ギャンブルやバカラの本は人気上昇中です。ギャンブルに関する本の出版社を無視してギャンブルについて語ることはできないでしょう。こういった本は、読み出すと本当に面白いものです。世界中には多くの出版社があり、その数を数えたり、ひとつひとつ解説するのは不可能です。しかしここでは、ギャンブルに関する良質な書籍を出版している人気の出版社をご紹介します!他にもご紹介したい出版
BLOG希有馬屋 食わず嫌い王選手権 - livedoor Blog(ブログ) ジブリが嫌いなわけじゃないのです。 「ジブリ的なもの」が嫌なのです。 村上隆的なモノというと、伝わりやすい? で、その『ジブリ的なもの』の代表が 鈴木敏夫プロデューサーなのです。 ──いや、「なのでした」と、過去形にしていただきたい。 あのオッサンはそういうんじゃないねん。 そう私を覚醒させてくれたのがこのポッドキャスト 『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』 この人は、「自分が面白いと思ったもの」を、 万人に受けるようパッケージングをしてるだけなのだと。 もっというと、詐欺なんですよ。 このひと、詐欺師なんです。 で、自分はその「詐欺の匂い」に反応してたんだなあ。 ポッドキャストの中で村上隆(←あ!)との対談で 鈴木「宮さんが歳とって作る映画が見たいんですよね。 フェリーニとか晩年ひどかったじゃないですか。 年取るとあ
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って
思想をもっと「つまる」ものに 批評家・佐々木敦さん2009年9月17日16時20分 佐々木敦(ささき・あつし)さん(45) 80年代からゼロ年代まで、この30年の思想地図の変容を追った近著『ニッポンの思想』(講談社現代新書)が好調だ。 現代に連なる転換点、とみるニューアカ現象。たどり着いた先は、市場主義が強まり、有力な論客の数も先細りになって、「つまらない」風景が広がる――。 「一読者として、思想をもっと『つまる』ようにしたい。そう思ったことが、深いところでは、執筆の動機でした」 思想の本は初めてながら、フリーの物書きとして、20年以上のキャリアをもつ。アート系の映画館に勤めたあと、映画・音楽・小説の順に仕事の重心を移し、『絶対安全文芸批評』(INFASパブリケーションズ)など10冊を超す著書を発表してきた。 多彩な領域での活動は、ジャンル横断というより、テーマが「通底」し「貫通」した結果
2009年7月、南雲堂より評論集『社会は存在しない ――セカイ系文化論』が刊行されたのを記念して、8月2日(日)、青山ブックセンターにてトークショーが行われた。登壇したのは、著者である限界小説研究会から蔓葉信博、渡邉大輔、そして1980年代以降の日本思想について概観した『ニッポンの思想』を上梓したばかりの批評家・佐々木敦の各氏だ。トークショーでは、論集のテーマともなった「セカイ系」と呼ばれる、2000年代を代表するキーワードを巡り、白熱した議論が展開された。テン年代(2010年代)に批評が向かう道とはどこなのか、その方向性を示唆した貴重なセッションを、ぜひご一読いただきたい。 「限界小説研究会」って、なかなかカッコいいネーミングですよね?(佐々木) 『今日の日はさようなら』(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の挿入歌)の流れる中、登壇者たちが登場。 渡邉:なんか、この音楽を聴きながら登場する
Special issue for Silver Week in 2009. 2009シルバーウィーク特別企画 『彼氏彼女の事情 21』著者=津田雅美 発売=2005年8年5日 出版社=白泉社 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 破』に端を発する 鼎談:泉信行 x さやわか x 村上裕一 2010年代の批評に向けて 第二回 ゼロ年代も残すところあと3カ月あまり。世に溢れる多種多様なコンテンツの中でも、アニメに対する関心度が一際集まる10年間だったように思います。そんなゼロ年代の最後の年に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 破』。この作品を通じて行なわれた批評家たちの熱い対話の軌跡を全3回の特別企画としてご紹介いたします。 編註:この鼎談が行なわれた経緯は、泉信行氏がブログ上でさやわか氏のエントリについて言及した際に、さやわか氏がコメント上で「一度ゆっくり意見を交わしたい」と言われたことに
7月頃、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 」に関する原稿を書いたのですが、諸事情につき刊行されない運びとなったとのことなので、せっかくなのでウェブサイト上にアップしたいと思います。約8,000字です。 ■ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下、『新エヴァ』と略す)の総監督である庵野秀明は、いまから約三年前にあたる二〇〇六年の九月に、同作品を制作するにあたって「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された所信表明を公開している(注1)。そこでは次のように書かれていた。なぜいまエヴァの再映画化を手がけるのか。それは「疲弊しつつある日本のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。蔓延する閉塞感を打破したいという願い」を実現するためである。もちろん、いまさら十年以上も前の作品を映画化するのか、という思いはある。事実、「エヴァはもう古い、とも感じ」る。しかし、庵野はこうも断言している。「この
先日、25日夜に朝日カルチャーセンターで行われた、鼎談講座「ヱヴァ」をめぐって − あれから14年の手元のメモと記憶によった簡易レポートです。 講座内容 テレビ放送から14年、今夏「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開されました。今、ヱヴァをめぐって何か起きているのか。14年の間に起きた変化とは。「大人になる」こととは何か。本作をきっかけに出会った3人が語ります。 実際の内容を振り返ると、この「大人になることとは何か」「作り手が、受け手が、大人になることで何が変わったのか」というのが一番重要なテーマのはずで、(伊藤剛さんはなるべくそっちに振ろうとしていましたが)でもちっともそういう話にならなかったのはモッタイナカッタですね。 「私達はこんな大人になりました」っていうのは自分側からあまり語りたくないようなことなんでしょうか。 個人的には、トミノが大人に(まるく)なり……、そして庵野さんも大人
だいぶblogも更新してないなあとおもいつつ、まあそれはいいとして。特に「書けない」ということでもなくNetflixとかアマゾンプライムとかのコンテンツ消費、読書、ランニング・サイクリングほかのメニュー消費で時間がなくなってblog書く時間がない。そんなこといっても「時間はつくれるもの」だし、簡単なblogするのに1時間もあれば十分だろからそのぐらいはなんとでもなるのだろうけど時間がないというかMPがなくなってるのでやる気にならない。あるいはMPがあるときでもなんとなくNetflixとか見てしまう。まあblogのルーチンから遠ざかって「どういうときblogしてたかなあ。。」って感じもあるからだろうけど。自分のなかでごちゃごちゃした悩みがあって、一度言語化して反省したほうがスッキリするみたいなときにしてたかなあとか想うけどそういうのはblogっていうか私的な日記ともいえnoteなんかでやって
『エンドレスエイト』-もうひとつの涼宮ハルヒの世界 June 27, 2009 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet 三年ぶりに新作を提供することになった『涼宮ハルヒの憂鬱』。 で、新作部分の3作目に当たる 涼宮ハルヒの憂鬱 第13話 『エンドレスエイト』 (一応2?) * なるほど。 『エンドレスエイト』、 前回と今回の2話で終わると思ったら、どうやら来週も続きがあるらしい。 ということで、 原作は、15498回目でループから脱出したわけだけど、 今回のテレビシリーズでは、15499回目でループを脱出することになるのかな? ということは、視聴者=読者としては、 15498回目でループから脱出した涼宮ワールド (世界A) と 15499回目でループから脱出した涼宮ワールド (世界B) の二つの世界を得ることになる。 つまり、来
私は四十を半ばも過ぎて昨年に初めて「エヴァンゲリオン」を見た者である。それがまた初めて東浩紀を読むきっかけにもなった。ふたまわり近く年下の嫁の影響だ。庵野秀明という名を何十年も記憶にとどめていたこともある。私にとって彼の名は「風の谷のナウシカ」の巨神兵の担当者であった。その頃の若いスタッフのインタヴューで、たしか彼だけが「いつか監督として自分の作品を作りたい」と語っていたのを忘れられなかったのである。だから巨神兵を想起させる使徒が現れるとうれしい。 もっとも私には「エヴァンゲリオン」はあまり新鮮ではなく、テレビアニメのどんづまりに思えた。気合いが深刻で重く、そこが古臭く、空回りしており、それを照れ隠しするようなオタクっぽい感性の笑いが、「おまえらはそこまでだ」と私に思わせた。ただ、そこまで限界に挑戦されると、自然に敬意が湧くもので、最後までDVDを見届けた。嫁にいろいろ見せてもらった中で、
翻訳をしあげつつ、諸々遅れている原稿等を催促されながら、雑用をこなす。 ■トム映画 大学院のプロジェクト絡みでクロウの『ヴァニラ・スカイ』とスピルバーグの『宇宙戦争』を見る。両者をつなぐのはトム・クルーズ。後者についてはすでに議論もあるのでおいておくとして前者は、トムの複数の顔が交錯するディープな作品だった。すでにリメイクであり、トムの明瞭な介入も分かっており、トム自身がトムのようなものを演じて自身に目を覚ませといいつつ、現の顔の痙攣と夢の顔の痙攣が斜めにつながれながら、そのまままどろんだままでヴァニラ色の空からホワイトアウトする、どこか一枚隔てて出来事を見聞きしつづける、中毒的な作品だった。潜在意識が強くなりすぎたあげく表象の置換や結合が生じてしまう、いわばドリームマシーンとしての映画、その映画をまんまと眠りつづけているトムによる映画。実に変な映画。 ■イメージの人類学 ベルティングの論
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評価:★★★★☆4つ半 (僕的主観:★★★★☆星4つ半) ■大枠の初読の感想(僕の文章は常にネタバレですからそれが嫌な人は読まないでください) 読了。ほぼ数日で、2冊読み切ってしまった。その間一度も本を読むのを止められなかったのは、物語としての「引き込まれ感」が強かったためで、これまでの作風と比較しても際立って物語性は強くなっていると思う。にもかかわらず、最後の最後で、物語が閉じてしまった・・・いや精確にいうと、「えっ??なんで、もちろん3巻があるんでしょう?」(笑)と思う感じだ。僕は他の人の書評を一切読んでいないので、よくわからないんだが、皆さんどう思ったんでしょう。大雑把な感想を言えばその二点がやはり、重要な鑑賞ポイントではないかと思う。もう一つあげるとすれば、大の村上春樹ファンの妻もそうだが、どうも友人には、この本を読んで村上春樹の過去の作品を読み返す人がとても多いように思う。実際に
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