巷に溢れるゲーミングなんちゃらの意味不明さについては既に多くの識者が突っ込んでおり今更ここで何か言うこともないような気もするのだが、そこに集まる批判の多くは電飾で輝く必要のないものを輝かせているから意味がわからないという意見に集約されている。 つまり、批判的な文脈で使われる『ゲーミング』という言葉は「なんかよく分からないが光ってる」こととほぼイコールであり、そうした電飾付きの何か対する蔑称になっていると言っていいだろう。何せ連中、隙あらばなんでも光らせようとしてくるのである。 かつてはファンにLEDが仕込まれただけで目障りだという意見が出た自作PC界隈も、ゲーミングのムーブメントを受けて今ではすっかり電飾に征服されており、ほぼデフォルトで光るようになってしまった。そういうのを嫌う層は今ではわざわざ光らないのを指定する必要に迫られているくらいである。 しかし「ゲーミング=光る」という認識に目
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