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ベンヤミンせんせに関するmurashitのブックマーク (4)

  • ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(5)ブルジョワジーの夢」 - my bookish life

    Walter Benjamin「The Archades Project/Das Passagen-Werk」 都会の雨には子どもの頃を夢のように思い起こさせるという、あなどれない魅力がある。しかしそれは、大都会に育った子どもでなければわからない。雨はいたるところ気づかぬようにひっそりと降り続き、日々を灰色にするばかりか、どこもかしこも同じようにしてしまう。そんな日には朝から晩まで同じことをしていられる。例えばチェスをしたりを読んだり喧嘩をしたり。(p.10) 曇り空の日の風景は繊細で美しい、と感じたことがあった。数週間前の午前中、等々力の駅から多摩川の方向へまっすぐにのびる道を、遅刻しないように足早に、ぱらつきはじめた雨が顔にかからないように俯いて、ただひたすら歩いていて、環八との交差点に差しかかったところで足をとめてふと顔を上げた。空一面を覆う厚い雲は、辺り一帯に、細かい光の粒子を拡

    ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(5)ブルジョワジーの夢」 - my bookish life
  • 唯一の存在を扱う不可能な科学 - short hope

    murashit
    murashit 2010/01/11
    「複製技術時代の喪」
  • ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(3)都市の遊歩者」 - my bookish life

    Walter Benjamin「The Archades Project/Das Passagen-Werk」 街路はこの遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ。この坂は彼を下へ下へと連れて行く。母たちのところというわけではなくとも、ある過去へと連れて行く。この過去は、それが彼自身の個人的なそれでないだけにいっそう魅惑的なものとなりうるのだ。にもかかわらず、この過去はつねにある幼年時代の時間のままである。それがしかしよりによって彼自身が生きた人生の幼年時代の時間であるのはどうしてであろうか?アスファルトの上を彼が歩くとその足音が驚くべき反響を引き起こす。タイルの上に降り注ぐガス灯の光は、この二重になった地面の上に不可解な(両義的な)光を投げかけるのだ。(p.69) 神は創世の仕事を果たしたのち、休息した。第七日目のこの神こそは、市民が無

    ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(3)都市の遊歩者」 - my bookish life
  • ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(2)ボードレールのパリ」 - my bookish life

    Walter Benjamin「The Archades Project/Das Passagen-Werk」 ギース論の中の讒言に見られるルソーの対蹠者としてのボードレール。「われわれが必要品と必需品の次元から抜け出て、贅沢と娯楽の次元に入り込むや否や、自然はもはや犯罪を勧めることしかできないのは、われわれの見るとおりである。親殺しや人の風習を創り出したのもこの不謬の自然なのだ。」ボードレール『ロマン派芸術』パリ、100ページ(p.26) ボードレールによれば、自然は犯罪というただ一つの贅沢しか知らない。そこから人工的なものの重要性が生まれる。子供たちは原罪に一番近いという見解を説明するには、あるいはこの考えを使う必要があるかもしれない。子供たちは感情過多で、しかも自然なので、悪行を避けることができないからということだろうか。ボードレールは結局は親殺しのことを考えているのだ。(『ロマン

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