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年の瀬も押し詰まった2004年12月29日、自転車で近鉄の廃線跡を辿ってきました。廃線といえばスタンドバイミーを気取りたくなりますが、実際に辿ってみるとそんな気分にはなれません。孤独と恐怖という現実が襲いかかってくるのでした。今回は列車が暴走を始めてから事故に至る過程を廃線跡を辿りながら振り返ってみます。 ※事故要約 「昭和46年10月25日、近鉄大阪線の単線区間において名古屋行き特急がブレーキを失い暴走、難波行き特急とトンネル内で正面衝突。死者25名、負傷者225名の大惨事となった―。」 全長が3.4キロにもおよぶ青山トンネル東側坑口です。 事故列車はATSの誤作動により青山トンネル出口直前で急停車しました。 しかしATSが解除できないため、運転士は手動にてブレーキコックを操作。 そしてブレーキを解除、下り傾斜に沿って列車はゆるゆると動き出しました。 青山トンネル(写真右奥)を出るとすぐ
「時の鉄路」TOPへ→ ←三重県鉄道略史TOPへ 時の鉄路 〜 the History of Railways 〜 第9話 近鉄青山峠(総谷トンネル)事故の記録−S46.10.25 昭和46年10月25日夕刻、普段は静閑な青山高原に、地響きとともに轟音が響いた。しばらくすると町内有線放送から「上ノ村付近で大事故があった。町民はすぐ救出作業に出てください!」という放送が繰り返し流れる。地区住民は野良仕事を放り出し、消防団は一斉に救出作業に出向いた。事故の状態が分からないまま、事故現場に到着すると、あちらこちらからうめき声とともに「助けて〜!」と言う悲鳴にはじめて事故の大惨事を知ることになった・・・(「伊勢新聞」より) 世にいう「青山トンネル事故」の現場である。一般に「青山トンネル事故」と呼ばれているが、実際に事故が起きたのは青山トンネルより3つ手前の総谷トンネル西口、現在東青山(新駅
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