北海道奥尻町青苗地区の高台に造成された「望洋台」団地。奥の灯台は地震時に折れたが、付近の住民が逃げる際の目印になった 北海道南西沖地震の津波で大きな被害を受けた北海道の奥尻島は、集落の高台移転や漁業の再生など東日本大震災の被災地にも通じる課題に直面し、乗り越えてきた。地震から18年。かつて「完全復興」を宣言した島は現在、人口流出や高齢化が進み、漁業を柱に生きる地域の活性化に頭を悩ませる。復興を遂げながらも厳しい現実に直面する島を取材した。(東野滋) ◎特需後、産業振興後手 過疎化やまず 奥尻島南部の奥尻町青苗地区にある海抜約20メートルの高台。70坪(約230平方メートル)ずつ28区画に区切られた敷地に、住宅が整然と並ぶ。地震後、集団移転先として造成された団地「望洋台」だ。 青苗は津波と火災で全体の約7割に当たる342戸が全半壊し、島で最大の被害を出した。奥尻町は高台に四つの団地を整備
住民たちが「日本一」と自慢していた津波防潮堤。右側奥は壁が破壊されていた=岩手県宮古市田老地区、吉村写す 「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。だが、東日本大震災の未曽有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。「今後、どうやって津波を防いだらいいのか」。住民たちはぼうぜんとしている。 「津波は堤防の倍くらい高かった」。防潮堤の近くに住んでいた漁師小林義一さん(76)は顔をこわばらせて振り返った。11日の地震直後、いったん堤防に避難した。だが、山のような津波が海の向こうから押し寄せてくるのが見えたため、急いで丘に駆け上り、難を逃れた。自宅は押し流されて跡形もない。 小林さんは「防潮堤は安心のよりどころだった。『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか。堤をも
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