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ブックマーク / doitunikki.exblog.jp (16)

  • 「ITC Stone by ITC」「ITC Stone」について | 小林章のドイツ日記

    微妙にデザインの違う二つのフォントITC Stone by ITC」「ITC Stone」についてストーン氏から返事がありました。結論を簡単に言うと、どっちもオリジナルでした。 ストーン氏の文章を「」でくくって引用し、ほかは要約します。 「これまで、Stone 書体には少なくとも3つのバージョンがあった。最初のバージョンの Stone 書体は1987年にアドビから発表された。ITC は、ドイツにあるソフトウエア会社 URW といっしょに ITC 書体を独自にデジタル化していて、1988年秋にその ITC 版が発表された。」 つまり、Stone 書体発表直後に2つ目のデジタルのバージョンがすでにあったわけです。その ITC 版の字形についてストーン氏は「(デザイン的な)変更が行われていることは知らされなかったし、その変更も極端ではないにせよ、不当なものだった」と書いています。つまりもともと

    「ITC Stone by ITC」「ITC Stone」について | 小林章のドイツ日記
  • 新潟・東京・京都・大阪・そして東京 | 小林章のドイツ日記

    東京 TDC のお招きで恒例の日出張に行ってきました。セミナー4つと、3日間に渡る TDC の審査をこなしてきました。 10月16日木曜日、夕方ドイツを発つギリギリまで仕事をしていた。今年の夏頃から運悪く予定外の仕事が重なって、家で由美子と話をする時間がまともに取れなかったくらいで、日で買う品などは由美子が細かくメモに書いて渡してくれた。飛行機の中でもセミナーの準備を少しでも進めるため映画もなにも観ないでラップトップに向かう。17日の金曜日に日に到着、電車で移動の途中も仕事で、私が実家についたのが夜8時、弟が10時ころ到着して、数年ぶりに一家4人がそろった。土曜日曜とゆっくりしていようと思ったが、トイレとか台所の掃除や照明器具の取り替えなどで結局毎日忙しかった。母とは昔の話をたくさんした。この家の立て替えの前の間取りはどうだったかとか、以前にも聞いていたけど、戦時中に母が女子挺身隊

    新潟・東京・京都・大阪・そして東京 | 小林章のドイツ日記
    satoschi
    satoschi 2008/11/04
    有意義なお話有難う御座いました。
  • 『欧文書体』読者の皆様にお詫びと訂正 | 小林章のドイツ日記

    アメリカに住む読者のかたから『欧文書体』57ページにある図68,図69のコンマの位置についてご指摘をいただき、アメリカの一般的な組版ルールと思われる『Chicago Manual of Style』、あわせてイギリスのオックスフォード大学出版局の『Oxford Guide to Style』を参考にして調べたところ、図版のコンマを引用符の内側に入れるべきなのを外側に出してしまったという間違いに気づきました。また、同じ文章の最後にもピリオドが入るべきでした。この図版2点が示そうとした引用符の位置はそのままで問題ないのですが、全体的に見れば2点とも間違った例となっています。正しくは美術出版社の雑誌『デザインの現場』のウェブサイトにも掲載済みの 添付図版 をご覧ください。 ご指摘くださった方にはお礼を申し上げました。読者の皆様には心からお詫び申し上げますとともに、今後の執筆に際してはよりいっそう

    『欧文書体』読者の皆様にお詫びと訂正 | 小林章のドイツ日記
  • 中国で(1)書体デザインのこと | 小林章のドイツ日記

    中国に行ってました。北京の中央美術学院設計学院で教えている李さんからお誘い頂いたのが11月下旬で、あまり準備する時間が無くて講演の画像も北京行きの飛行機の中でまとめたくらい。けっこうギチギチのスケジュールで、睡眠時間も毎日4時間くらいで、室内の暖房の温度差の違いとかけっこうあったけれど、体調はどうにか維持できました。そのかわり中国の「書体熱」みたいなものに感染してしまって、これまでまったく考えなかった中国語の書体のことをもっともっと知りたいと思ってます。 ドイツを発ったのが12月14日の金曜日夕方、北京に着いたのが15日の朝で、荷物を荷車に乗せて出口に向かったら「小林章」と紙に隷書プリントされた名前が見えた。迎えに来てくれていたのは、今回書体コンテストを開いて私を審査員に招いてくれた方正字庫の社員。その日のお昼をその人といっしょにべる。最初の中国での事は北京ダックだった。 翌朝、方正字

    中国で(1)書体デザインのこと | 小林章のドイツ日記
  • 新宿末廣亭の寄席文字 | 小林章のドイツ日記

    (なぜ突然寄席文字なのかとびっくりする人もいると思うので、あらかじめ解説です:私は以前日にいたときは寄席文字を習っていました。そこから得たものはかなり大きいんです) 10月31日(水)は、カリグラフィ関係の友達と会って話をしてから、新宿末廣亭に向かう。橘流寄席文字家元橘右近師匠の十三回忌追善興行の夜席を観るため。開演は五時だが、看板などを撮ったり、一門の人に挨拶をしたりするので早めに向かう。地下鉄を出て末廣亭に向かって歩いていると、末廣通りに出る前に「末廣亭最後尾」の看板を持った人がいる。当日券を買うための五十人くらいの行列ができている! 売店で買った寿司を桟敷席でつまみながら開演を待つ。最初に上がったのがコント赤信号の小宮さん。その後ラサール石井さん、渡辺さんと続く。コント赤信号の落語なんかめったに聴かれないんじゃないか。けっこう面白かった。できたら三人でのコントもやって欲しかったけど

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  • 小林章のドイツ日記 : Woodland

    ドイツでの生活と書体設計の記録久々に書体の話です。街で見かけた自分の書体について。 Woodland(ウッドランド)という書体をデザインしたのはもう10年前です。最近見かけたので記録としてとっておきます。 たまたま由美子が買ってきたシリアルのパッケージ。シリアルの粒にチョコレートがかかっている、という宣伝文句の部分に使われていました。 これは家具の IKEA の店内にあるレストランで。リンゴジュースを炭酸で割った飲み物です。上は Woodland Demi、下は Heavy です。 いま制作中の書体について。イタリック体のスペーシング(字間の調整)がうまくいかず、昨日一日かかって作り直した。すでにつくり進んでいる別のウェイトも同様に修整しないといけない。かなりショックで、ちょっと落ち込んだ。精神的に疲れて家に帰って、夜ドイツ語会話のテキストを読もうと思ってベットに横になったら9時に寝てしま

  • ブログ「ここにも Futura」公開中です | 小林章のドイツ日記

    新しいブログ「ここにも Futura」つくりました。思いついてからほぼ一週間でわっとつくってみました。 欧文書体 Futura はフツーに使われているということを伝えるためのブログです。日では Futura について「ナチスを連想させる書体」だとか、「ドイツやユダヤ人社会では使用に注意」などというとんでもない噂があるらしく、このブログでたまに Futura の使用例の写真を載せると、「Futura を使っても大丈夫みたいで安心しました」というようなコメントをいただきます。それがたった1枚の写真でも、日の方に安心してもらえるみたいなんです。それならいっそ Futura の使用例のスクラップブックみたいなものをつくって、身のまわりでどれだけ頻繁に使われているかを記録してみようと思いました。 じっさい、朝、会社に行って一息つくまでの15分間にどれだけの Futura に会うか、とか、出かける

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  • 素直に本人に聞くこと | 小林章のドイツ日記

    フルティガーさんが金属活字時代につくった書体をいま改刻している。ある文字の形がどうしても大文字や他の文字と釣り合わないというか、それだけ異質な感じがするので、フルティガーさんに印字見を送ると同時に、この文字だけは釣り合わないから私ならこうデザイン変更するがどうでしょうか、という提案をした。6月8の金曜日、気温30度を超えて蒸し暑い午後にその返事が届いた。 フルティガーさんはこう書いてくれた。「よく私の若いときの過ちを見つけてくれた。私はとても喜んでいる」。 うれしい! 最初は、「あのフルティガーさんがそうしてるんだから、なにか理由があるはずだ」なんて思って悩んで、しばらくそのままにしていたんですが、思い切って聞いて良かった。そうなんです、素直に人に聞けば良いんです。 この切手の花を見て、蒸し暑い日にちょっとスイスの高原の新鮮な空気が入ってきたような感じがした。 ちなみに左の青いシールの

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  • 大文字エスツェット | 小林章のドイツ日記

    ドイツ語の文字がいつの間にか増えていた。 ß (エスツェット)という文字があって、小学校では「scharfes s」、つまり鋭く「ss = ス」と発音するエス、という意味で、ドイツ語では普通「s」は「ズ」のように濁る。この ß はこれまで小文字として扱われていて、大文字にする際には SS とエスを2回打つことで代用してきた。例えば「大文字での筆記」という意味の単語 Großschreibung は大文字で書くと GROSSSCHREIBUNG だった。それが5月22日付けの この記事 によれば、このたび ISO によって、この ß の大文字に文字コード(0x1E9C)が数ヶ月中に与えられることになるという。記事が4月1日発表でないところをみると、どうやら当らしい :-)。 それを知ったのは、その記事を読んだ Werner Schneider さんからの電話で、いま彼の新書体の制作最終段階

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  • 来客・ヒラギノ書体の海外での人気 | 小林章のドイツ日記

    2月19日、20日は来客が多かった。いまアムステルダムに住んでいるイギリスのデザイナーのデビッド・クウェイと16年ぶりに合って話をした。私がロンドンで勉強しているときに Letter Exchange という会合があって、そこでいろんな工芸家やデザイナーと会ったが、デビッドはそのうちの一人。ブルーノ・マークも来社していたが、その間私は別件で来ていたチェコの書体デザイナーと合って話をしていたので、ブルーノとは軽い挨拶くらいしかできなかった。チェコの書体デザイナーはライノタイプでアルバイトすることになる。 ヒラギノについての問い合わせが、昨年暮れに続いてまたあった。何かで検索して、私が Hiragino のデザイナーだと勘違いしてライノタイプの私に問い合わせが来る。 昨年末のはクロアチアからヒラギノ明朝についての問い合わせ、こないだのはイギリスからヒラギノゴシックについて。どちらも英文の文組

    来客・ヒラギノ書体の海外での人気 | 小林章のドイツ日記
  • 森田さんの質問にお答えします:イタリックの単語とアポストロフィ | 小林章のドイツ日記

    森田さん、コメント欄では図版が載せられないのでここに書きます。 イタリックにすべき単語はイタリックで組んで、’s はローマン体で組みます。これは決まりなので、ぶつかりそうだから変えるということはできません。例えば、「Wabisabi」がのタイトルであった場合に、森田さんが組んだ文章を読む人はイタリックの部分をたよりにそのを探したり注文したりすることになります。かりに「Wabisabi’s」全部がイタリックで組まれていたら、間違ったタイトルで探し始めなくてはいけなくなります。「 i とアポストロフィとがくっつくのを避けるためにそうした」という理由は読者にはおそらく伝わりません。(当然ですが、タイトルに ’s が含まれている場合はイタリックで組みます。) 残念ながら、現在のフォントテクノロジーではローマン体とイタリック体とが別書体の扱いであるために、混ぜ組みでイタリック体の文字とローマン

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  • ベルンで書体について考えたこと | 小林章のドイツ日記

    昨年末から年始にかけてのベルン旅行の途中で書体について考えたこと。 企業制定書体について気がついたことがふたつ。まずは DBドイツ鉄道 )の制定書体について。DB のサイトの左上やロゴの隣に使われているのがその書体。 DB の使う書体が Helvetica から制定書体に変わってから初めて長旅でDBを利用した。急行 ICE の車内に置いてある雑誌『Mobil』や急行の運行時刻表などを見ると、それまで Helvetica で組まれていたのがすべて制定書体に切り替わっているのに気がついて、書体のデザインが気になった。少し読んでいるうちに慣れるかなと思ったが、ちょっと個性が強すぎる気がして違和感がある。昔は Helvetica で、新しさこそ無いけれど、どことなく落ち着きがあったように思う。「Helvetica が優れている」みたいな宣伝じみたことを言うつもりはないが、長年かかって少しずつ形

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  • フルティガー氏と打ち合わせ | 小林章のドイツ日記

    10月5日、作業の打ち合わせのためフルティガー氏を訪問する。朝6時にマーケティング部長のオットマー・フーファーが車で迎えに来て、スイスのベルンに向けて出発。私は朝早いのは好きなので、朝4時40分に起きて準備していた。オットマーが前日のブックメッセで買ってきたをめくりながら車の中でいろいろ雑談した。de Jong 著の『Sans Serif』は、その名の通りサンセリフ書体の図版をいろいろ集めたソースブック。オットマーによれば、著者はライノタイプにも来て数日間資料室で調査したりスキャンしたりしたということだが私はなぜか会う機会がなかった。図版として取り上げる書体がヨーロッパ的視点だけでまとめられていてちょっと意外だった。イギリスの良いサンセリフが紹介されていない。ヨーロッパからイギリスって近いような気がするんだけど、ヨーロッパに住んでいると案外見えないのかなあと思う。私の関わった Optim

  • ライノタイプ = モノタイプ | 小林章のドイツ日記

    8月1日をもってライノタイプは Heidelberg の傘下を離れて Monotype Imaging の子会社になった。1日に正式な調印がされ、午後4時にライノタイプ社員全員を集めての説明会があった。現在の会社「Linotype GmbH」の名前、社長をはじめ人事や組織の構成、労働条件に急激な変化はないようです。2年前にアグファ傘下を離れた Monotype が Linotype を買い取った形で、百年以上の歴史を持って長い間ライバル同士だった両社が歴史的な合併をしたわけだ。書体を知らないところとくっつくのはいやだけど、これなら良いと思う。社員の意見もだいたい同じ。 説明を聞いて「テクノロジー主導型の Monotype Imaging が書体の職人 Linotype を雇い入れた」みたいな印象を受けた。良いイメージのある Linotype というブランドは大事に残すそうです。アメリカから

    ライノタイプ = モノタイプ | 小林章のドイツ日記
  • 「ITC Stone by ITC」「ITC Stone」について | 小林章のドイツ日記

    微妙にデザインの違う二つのフォントITC Stone by ITC」「ITC Stone」についてストーン氏から返事がありました。結論を簡単に言うと、どっちもオリジナルでした。 ストーン氏の文章を「」でくくって引用し、ほかは要約します。 「これまで、Stone 書体には少なくとも3つのバージョンがあった。最初のバージョンの Stone 書体は1987年にアドビから発表された。ITC は、ドイツにあるソフトウエア会社 URW といっしょに ITC 書体を独自にデジタル化していて、1988年秋にその ITC 版が発表された。」 つまり、Stone 書体発表直後に2つ目のデジタルのバージョンがすでにあったわけです。その ITC 版の字形についてストーン氏は「(デザイン的な)変更が行われていることは知らされなかったし、その変更も極端ではないにせよ、不当なものだった」と書いています。つまりもともと

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  • ドイツで Futura は昔も今も人気 | 小林章のドイツ日記

    ●5月25日(木) 休日。翌日の金曜も休みを取った。天気予報はドイツ全土が雨で寒いということだったが、朝7時半に車でレゴランドに向けて出発。途中ずっと雨だったが、11時にレゴランドに到着したときは止んでいて、少し晴れ間ものぞいて、十分楽しんだ。帰り際に、レゴランドのロゴは Futura で組まれているなあと気づいて写真を撮っておいた。 Futura の単純な字形と子供向けの玩具というのは合うからなぁ。休日でもやっぱり書体のことを考えてしまう。夕方レゴランドを出て、シュツットガルトのホテルに向かう途中でガソリンスタンドに寄ったら、それは Shell のスタンドで、表示がすべて Futura で組まれている。シュツットガルトのホテル・メルキュールに着いたら、部屋にチョコレートが置いてあって、その有名なチョコレート「リッター・シュポルト」からの「ようこそ」メッセージも Futura。今まで何回も

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