![在華坊 on Twitter: "「ポテサラくらい自分で作れ」の話、そりゃそんなん言われたらブチ切れて当然と思いますが、それはそうと、ジャガイモ皮剥いてレンチン、玉ねぎとにんじんも刻んでレンチン、きゅうりはスライサーで切って塩揉み、あとは刻んだハムかツナ缶と全部混ぜてマヨネーズ塩胡椒、そんなに面倒では無いのでは…"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cdfb18dc8041193e4ba48f3ec9ae2585707ed2a5/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1280422501370101761%2FdELR9Q5G.png)
と注記しています。 すっきり分けにくい場合も 動詞の下に付けて補助的に使えば漢字の意味が意識されないと考えられるわけですが、形だけでわかるとは限りません。 動詞の下に付いていても 「傘を学校に置いて来てしまった」「子供を家に置いて行く」 などは、「来る」「行く」にも意味があって漢字で書いてもよさそうです。 同じ「しれない」でも 「彼ならあんなことも言うかもしれない」 「あんなことを言う彼の気が知れない」 ――と、後者は漢字で書いてもよさそうです。 「意味が薄れた」かどうかは微妙で難しいものがあります。毎日新聞用語集は「言う」「いう」の書き分けをこのように例示しています。 「大家といえば親も同然」という例が挙がっていますが、「といえば」でも 「気にならないと言えばうそになるが……」 のように使う慣用句では、実際には言わないけれど「口に出して言ってしまうと」という感じなので「言」を使ってよさそ
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