Joy Watson Taniguchi @JoyTaniguchi 今日一番の衝撃は「するか→すっか」、「やるか→やっか」のような言い方が、西日本の方々には異様に聞こえる、ということ。「え、でも『仕事すっか!』みたいに言いますよね?」と確認するも、全員(西日本勢)から「言わない」と却下されました… 2023-12-26 23:23:43
![「するか→すっか」「やるか→やっか」のような言い方が、西日本の人には異様に聞こえると知って衝撃を受けた](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7c7f9ab9799fe8c29ed3f46586b3b55e4aa3fd38/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F3896cc7c4060099c71c071e664ef2efe-1200x630.png)
と注記しています。 すっきり分けにくい場合も 動詞の下に付けて補助的に使えば漢字の意味が意識されないと考えられるわけですが、形だけでわかるとは限りません。 動詞の下に付いていても 「傘を学校に置いて来てしまった」「子供を家に置いて行く」 などは、「来る」「行く」にも意味があって漢字で書いてもよさそうです。 同じ「しれない」でも 「彼ならあんなことも言うかもしれない」 「あんなことを言う彼の気が知れない」 ――と、後者は漢字で書いてもよさそうです。 「意味が薄れた」かどうかは微妙で難しいものがあります。毎日新聞用語集は「言う」「いう」の書き分けをこのように例示しています。 「大家といえば親も同然」という例が挙がっていますが、「といえば」でも 「気にならないと言えばうそになるが……」 のように使う慣用句では、実際には言わないけれど「口に出して言ってしまうと」という感じなので「言」を使ってよさそ
歴史的仮名遣いでは「うなづく」でしたが、現代仮名遣いでは「うなずく」と書くことになりました。 「うな(項)」+「つく(突く)」という語源分析を抛棄し、「うなずく」を「分解しにくい」一語であるとするのです。 しかし「うなだれる」を変換すれば「項垂れる」になり、「うなじ」を変換すれば「項」になります。 「分解しにくい」ということを誰が判断するのでしょう?
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