もどる ▼ 大塚英志がどこかで(あちこちで)、少女マンガの大きな特徴は、フキダシの外にモノローグないしそれに準ずるものが多用されることだ、といっていた。最近だと、三浦建太郎や板垣恵介が「少女マンガ的な手法」と評されたことを記憶されている方もいるかもしれませんが。 たとえばファンタジーでも少女マンガであるうちはこれはおおむね変わらなくて、紫堂恭子もやはり、ファンタジーというより少女マンガである。 かつて(つまりドン・キホーテの昔には)小説とはキャラの「言動」を描くものであって「内面」を描くものではなかった。その意味でカフカは正しく小説家なのだが、これが特異に見えるとすれば、われわれの時代が、言動から独立した「内面」をすでに前提しているからで、少女マンガの表現はその上になりたっている。 征矢友花『トッペンカムデンへようこそ』4。あいかわらず良い。ひきあいに出して申し訳ないけれど、紫堂恭子その他