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ブックマーク / nix-in-desertis.blog.jp (3)

  • nix in desertis:キリエ・エレイソン(2) −魔法少女まどか☆マギカの私的解釈・感想

    『Fate/zero』1巻のあとがきで,虚淵玄が「エントロピーの増大でどうせこの世は終わってしまうというペシミズムのせいでバッドエンドしか書けない」とか言っていたときは,正直何いってんだこいつとしか思えなかったのだが,今ならばこのスケールで考えてればそりゃね,とは思えるようになった。 以下,ネタバレ全開。まず,いろいろ解釈の分かれているらしい12話の自らの解釈を提示し,前回のキリスト教的解釈がどの程度ネタで書きどの程度マジで書いたか開陳した後,適当に感想を述べ,最後に「それだけはないだろう」と思った解釈にだけ少しだけ反論して締めることにする。 虚淵の新しいものを見せる,というのは全くの嘘で,作は最初から最後まで,あくまでも「虚淵と,彼の周囲に存在した作品群の集大成」であった。一つ一つの要素を分解していけば,『Fate/stay night』に『鬼哭街』,果ては『Stein's Gate』

    tappyon
    tappyon 2011/10/16
    申し訳ないが宗教(Haven)は承認制なので天国という理想郷求めながらもheavenになりえない矛盾を抱えるだけに終わるのでNG。虚淵のペシズム思考はあからさまに天国を求めているだけに終わっている
  • nix in desertis:Kanon問題で決定論(過去確定的共有説)を主張する

    ポータル記事として(後日設置)。 Kanon問題の追記:訂正と反論 Kanon問題追記の追記:というか締め Kanon問題を締めた後に続いたもの。 以下が最初に行った問題提起の文章である。だが,その後の議論の展開から言って,それほど重要ではない。 ようやく自分の中で覚えていた違和感が何かはっきりしたのが一筆だけ書いておく。めんどくさいので、以下は読者がKanon問題が何かを知っているという前提で書く。 この問題の根的な原因は、Kanonの文があいまいにぼかしているために、過去遡及的生成でも、決定論でもどちらでも読めてしまうという点にある。それゆえに、2003〜05年に流行した時点でさえ「どちらとも解釈できるから後は好みの問題」という結論が出てしまっており、当時を知らない連中によって、ここ最近ぶり返してきている。私も、「当時を知らない連中の一人である。当時はそこまでエロゲ論壇は読んでいな

  • nix in desertis:今のニコマス衰退論争に足りていない3つの視点

    どちらの味方とかそういう話ではなく、最近の議論には「……ひょっとして皆わざと手をつけてないの?聖域なのか?」としか思えないほど、不自然にスルーされる論点があるので、ここで提示しておく。 1、週マスでの数字 多様化は確実に進行しているが、しかし界隈の多様化と、良質の作品の伸びが極めて速いことは、全く相反するものではなく、共存可能な概念である。実際、08年、09年の前半はそういった形で進んできた。幻想郷ではないが、ニコマスはほとんど全てを受け入れ、Pにしよ見る専にせよ、その人数を増やし、繁栄を謳歌してきた。それでいて「わただもんげ!」意識を失わず、一体感のあるニコマス界隈というのは偉大ですらである。 しかし一方で、週マスの数字、特にランクイン可能圏内である30位のptsが徐々に低下している。07年〜08年頃ではおおよそ800pts必要だったのに対し、09年春以降は600pts程度で可能になり、

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